月夜
言葉のイメージって、よく考えると全く関係ないものまでついていると思った。
今日のテーマは月夜。うんうんと唸って、ついでに満月輝く空の下まで顔を出して、やっと出てきたのがこの言葉だ。
涼やかな風に当てられ、雲一つない空に輝く満月を見た。”まさに、月夜って感じ”これがその瞬間に思ったこと。次いで、”おや、おかしいぞ”と思った。だって、月夜に関係のないものも含めて、まさに、なんて言葉を使ってる。
ともすれば寒く感じてしまうような風は心地よいが、月夜という言葉には当てはまらない。夏のうっとうしい空気の中でも月夜は月夜だろう。月の光の大きさも輝きの美しさも変わりはしないはずだ。
でも、いくら想像しても、暑苦しい夜に月夜なんて使わない。”まさに”なんて言葉はもってのほかだ。だからきっと、涼気を湛える空気も含めて、月夜って言葉は成り立ってる。
それがどうとうわけにはならないけど、言葉の持つイメージの多さっていうのは、中々にたまらない物がある。
月夜を想像して、言葉の涼しさに触れるのは、とっても分かりやすい体験だ。
一度やってみたらきっと、肌を撫でる風の感触と、ぽつりと浮かぶ月が、頭から離れなくなることだろうね
絆
絆の語源って知ってますか。
元々は、馬、犬、鷹その他を繋ぎ止める綱だったらしい。今の意味を考えると皮肉に感じる。
でも、その皮肉具合を考えたら、現代の絆もそう大した拘束度合いはないかもしれない。だって、元々が結んでおかないと逃げてしまう動物につける紐なんだから。
きっと今の絆だって、ほっといたら緩んで、そのうち解けちゃうような強度しかない。”最近会ってないな”って感じたら、絆が緩み始めてる証拠なんだ。
絆の緩みを感じたとき、私は大抵、遊びに誘う。文面は適当だ。なんなら、「一緒にうどん食べ行こうぜ」なんて雑さで誘う。
これを送れるかどうかってとっても大事。だって、相手のために時間を使いたいってことだ。こう思える相手って、実はなかなかできない。
大事な人は、繋ぎ止めるのにそれ相応の労力がいる。きっと、その労力は全然苦になるものではないけれど、意識していないと意外と忘れてしまう。一度しっかり絆を結ぶと、しばらく安心できてしまうから。
そんなことで、大事な人をなくしたくないでしょう。だから、私は絆に頼りきらないことをお勧めする。絆は、緩み具合の確認に使うぐらいがいいと思うよ。
絶対、とは言わないけどね
たまには
新しいことをする時、最初の一歩が一番難しい。
変化に対する恐怖心は誰でも持っているものだ。それに、”新しいしいこと”っていうのは、なんだか仰々しい感じがする。とっつきにくい。
でも、だからって毎日同じことしかしないのは退屈すぎる。それじゃ人生をドブに捨ててるようなものだ。
他は知らないけど、私なら、自分の人生は一等好きな場所に居てほしい。
だから、”新しいこと”なんていう堅苦しい言葉には、魔法をかけることにしている。そう、”たまには”って言い換えてしまうんだ。自分に使うこの言葉は、とってもポジティブだし、身の丈に合っている。
みんな、たまには、なんて言葉で自分に負担をかけたりしないでしょう?気楽に、楽しくできる範囲でやり始めるんじゃないかな。
お散歩程度の労力で最初の一歩が踏み出せるんだ。これはとっても凄いことにだと思ってる。だから、何かしてみたいって思ってる人は、私と一緒にこの魔法をかけてみよう。きっと随分と楽しく過ごせるようになる。
たまには、気になっていたことをしようかなって、ね
大好きな君に
拝啓 大好きな君へ
君と会えなくなってから、どれくらい時間が過ぎたのかな。私は今でも君のことを思い出します。
一番頻度が多いのは、君に似てる子を見かけた時。君ってば美人さんだから、その度に「君の方が可愛かった!」って周りの人に自慢して、私は可哀想な子でも見ているような顔をされてしまう。事実君の方が可愛いので、私はとっても遺憾です。
全力で遊んでる子を見かけた時も、思い出すよ。君は私よりお姉ちゃんだったけど、好きなものを前にすると、周りが見えなくなっていたよね。比喩じゃなく引きづり回された思い出は、今でも良い笑い話になっています。
そうそう、仲のいい家族を見かけても、君のことを思い出すよ。小学校の初登校の日、写真が嫌で泣いてた私に寄り添ってくれたよね。君は私のお姉ちゃんで、おばあちゃんだった。初登校の日のことは、私の恥ずかしい話として、やっぱり今でも笑い話になっています。
拝啓、大好きな君へ。君のことはよく思い出していたけど、君に話しかけるのは随分と久しぶりです。こうも久しぶりだと、話したいことが多すぎて、言葉にできなくなってしまう。個人的には、そそぎたてのソーダ泡みたいだなって思います。口にする前に弾けて消えるところとか、そっくりでしょう?
拝啓、大好きな君に。いい機会だと思ったので、手紙を書いているんです。可愛くて、食いしん坊で、ちゃっかりしていて、優しい君に。少しそそっかしくても、すごくいい子な君だったので、もう、全く違う君になっているかもしれませんね。
穏やかな小麦色の体も、ふさふさした尻尾も、くるくる動く大きな身体も大好きだったけど、いま君が幸せなら、見た目なんてどうでもいいかなって思います。どうか、幸せでいてください。
君の最後の家族の末娘より
P.S.
今回の手紙で、話しかけるのって大事だなーと感じたので、また手紙を送るかもしれません。次はもう少し伝えたいことをまとめておこうと思います。楽しみにしてください。
ひなまつり
ひなまつりってものには縁がない。
私は確かに女だが、我が家はひなまつりをするような家ではなかった。その行事自体にあまり興味がなかったから。
みんなはそうは思わないのだろうか。
クリスマスや誕生日のようにプレゼントを貰えるわけでも、ハロウィンのようにお菓子を貰えるわけでも、まして節分のように豆をどこそこにばら撒けるわけでもない。
親の気分がのったら夕食が少し変わる程度である。大変つまらない。
菱餅ひなあられ、はまぐりのお吸い物にちらし寿司、そして大人が飲んでいる白酒がせいぜいである。
ああいや、少し言いすぎたかもしれない。見栄を張った。
当日に食べたことがあるのは、はまぐりの酒蒸しと手巻き寿司。何はともあれ、うちはそういう家だったのだ。