「飛べない豚はただの豚だ」
「……当たり前じゃん? 何でわざわざそんなこと言うの?」
あーヤダヤダ、ジブリ見ない世代来た!
名作よ? 宮崎駿作品の中でも秀逸だと思うんよねー。紅の豚。
森山周一郎、めっちゃ渋いしさー。ジーナも大人の魅力満載で、アドリア海行きてーってなるじゃん!見た直後、飛空艇で空飛びたくなるじゃん、すぐに。カッケーじゃん、純粋に。
「あのさぁ、なんかさっきからごちゃごちゃ蘊蓄垂れててうざいんだけどー。それでもあたし、思うんよ。飛べない翼で、毎日仕事に出掛けてクレーム受けて、愚痴を飲み込んで、くそって足掻いて頑張る君も、相当カッコいいよ? ねえ?」
……君ってすごいね。
たった一言で、僕をポルコ・ロッソにしちまうんだもの。
「誰それ? イタリア人?」
「だから見てよ! 紅の豚だってば!」
#飛べない翼
めちゃくちゃ好きです。「紅の豚」
「なあ、にいちゃん。薄野って読めるか? 読めたらきっと行ったことあるんだろうなア、ぬふふ」
居酒屋のカウンターで隣り合わせになった客に話を向けられる。
見ず知らずのおっさん。酔客には割と声をかけられる方だが……
やれやれ。
「それ、カンハラですよ」
俺は言ってやった。
「へ?」
「漢字読めるかハラスメント。やめた方がいいですよ、普段から普通にやってるなら」
それに、と付け加え。
「ススキノはまだ行ったことないです。札幌に行ったら、一度行きたいとは思ってますけどね」
オヤジさん、お勘定〜。と声をかけて席を立つ。
「毎度!」
「……ほー…」
気の抜けた声が背後でした。おっさんの当惑した声が。
「オヤジい、その、ハラスメントってのは何なんだい?」
#ススキ
脳裏に思い描いたことが、ひとつだけ現実化する力が、ある日身に付いた。
嘘みたいだが、ホントの話。
しかし、何が現実のものとなるかは、ランダムで自分では選べないというから難儀なんだな。
「ねえ、殿山くん、きょうお昼ごはん何にする?」
上司の佐久さんが隣のデスクから声をかけてくれる。
俺のあこがれの人……。今日も麗しい。
「そうですね。こないだできたカフェでも行きますか」
「混んでたらどうする?」
「んー。その時はキッチンカーでもいいですよね」
「それもいいね」
と、その時、佐久さんが椅子の背もたれに身体を預けるようにうーんと思い切り伸びをした。午前中、ずっとデスクでPCにかぶりつきだったから、肩がばきばきなのか、のけ反って首をひねっている。
う、わ……。でっかい……。
豊満なバストのラインが、くっきりと露わだ。のけ反ったせいで。
俺はよこしまな目で見てしまい、気取られないはしないかと焦る。
すると、いきなりむくりと佐久さんは立ち上がり、「殿山くん、悪いけど予定変更していい? 今日、無性に食べたくなった。奢るから」と財布を取り出し、ドアに向かっていく。
「あ、え? 佐久さん?」
留める声も届かず、佐久さんは部屋を出て行った。新しいカフェ、ゼッタイ佐久さんに似合いそうだったんだけどな……。どうしたんだろう急に。
そんな風に思いながら待っていると、しばらくして息せき切って佐久さんが戻ってきた。コンビニの袋を抱えながら。
「殿山くん、今日、これにしよう。肉まんあんまんカレーまん、いっぱい買ってきたから。好きなのどうぞ」
満面の笑顔で俺に差し出す。
「あ、ああ。どうも……」
俺は、おずおずと袋から肉まんを選び出す。ほかほか、ほんわか、やわらかい……。湯気が立っている。
ちぇ。今日の現実化は、これかあ。
俺は脳裏に煩悩を抱いたことを恥じながら、白い饅頭にはむっとかぶりつくのだった。
#脳裏
「紅茶の香り3」
姉のなぎさを女として好きだということを、意味がないことだとは思わない。
だってあいつが大統領に返り咲く国があるんだぜ。
何が現実になるかなんて、誰もわからないだろう?
