勿忘草(わすれなぐさ)
無精者の私は、こちらからめったに連絡しない。
引っ越ししても連絡しないので、メールの無い時代の知り合いは、郵便や電話の転送期間が過ぎるとそのまま音信不通になった。
大事に思う友人は、会えなくても、連絡できなくても今でも大切な友人だと思っているし、どこかで元気でいてくれればそれでいいと思っている。
しかし、故意に交流を絶っているわけではない。わざわざこちらから出向きはしないが、あちらから来る分には歓迎なのである。
そういうわけで、現在まで繋がっている友人は少ない。
しかしその中に、音信不通になった状態でもなんとかして探し出してくるつわものがいる。
ある日突然、部屋のドアに貼り紙がしてあった時は、開いた口が塞がらないほど驚いた。
貼り紙には「やっと見つけた」と。
そして、連絡して来いと彼女の連絡先が記してあった。
そんなことが2度あった。
彼女はこんな根無し草のような私を、そのまま受け入れてくれる。
彼女には敵わない。
健気で、稀有で奇特な得難い友人である。
不格好なブランコ
家に子供が集まると、父は家の中にブランコを用意する。
ブランコといっても、オシャレなインテリアだったり、子供が喜びそうな室内ブランコではない。
脚の短いアームレスチェアに縄を掛け、梁からぶら下げた、即席ブランコのことである。
なんとも不格好なブランコ。
しかし、その異質な見た目と工作感あふれる演出に、どの子も面白がって夢中になって遊んだ。
父は何でも自分で作る。
小屋や倉庫、炭、お茶に至るまで範囲は幅広い。中でも機械いじりが好きで、壊れたパワーショベルやフォークリフトを修理したりもする。
しかし、驚くべきことに、これらの技術と知識は、誰かに教わったわけでも書物から学んだわけでもなく、実物を見て仕組みを理解するのである。父にはそういう「見て盗む」的な職人的な素養があった。
無愛想で無口な父だが、決して人が嫌いなわけではない。
ひとたび興味のある話題になれば、目を光らせて語りだす。聞き手が飽きても構わずしゃべり倒す熱もある。
そんな父は村の人や親戚からの信頼も厚く、たまには相談も受けるが、人前に立つ事だけは断固として拒否した。
父には学がなかった。
あまりにも貧しい家の長男として生まれ、小学校へ上がる年、口減らしとして裕福な親戚の家へ下働きに出された。
同い年の子たちが学校で学んでいる間、父は赤子の世話や炊事、雑用をしていた。
あの頃学校に通えていたら、せめて字の読み書きができたらという思いは、今でも父の中に強くある。その焦りや無念が時々無意識にポロッとこぼれてしまうのだ。
父の我慢と努力の甲斐もあり、父の妹や弟たちは全員下働きに行かずに済み、学校に通う事ができた。
兄弟たちは皆父を慕ったが、父は兄弟たちに対しても劣等感を感じているようだった。
そんな状況に責任を感じるのか、祖母も時々口説いていた。
子供の私はなんとはなしに聞いているだけだった。
そんな祖母が永眠し、彼女の荷物を整理した時、タンスの底から一枚の賞状のようなものが出てきた。
丁寧に包まれてしまわれていたその立派な賞状は、なんと父の中学の卒業証書だった。
小学校も通っていない父は、中学校も通っていない。もちろん卒業式など出席するはずもなかった。
父も全く覚えのないその証書を祖母はどうやって手に入れたのだろうか。
証書の存在すら誰も聞いたことがなかった。
父にも渡せず、死ぬまで大切にしまってあった証書。
私が思うよりずっと、祖母は心苦しく思っていたのだろう。
私が姉のように慕っている末の叔母は言う。例え学校に通っていなくても、父は何でもできる天才だと。
心の中で『言い過ぎ!』とツッコミを入れながらも娘としては誇らしく嬉しかった。
父はどう思っているか知らないが、私は今の父が良い。
職人気質で、深く狭く自分の興味を研究していく父。
雪に閉ざされたこんな冬の日、父はきっと何か作っていることだろう。
父がワクワクしながら研究している姿が目に浮かぶと、私は妙に安心する。
私の原風景に欠かせないもの、その中に父と不格好であったかい創作物は絶対含まれている。
旅路の果てに…
容赦ない新婚旅行だった。
彼と二人、レンタカーを借りての真夏のアリゾナドライブ。私たちの疲労は旅程2日目で早くもピークに達した。
車という狭い密室に並んで座っていながら、この旅行の間、私たちはほとんど口を利いていない。
彼との海外旅行はこれが初めてだった…
しかも何が問題かって、それは時差でも、暑さでも、慣れない水でもなく、異国の地でたった一人の協力者であるはずの「彼」!!
彼から見れば「私」!!
問題が同行者である以上、場所を変えようと、時間を変えようと、避けようもない。
旅程が決まっているため、少し離れて頭を冷やすとかもできない。煮詰まったまま、並んで無言でお互いの世界に入るしかない。
私には、こんな旅行の最中(さなか)まで私を否定してくる彼の気持ちが全く分からなかった。
学生時代、バックパック一つでアジアの安宿を巡った彼は、その頃を懐かしみ、前の仕事を辞めたタイミングで長めの旅行に私を誘った。
パワースポットを巡り、一緒に空を眺め、インディアンの露店を見て回る。朝から晩まで時間を共有し、話したい時に言葉を交わす。
なんてロマンチックなんだ。
自分の人生にだって、一回くらいこんな甘い時間があってもいいじゃないか。
そう思って了解した。
しかし現実はどうだ?
全然楽しくない。
ええ、どうせこうなると思っていましたよ。
彼とは本当に息が合わない。
きっと彼の方もそう思っているだろう。
彼は、私のやる事なす事全部が気に食わないのだ。
物事は始めながらその都度状況に合わせて軌道修正していく私と、手抜かりないように細部まで見極め万全にしてから始めたい彼とではぶつかって当然だ。
それでも一緒に生きていくつもりなら、相応の努力と工夫が必要だ。
ああ、
あそこは彼が納得するまでもう少し待ってたほうが良かったな…
彼の方に視点を変えると、少し見えるものがあった。
全く反りが合わない名ばかりの夫婦。
今さら熱々にはならないだろうけど、ぶつかりながらも相手を知り、少しずつ居心地の良いスタイルを築いていけば、意外に面白いオーダーメード夫婦くらいにはなるかもしれないね。
叶うことなら、
離れて暮らす両親を安心させてあげたい
だけど現実は、
「何もしてあげられなくてゴメン」って謝罪しかない
薄情で頼りない子供でごめん
『愛してる』
そんな事、とても言えない。
冗談では言える。
2番目に好きなモノも言える。
でも一番欲しいものには手を出せない。
本当の勝負を避けてきた。
臆病な私はどうしても最後に安全を取ってしまう。
だからこそ、好きなモノを「好き」と言える君が眩しい。
君が幸せになっていくのを、外野で見守るだけで満足なのだけれど、誰かに突っ込まれるまでもなくこれって逃げだよな〜。
分かってる。
だからさ、そろそろ傍観者をやめないか?