らくは

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6/14/2024, 12:36:01 PM

「あいまいな空」が今日のテーマだ。晴れるでもなく、降るでもなく、中途半端な曇り空のことだと思う。自分はけっこう空模様に気分を左右されるところがあるし、現代社会でもそういう人は意外と多いと思う。左右される、といっても、ただ「晴れれば気分が良い、雨が降ると気分が沈む」という単純な話でもない。もちろん休日に遊びに出かけるときに晴れれば気分はいいが、仕事や人間関係のストレスに限界まで追い詰められているときに美しい快晴の青空を見ると、いっそう絶望的な気分になる。そういうときは、むしろ曇り空か小雨くらいのほうが落ち着くのだ。そういう意味で、無理に元気を出さなくてもいいと感じるあいまいな空模様も、嫌いではない。

6/13/2024, 12:45:42 PM

紫陽花が今日の作文テーマだ。紫陽花といえば梅雨に咲く花として有名だが、どうして梅雨に咲くのだろう? 紫陽花の花びらのように見える部分は実はガクで、その中心部に小さくちょこちょこと集まっているのが本当の花だ、ということは聞いたことがある。その本当の花から花粉を飛ばすのだろうが、雨ばかりの梅雨の時期では、花粉が風に飛びにくいのではないだろうか。雨に洗い流されて地面に落ちてしまいそうだ。紫陽花の花に蝶や蜂が集まっているのは見たことがないから、虫に花粉を運んでもらう虫媒花ではないだろう。まさかカタツムリは運んでくれないだろうし。では遠くの株とは受粉せず、もっぱら自家受粉をして種を作るタイプなのだろうか? 自分は紫陽花のことをなにも知らない。明日、時間があったら調べてみよう。

(追記)
調べてみたら、紫陽花は蜂やアブに花粉を運んでもらう虫媒花とのことだった。色のついた大きなガクは、それらの虫に花の存在をアピールするためのものらしい。雨の日のイメージが強い紫陽花だが、晴れた日に虫を呼ぶのが花としての本職というわけだ。言われてみれば当然のことか。

6/12/2024, 1:45:10 PM

「好き嫌い」が今日の作文テーマだ。好きなものと嫌いなものがあるのは人間として自然なことだと思うし、何が好きで何が嫌いかというのは、人格をかたちづくる重要な要素だと思う。しかし「好き嫌い」という言葉は、あまり良い意味では使われない。「好き嫌いせずになんでも食べなさい」やら「好き嫌いせずになんでもやってみろ」やら、とにかく子供は「好き嫌いをするな」と言われて育つ。確かにあまりに栄養が偏るのは良くないが、食べられない野菜がひとつやふたつあったところで、それで健康を害するとは思えないのだが。逆に「君は好き嫌いが多くていいね」とか「あなたは好き嫌いが激しくて素敵ね」なんて言い回しは聞いたことがない。好き嫌いが激しい人物像って、けっこう面白くて魅力的だと思うけど。

6/11/2024, 1:08:00 PM

「街」が今日の作文テーマだ。「町」よりも都会的でオシャレな印象の「街」である。自分はもともと田舎で生まれ育ち、しかも人間嫌いで自然が好きな若者だったため、都会に対する憧れは全くなく、むしろ若干毛嫌いしていた。大学進学時には、わざわざ北海道の大学を選んだ。社会人となった今は、夫の仕事の都合で東京圏の端っこに住んでいる。東京圏ではあるが、ギリギリの端っこなので、そこそこ田舎である。趣味のリアル脱出ゲームを目的としてちょくちょく東京へ出かけるようになり、都会の賑やかさや華やかさも好きにはなったが、やはり住みたいとは思わない。「町」に住みながら、たまに「街」に出かけるくらいがちょうどいい。

6/11/2024, 9:46:12 AM

やりたいこと、が今日の作文テーマだ。ちょっと考えれば、やりたいことはたくさん浮かぶ。お気に入りの漫画の続きを読みたい、チョコアイスが食べたい、リアル脱出ゲームに行きたい、良い香りの香水を買いたい、軽井沢に旅行に行きたい。でもそれらは「なにがなんでもやりたいこと」ではない。「それをやりたいなら、その前にこのつらい仕事を頑張れ!」と迫られたら、「あっ、じゃあいいですやらなくて」といってシュッと消えるような「やりたいこと」だ。揺らぎなくなにがなんでもやりたいこと、つまり「夢」があって、そのためならいくらでも努力ができる、という状態なら、人生を生きるのに非常に都合がいいだろう。しかし私にはそういう、がむしゃらに追いかけられる夢はない。強いて言えば私の夢は、「平日は朝9時から夕方5時まで働き、けっして残業はせず、生活に不自由しないだけの給料を稼ぎ、土日祝日は絶対に出勤せず、のんびり趣味と家事をする」である。

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