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『遠くの街へ』

昨春上の子は、家族の住む町を一人離れて、遠くの街へ就職した。

そばにいるのが当たり前だった子が居なくなるというのは、やはり、少し淋しいものだ。

大丈夫。
あの子は順応力が高いし、分別もつく。
もう親の手を借りなくても、一人でやっていける。

二度と会えないわけではないし、私もそんなに弱くない。

ただ、一点。
家に残された下の子の気持ちを考えると、気持ちが塞いだ。



「兄ちゃん何処にもいかないでくれよ」

上の子の引っ越しが近付いたある日、家族で楽しく食卓を囲んだ後、下の子が悲痛な声を上げた。

上の子はよく夢を語ってくれたし、下の子も兄を応援したいと思っている。
心の準備をする時間も充分あった。

それでも、無理とは分かっていながらも、言葉に出さずにはいられなかったのだろう。

「大丈夫。父ちゃん母ちゃんはいつまでも一緒にいるから!」

慰めてはみたものの、気休めになるかどうか。


上の子が旅立つ日、下の子は上の子に声を掛けずに学校へ出掛けた。
夜通しの荷造りで、疲れて眠る兄を気遣って、少しでも寝かせようとしたのだろう。
わがままなようで、兄思いな弟なのである。

「さすがに今日はちゃんと挨拶して出たかったな」

上の子も下の子の気持ちを察して、しんみりした。


最初は淋しくても、自分らしく生きられる道が正解だ。

「元気でな。夢をつかめよ」

駅の改札で冗談めかすと、上の子は、はにかみながら頷いた。

私は笑顔で手を振った。


新しい生活は、世話を焼く家族が一人減った分、自由な時間が少し増えた。

元から静かな子だったから、居なくなった気がしない。


下の子は、もう泣き言を言わなかった。

「人生そんなもんさ」

似合わないセリフを吐いて、強がる姿が健気だった。

もっと落ち込むと思っていたのに、下の子は拍子抜けなほどすぐに、新しい生活に慣れてしまった。

子供の方が回復力も高いのかもしれない。

遠い昔、実家を出る日、バスの窓越しに弟と目が合った瞬間、わっと熱いものが込み上げてきたのを思い出した。弟の目にも涙が浮かんでいた。

でも、ほんの短い時間だった。
気持ちを引きずったりはしなかった。

遠い田舎に暮らす両親の顔が浮かんだ。

弟の心配ばかりしてたけど、これは親の方が喪失感が大きくて、回復に時間がかかるものなのかもしれない。


2/28/2024, 1:50:19 PM