独りでいることは寂しいか?
勿論寂しいに決まってる。でも、その寂しさが私にはぴったりだ。私は独りでいることが好きだし、独りでいるときの寂しさが好きだ。夏の日の木陰で冷たい水を飲んだときのような心地良さがある。独りでいるときが一番楽しいのだ。私はまだ未熟だから親と過ごさなくては行けないけど大人になったら独りで、毎日、過ごすと決めてる。騒がしいこの、私が嫌いな空間を破って外に出る。一つの小さな夢だ。その夢が叶えば私は独り自由に生きたい。そこから叶えたい夢がたくさんある。
お母さんは私の将来を考えてはいるらしい。私のことを病気扱いするくせに何を考えてるんだ(迷惑)。私が今後恋人ができなくても、何があっても結婚させたいらしい。私はその話をされたとき、(へぇ)と適当に流した。どうせ何言っても意見を変えないし、私の年齢的に反抗したと捉えて怒り狂うから。でも私は絶対結婚なんかしないぞ。独りで生きたいんだ。何で私の将来を決めようとするんだ。結婚は私の夢じゃない。結婚は幸せでは無い。寂しい独りが幸せだ。お母さんが今後どうなるのか私は不安だ。私の将来にどう水を差してくるのか不安で仕方ない。独りになる夢はお母さんから離れるという夢でもある。
私は将来、好きなことをして生きていきたいんだ。絵も好きだし、音楽も好きだし、文学も全部大好きだ(これはお母さんにも誰にも言っていないけど)。将来どうなるかは分からないけれどお母さんの思っている将来とはきっと程遠いし、それに近い人生にはしたくない。そうすればお母さんから離れることはできないし、独りにはなれないから。でもどうしても叶えたい夢は独り寂しく只々自分の好きなことをして生きていくこと。誰にも邪魔されたくないんだ!誰にも奪わせない。それが私の夢。
とにかく寝たくないんだ。この時間になるといつもそう思う。明日になってしまうのが嫌だ(明日になればやることがたくさんある)。もう今日のやることがなくなったこの時間を大切にしていたいんだ。そこで私は考えた。眠れなくなるぐらいに何かをしよう。
とは言っても睡眠は3大欲求の一つであるから切り離すことはできない。じゃあどうするの。知らない。だから考えてるの。私は寝たくないからね(子供みたいだと思ったりする)。でも、こうして考えていれば寝なくて済むのだ。ようし。私は思考を止めないぞ。絶対に考え続けるんだ。こうしようとしたが、思考は止まることはなくても、次は眠気が襲ってくるのだ。
なんでだ。寝れば明日になるのに、明日になればやることがある。明日が嫌だ。ずっとこの時間を過ごしたい。一番心地のいい時間。私はこの時間が大好きなのに。他の時間は大嫌いだ。
いや、逆に考えてみる。明日にならない為には起きなければいい。寝て、起きなければ明日にはなることは無い。ずっと寝ていよう。もう起きなければ良いんだよ。思いついたからには私はすぐに行動に移した(とても有言実行、言ってはない)。
私は明日の空を生涯仰ぎたくないんだ。そのためには何だってするぞ。ずっと寝ることにしたんだ。もう起きない。ずっと夜の空をあがめ続けるんだ(崇拝)!
それを実行する。
寝れないぐらいの痛みが私を苦しめた。
これで明日は来ない。
木の葉が落ち、寒さを感じ始める季節のそのさき。冬。冬になればみんな暖かく過ごす為に思考を凝らす。人間はすごいものだなぁ。あったかい服を着る。みんなセーターを着るんだ。あったかいからだと思ってる。私はセーターが嫌いだ。冬が来るからセーターを着なくちゃいけない。私は冬が嫌いだ。冬は私が産まれた季節でもある。けどそんなの知るものか!冬が嫌いだ。
冬はなんて寒いものだ。こういうとき、詩人は皆春の温かさを求める。そんなものより夏の蒸し暑さのほうが私は欲しい(私は詩人では無いからね)。きっとみんながセーターを着るのはその微妙な温かさを求めているのだろう(みんなは私でも、詩人などでもないけどね)。私はセーターの、その、微妙な温かさが嫌いだ。いらいらしてくるのだ。それにセーターはふわふわで肌に当たってとてもくすぐったい。セーターなんか着れたもんじゃないぞ!
