『ひなまつり』
今日は雛まつりだったね。
すっかり忘れてた。
女の子がいないわが家にとって、桃の節句にはあまり思い入れはない。
でも、雛あられを買ったり、ちらし寿司を作ったり、毎年ちゃっかり気分だけは楽しんでいる。
しかし今年は、本当に完全に忘れていた。
今更買いに行くのは面倒だし、雛あられや白酒の代わりとして、柿ピーと甘酒豆乳をおそるおそる息子に差し出してみた。
一応、どちらも息子の好物ゆえに、切らさないようにストックしてあるものだけど…
どんな反応をするかと思ったら、
すんなり喜んで受け入れた。
息子もあんまり雛まつりを意識してないんだね。
季節感も目新しさも目出度さもないけど、息子にとっては、食べ慣れている好物に勝るものはないらしい。
『たった1つの希望』
未来にはたった一つの希望も見えない
足元には無数の種がある
そのどれかを育めば、きっと希望になる
『欲望』
どうも私は心の底の方で欲を悪いもののように信じてしまっている。
欲望に支配されて身を滅ぼしてしまうのを恐れているんだ。
でも欲自体に良いも悪いもなくて、エネルギー(モチベーション)の一つという気がする。
欲を認めないから、やりたい事が見つからないのかもしれない。
とすれば、欲望を開放すればやりたい事のヒントが見つかるかも?
しかし、欲望をエネルギーとして使うためには、欲望に支配されない精神力も必要だ。
片方だけでは暴走するか、止まったまま動かない不具合が発生する。
欲望はアクセル、精神力はブレーキ。
ハンドルを握るのは魂。肉体が車体。
全部揃ってはじめて快適に人生という道を走れるのかもしれない。
『列車に乗って』
使い切れない「青春18きっぷ」を買ってくれと、友達に頼まれたことがある。
その友達はあちこち旅行する人だったが、用事が立て込んで「青春18きっぷ」の期間中に使い切れそうにないという。
貧乏学生だった私は、つい安さに惹かれて買ってしまった。
当時住んでいたアパートの最寄り駅から実家まで、約17時間、各駅列車の旅。
無謀に思えたが、行きは日頃の疲れもあり、ほとんど寝て過ごせた。
しかし帰りは、実家でたっぷり休息を取った後なので、そうはいかなかった。
最初は、行きと同じように寝て過ごした。それで十時間くらい。次に持参した本を読んだ。そして音楽を聞いた。
しかし、そのうち本を読むのも、音楽を聞くのも疲れてしまい、ただぼんやりと車窓の景色が流れていくのを眺めた。
夕刻の景色は美しかったが、落日の余韻が消えると、町の灯が時々流れていく他は、窓は自分の姿を映す鏡となった。
寝過ぎているので眠る事もできず、軽い乗り物酔いに耐えながら、ただ窓に映る自分の姿と対面する時間が続く。
電車が止まるたびに駅の時計を確かめ、到着まであと何時間何分かを計算して、無聊を慰めた。
夜、田舎を走る上り電車は、いつの間にかガラガラに空いていた。
ふと見ると、朝、最初の乗り換え駅で見かけた人が、同じ車両に乗っていた。
あの時間あの駅にいて、この時間この電車に乗っているということは、ずっと同じ電車を乗り継いできたということになる。
おそらく同郷の人で、私と同じように「青春18きっぷ」で上京するのだろう。
そう思うと、ちょっと興味が湧いた。
私は自分の推理が正しいかどうか確かめたくなり、迷った末、とうとう決心して彼に話しかけた。
私にしては思い切ったことをしたものである。
旅は道連れ、世は情け。
かくして私は一期一会の道連れを得、お陰様で残り数時間は、楽しい列車の旅となった。
しかし、「青春18きっぷ」で帰郷するという無謀は、二度とすまいと心に誓ったのであった。
ちなみに、彼は同郷の人で「青春18きっぷ」の旅で間違いなかったことを、一応報告しておく。
『遠くの街へ』
昨春上の子は、家族の住む町を一人離れて、遠くの街へ就職した。
そばにいるのが当たり前だった子が居なくなるというのは、やはり、少し淋しいものだ。
大丈夫。
あの子は順応力が高いし、分別もつく。
もう親の手を借りなくても、一人でやっていける。
二度と会えないわけではないし、私もそんなに弱くない。
ただ、一点。
家に残された下の子の気持ちを考えると、気持ちが塞いだ。
「兄ちゃん何処にもいかないでくれよ」
上の子の引っ越しが近付いたある日、家族で楽しく食卓を囲んだ後、下の子が悲痛な声を上げた。
上の子はよく夢を語ってくれたし、下の子も兄を応援したいと思っている。
心の準備をする時間も充分あった。
それでも、無理とは分かっていながらも、言葉に出さずにはいられなかったのだろう。
「大丈夫。父ちゃん母ちゃんはいつまでも一緒にいるから!」
慰めてはみたものの、気休めになるかどうか。
上の子が旅立つ日、下の子は上の子に声を掛けずに学校へ出掛けた。
夜通しの荷造りで、疲れて眠る兄を気遣って、少しでも寝かせようとしたのだろう。
わがままなようで、兄思いな弟なのである。
「さすがに今日はちゃんと挨拶して出たかったな」
上の子も下の子の気持ちを察して、しんみりした。
最初は淋しくても、自分らしく生きられる道が正解だ。
「元気でな。夢をつかめよ」
駅の改札で冗談めかすと、上の子は、はにかみながら頷いた。
私は笑顔で手を振った。
新しい生活は、世話を焼く家族が一人減った分、自由な時間が少し増えた。
元から静かな子だったから、居なくなった気がしない。
下の子は、もう泣き言を言わなかった。
「人生そんなもんさ」
似合わないセリフを吐いて、強がる姿が健気だった。
もっと落ち込むと思っていたのに、下の子は拍子抜けなほどすぐに、新しい生活に慣れてしまった。
子供の方が回復力も高いのかもしれない。
遠い昔、実家を出る日、バスの窓越しに弟と目が合った瞬間、わっと熱いものが込み上げてきたのを思い出した。弟の目にも涙が浮かんでいた。
でも、ほんの短い時間だった。
気持ちを引きずったりはしなかった。
遠い田舎に暮らす両親の顔が浮かんだ。
弟の心配ばかりしてたけど、これは親の方が喪失感が大きくて、回復に時間がかかるものなのかもしれない。