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不格好なブランコ

家に子供が集まると、父は家の中にブランコを用意する。

ブランコといっても、オシャレなインテリアだったり、子供が喜びそうな室内ブランコではない。

脚の短いアームレスチェアに縄を掛け、梁からぶら下げた、即席ブランコのことである。

なんとも不格好なブランコ。
しかし、その異質な見た目と工作感あふれる演出に、どの子も面白がって夢中になって遊んだ。 

父は何でも自分で作る。
小屋や倉庫、炭、お茶に至るまで範囲は幅広い。中でも機械いじりが好きで、壊れたパワーショベルやフォークリフトを修理したりもする。
しかし、驚くべきことに、これらの技術と知識は、誰かに教わったわけでも書物から学んだわけでもなく、実物を見て仕組みを理解するのである。父にはそういう「見て盗む」的な職人的な素養があった。


無愛想で無口な父だが、決して人が嫌いなわけではない。
ひとたび興味のある話題になれば、目を光らせて語りだす。聞き手が飽きても構わずしゃべり倒す熱もある。

そんな父は村の人や親戚からの信頼も厚く、たまには相談も受けるが、人前に立つ事だけは断固として拒否した。

父には学がなかった。
あまりにも貧しい家の長男として生まれ、小学校へ上がる年、口減らしとして裕福な親戚の家へ下働きに出された。 
同い年の子たちが学校で学んでいる間、父は赤子の世話や炊事、雑用をしていた。

あの頃学校に通えていたら、せめて字の読み書きができたらという思いは、今でも父の中に強くある。その焦りや無念が時々無意識にポロッとこぼれてしまうのだ。

父の我慢と努力の甲斐もあり、父の妹や弟たちは全員下働きに行かずに済み、学校に通う事ができた。
兄弟たちは皆父を慕ったが、父は兄弟たちに対しても劣等感を感じているようだった。
そんな状況に責任を感じるのか、祖母も時々口説いていた。
子供の私はなんとはなしに聞いているだけだった。


そんな祖母が永眠し、彼女の荷物を整理した時、タンスの底から一枚の賞状のようなものが出てきた。
丁寧に包まれてしまわれていたその立派な賞状は、なんと父の中学の卒業証書だった。

小学校も通っていない父は、中学校も通っていない。もちろん卒業式など出席するはずもなかった。
父も全く覚えのないその証書を祖母はどうやって手に入れたのだろうか。

証書の存在すら誰も聞いたことがなかった。

父にも渡せず、死ぬまで大切にしまってあった証書。
私が思うよりずっと、祖母は心苦しく思っていたのだろう。

私が姉のように慕っている末の叔母は言う。例え学校に通っていなくても、父は何でもできる天才だと。
心の中で『言い過ぎ!』とツッコミを入れながらも娘としては誇らしく嬉しかった。

父はどう思っているか知らないが、私は今の父が良い。

職人気質で、深く狭く自分の興味を研究していく父。
雪に閉ざされたこんな冬の日、父はきっと何か作っていることだろう。

父がワクワクしながら研究している姿が目に浮かぶと、私は妙に安心する。

私の原風景に欠かせないもの、その中に父と不格好であったかい創作物は絶対含まれている。

2/2/2024, 3:31:16 AM