みんなセーターのことを有り難っているようだ。私は裏起毛のパーカーとタイツで十分だ。それに私はあまり裏起毛のパーカーとタイツも履かない。基本、スウェットを着てあったかい布団に溶けている。冬は外に出たくないから引きこもるんだ。それに引きこもっていればセーターのことを考えなくて良い。暖かければ誰もセーターのことを考えないんだ!
それでも世間が温かみを帯び雪が去ってしまったとき、みんなはまだセーターのことを考えている。君はなんて万能なんだろうね。私にとっては知ったこっちゃないけど。
桜色のセーターを来て、大きめの桜の木の下にいる。昔の私。まだ、自分の産まれた季節である冬を楽しく、嬉しく過ごしていた昔の私。温かい笑顔で私をみている、昔の私。
冬は嫌いだ。セーターなんてもっと嫌いだ。それは仕方ないって。それでも昔の私がこちらを見つめて冬の寒さの中でも、春の安らぎを感じているかのように笑うんだ。それをみると、昔が輝かしく見えてセーターだけでなく、何もかも嫌いになりそうだ。
私が毎日見る夫婦は奇妙なものだ。その夫の方は私と仲が良く、その妻の方は私はあまり好きではない。
妻。彼女の思考は考えるだけで不思議だ。
妻は私が冷蔵庫を開けると怒る。私は冷蔵庫を開けただけ。妻は私が冷蔵庫を閉めても怒る。私は冷蔵庫を閉めただけだ。私がこの地に命の根を宿した瞬間から妻と関わっているわけだが、私はどうも彼女の言っていることは理解ができない。私が彼女の身体の中に宿ったときもきっと怒ったのではないだろうか。何故怒るんだろう?__冷蔵庫が嫌いなのかな?__寒いのかな?__それとも__私が嫌いなのかな?__。
そんな妻の言っていることを彼女の前ではできるだけ上手く聞き流している。妻が居なくなれば、私は仲の良い夫の方と話をする。
その夫も不思議だ。なんで妻の、彼女の隣で、一生寄り添っていようと思えたのだろう?
日曜日、夫は起きる。起きると妻は怒る。夫は言う。きっと、ずっと、寝ていても彼奴は怒る__。
なんで妻は怒るのかな。夫に寝ていてもほしいのかな?__日曜日は起きるべきではないのかな?__それとも__夫が嫌いなのかな?__。
私はあまり妻が好きではない。夫も同じように考えている。
なんで怒られたんだろう?__なんで怒られたんだろう?__訳がわからないや__理不尽だ__理不尽だ__。
私の毎日みる夫婦という存在が不思議でたまらない。彼らはどうして寄り添っていられるのかが不思議だ__寄り添っているのが不思議なら__子供なんている方がもっと不思議だ__どうして彼らは__?毎日彼らをみて私は思っている。
いつか私も彼らのようになるのかな?__
そうなったとき、私は妻のことを悪く言えるのだろうか!きっと彼女のようなことをするだろう。きっと彼女のように理不尽に周りを荒らしてゆくのだ。なぜなら私は私が始まったときから彼女の中に宿っていたから。
夫婦と私は引き裂けない関係にある。それからの解放をただ望んでいる。夫も同じように考えている。
きっと私はまだ彼女の中に宿ったままなのだろう。ならば早く出してくれ!私は何よりも此処から出ることを望んでいる!どんなに壁を蹴ろうとも、どんなに床に頭を打ち付けようとも、妻の中に宿っていたときのようにはならないのだ。あのときはどうしてたっけぇ__。それでももし、この母胎から出ることが出来たとしても、きっとこの先にもいつもと同じようにと母胎があるのだと思っている。私が初めて母胎の外に出ても、その先に私を締め付けるさらなる世界があったように。妻が私たちを自分の母胎の中に収めてしまっているかのように締め付けるんだ!
夫婦は不思議だ。夫は妻の世界から出ることはできなく、その子供は夫と一緒に理不尽な世界の中に締め付けられることになるのだ。母胎から出ることは妻が許さないだろう。どうしてだろう?__私たちが好きなのかな?__それとも__私たちが嫌いなのかな?__虐めたいのかな?__。今日も、私のみる夫婦は奇妙で理不尽な母胎に収まっている。私も例外ではないのだ。