「朝日の温もり」が今日の作文テーマだが、正直に言って朝日に温もりを感じたことはない気がする。雲がない日の朝日は鮮烈で眩しいが、熱を伝えるほどの力はない。日光に熱を感じられるのは、もっと日が高く昇ってからだ。
「岐路」といえば、道が分岐する場所だ。人生を道に例えるなら、進学、就職、結婚など、重要な分岐がいくつかある。これらが、太い国道を東へ進むか西へ進むかの重要な分かれ道というわけだ。しかしよく考えると、私達の日常はもっとささやかな分岐で溢れている。コンビニでちょっとしたお菓子を買うか買わないかといった具合に。これを道に例えるなら、住宅街の小さな交差点だろうか。別にこの交差点で曲がらなくても、少し進んで次の交差点で曲がっても、同じ目的地にたどり着ける、というような。そんなとき、普段は曲がらない岐路を曲がり、普段は通らない道を通ってみるのも良いかもしれない。そうやって家の近所を隅々まで探索するように、人生を隅々まで楽しんでみたい。
「世界の終わりに君と」が今日の作文テーマだ。
美しい夕陽に照らされた廃墟に、少年と少女がたたずむ。吹きすぎる風が二人の髪を揺らす。二人は小声で何かを語り合い、じっと夕陽を見つめる。
そんなイメージが脳裏に浮かぶ。おそらくポイントは「世界が終わるのだから、もはや彼らを縛るものは何もない」という自由と、「最後のときを、大切な人とともにすることができる」という幸運だと思う。世界が終わるという圧倒的な悲しみを背景として、その自由と幸運がキラキラと輝くのだ。
最悪、という言葉に、わずかに明るさがあるのはなぜだろう。おみくじで小吉が出るよりも、いっそ凶が出たほうが面白い。中途半端な状況のなかでズルズルと努力し続けるよりも、いっそ最悪で終わらせてほしい。最悪の結果になってしまえば、いったん全てを諦められる。全てを諦めて軽くなった心で、再出発ができるはず。
誰にも言えない秘密。それはきっと、とても後ろめたい事。誰かに知られたら、致命的な危機に陥るような。それはきっと、過去に犯してしまった取り返しのつかない過ち。誰にも言えないまま、心の中に押し込まれ、もやもやと重苦しく心を圧迫する。そこから必死で目をそらし、なんとか日常をこなすだろう。すると月日が経つにつれ、少しずつ意識から薄れてゆく。押し込めた秘密の上に固い蓋がされ、そこに何があったのか、自分でもすぐには分からない。ただ「蓋を開けてはいけない」というザラリとした気配が漂うだけだ。それすらも徐々に透明になり、蓋すら意識しなくなる。そんな秘密が心の底に隠れていないと、誰が断言できるだろうか。秘密が劇的に暴かれる日が、いつか来ないと言えるだろうか。