核のボタンを誰かが気まぐれで押して、
地球上になぎさと二人きりになったりしたら、
なぎさは俺のことを弟ではなく異性として見ることになるかもしれない。
何だってありうる。
常識とか正義とかは、一晩でいっぺんにひっくり返りうる。そんな危うい世界に俺たちはいる。
なのに、それを口に出してなぎさに伝えられない俺は、
恋をするただの男なんだと思うんだよ、母さん。
#意味のないこと
「柔らかな光5」
うちの上司の佐久さんは、めっちゃ可愛い。
直接聞いたことはないけど、30を超えたぐらい。仕事はできるけど、バリキャリじゃない。どんなに忙しくても、笑顔を忘れない。たおやかだ。
お気に入りなのか、シマエナガのグッズを集めている。ひざ掛けとか、丸いふくふくしたシマエナガがついたものを使っていて、見ていて癒される。独り言がくせで、たまに頭の中にあることをぶつぶつダダ洩れさせているのも面白い。
うちの会社のマドンナだ。
俺は、佐久さんの直属の部下になるというラッキーな男だ。同期には羨ましがられた。いいな、いいな殿山は、と。
いいだろう。綺麗で天然で、しかも仕事はきっちりという三拍子そろった上司なんて、「当たり」に間違いない。
佐久さんは入ったカフェで、俺がオーダーしたものを見ながら憂い顔で言う。
「……紅茶の香りって、苦手」
「そうなんですか」
初めて聞く。佐久さんは、昔付き合っていた人に別れを切り出されたとき、ちょうど紅茶を飲んでいたそうだ。それ以来匂いもダメなんだと。申し訳なさそうに。
……なにそれ、可愛い。
俺は思わず向かいに座った佐久さんをガン見する。そのエピソード、可愛すぎないか、んん? 第一佐久さんを振る男ってのはどこのどいつだよ? 何様だよおまえ、って話だ。
佐久さんと付き合えるなんて、男にとっちゃ榮譽にしかならないだろうが。
紅茶の馥郁とした香りに包まれる大好きな時間が、佐久さんにとっては昔の男を呼び覚ます辛い時間だなんて、なんという違いだろう。ーーその記憶ごとのみ干してあげたい!と思ってしまう。
あぶないよね。落ち着け俺。
でも、さすがに付けあわせのスコーンを頬張り、「あ、これ美味しい。サクサク進んじゃう」と言ったところで、「あら、サクサクって、あはは、私か」と口元を手で押さえる。
ーーんもう、可愛いすぎ。
俺はたまらずシュガーポットから角砂糖を掬いあげ、ボトボトとティーカップに落とし込む。勢いよすぎて極甘になってしまった……。でもいいんだ、佐久さんが笑ってくれるなら。生活習慣病だって怖くない、かも。
「俺、上書きするよう頑張ります。紅茶飲んでる時、佐久さんにめっちゃ楽しい話して面白いって思ってもらえるように。そうしたら、佐久さんも紅茶の香り、苦手じゃなくなるかもですよね」
紅茶の苦い記憶を塗り替えたい。佐久さんがこの香りを嗅いで思い出すのは、前の彼氏じゃなく俺だったらいいな。
そんな、決して純粋とは言えない気持ちを佐久さんは
「ありがとう、殿山くん、優しいね」
綺麗な笑顔で受け止めてくれる。
あーもう好き。俺が優しいとしたら、それは相手が佐久さんだからだよ。
俺が、あなたに上書きされちゃうかも。ーー嬉しいやら恥ずかしいやらで手元から目を上げられない俺は、佐久さんを前にいつまでもカップの底にわだかまる砂糖をぐるぐる掻き回していた。
#あなたとわたし
「紅茶の香り」2 もっと読みたい❤︎666ありがとうございます