遠江

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7/9/2025, 3:06:14 PM



空梅雨のドッ晴れ。
ロイヤルブルゥのマントが晴天にはためく。
誇り高き近衛騎士のみに許された曇りのない青。

アインスは美しいマントをなびかせ剣を振るった。

「ァぐッ」

相手が悲鳴をあげて地面に伏した。
急所を突いた代わりに、ビッ!と頬に傷が入り、赤が散る。
しかし彼はまるで時計でも眺めているみたいに表情を変えなかった。

「次…」

ゆらりとアインスが、闘技場の出口へ踵を返す。
痛いのは嫌いだ。
楽しくないし、生産性がない。戦士達のホモソーシャルな身内ノリにもついていけないし、叶うことなら部屋にひきこもって研究でもしたい人生だった。

けれど、それは許されない。
''コレ''しか他国へ嫁ぐ姫についていけないから。

《国一番の騎士になる》

姫は輿入れをするとき国外へ騎士をひとり連れてゆける。
これは血筋として〈プリンセス〉を。武力として国一番の〈騎士〉を、他国に献上することによって和平を結ぶためだ。

元来、近衛騎士はプリンセスが初潮を迎えた時に選ぶはずだったが……彼女は最後のワガママとして、試合の日を国を発つ直前まで伸ばさせた。
その時まだ15のアインスに猶予を作るために。

◾︎


時間は少し巻き戻り、今朝。
──決闘試合の日、城の南広場は騎士団旗で埋め尽くされていた。

白く輝く闘技場に、鉄と革の音がこだまする。
観客席には各地の貴族、王族、そして王も。
ひときわ目立つ天蓋付きの純金の貴賓席には、青いドレスを纏い、金の飾り櫛で髪を留めたプリンセスの姿があった。

「アインスは……」

姫は手の甲に指を添えて、声を漏らさないよう唇を押しつけた。
彼が闘技場へ来るかは分からない。
こういうことを好まない人だ。
私として彼にあったのはずっと昔のこと。でも片時も忘れたことはない。
……目をこらすものの、彼の姿は見つけられなかった。
夏の空は近くて、遠い。


ウォおおオオ……!!
雄叫びをあげ先陣を切って現れたのは、すでに名を馳せる騎士たち。

筋骨隆々とした老練の剣士、
数々の戦をかいくぐってきた精鋭。
現姫付きの騎士も名乗りを上げた。

国一番の剣士の座を誰もが望んだ。
姫と外つ国へ渡り二度と故国の地を踏めずとも、それが男の花道。
国一番の称号は、誉れであるから。





試合も中頃。熱狂の歓声が響く中。
ふら、とブルゥの団服を纏った影が入場口に現れた。

一瞬、場がざわつく。
あまりに細身。日焼けひとつない端正な顔。
腰に剣を佩いてはいるが、それよりも書物とペンが似合うだろう。あるいはピアノか、ヴァイオリンかもしれない。
熱気高まる闘技場で、闘志がまるで感じられなかった。
異様に静かなその青年は、他のどの騎士とも違っていた。

「……あれ誰?」
「は?ヤバ…アインスじゃん。入団1日で稽古の出禁食らって、学術部門にいたはずなんだけど」
「アイツ、1回やりあったらその後全部技封じてくんの」
「102期生の間じゃ、映像記憶持ってるって噂ンなってた」

近衛騎士の中で彼を知るものがサワサワと噂話を始める。

アインスは誰とも目を合わせず、まるで観客も対戦相手も見ていないかのように静かに剣を構えた。

(……!)

幻想の中ただ高貴に青に身を包むアインスの姿に、姫が短くハッと息を飲んだ。

(あぁ…、あの時と同じ…)

3年前、アインス15歳の夏。
王国直属の近衛騎士団への正式な所属を認められた日。

祭壇の階段を、ひとりずつ上る少年たちの中で、彼の姿はどこまでも目を引いた。

真新しい騎士団服。
光を受け青く揺れる髪が、まるで原初の精霊のようで。
誰よりも静かで、誰よりも美しく、周囲は思わず息を飲んだのだ。

彼女は震えそうになる手を抑え彼にマントを巻いてやった。ゴールドの刺繍が浮き立つその姿は、少年の頃の彼よりずっと凛々しくってどうしたって気恥しかった。
二人の視線は瞬きの間絡まり、どちらともなく外された。

彼女はこの日の彼を忘れられないでいる。


◾︎

姫は貴賓席で祈るように手を組んでいた。

「……神さまどうか、彼を勝たせて」

彼が一緒に来てくれたらどんなにか嬉しいだろう。
一寸先が見えなくても、彼がそばにいてくれるだけで、どこへ向かうのだとしてもエリュシオンに行く旅路に思える。

──ビューグルのラッパの合図で試合が始まった。

対戦相手は斧を手にした重量型の剣士。
一撃で鎧を砕く力を持つ猛者だったが、アインスは“その力が届く前”に動いていた。

まるで無風。
計算式のような剣筋。

打ち込まれる前に間合いを読み、斧の重さが戻る一瞬の隙を突いて──喉元へ、剣先を向ける。

「……は、お前…何なんだ……?」

勝負は、3分で終わった。
王へ差し出されたアイスティーの氷が溶けぬ間に勝負が着いた。

その時、観客は固唾を飲んだ。
彼は異端。イレギュラーなほどに……強い。





──最終戦。

対峙するのは、現姫付きの騎士。
実質トップ。
国王が“この者を随行させる”とほのめかしていた、誇り高き戦士。
力も技も、申し分ない。

だが、アインスは恐れない。

その背に──

「姫を……コマドリを、一番近くでで護る」

という、たったひとつの願いを背負っているから。


試合が始まる。

「ぐッ」

剣の競り合いに火花が散る。剣と剣がぶつかるたび、オーディエンスが息を呑む。

何度も押され、そしてアインスはガッ、と初めて膝を地についた。
汗がバタバタと地面に落ちる。
景色が蜃気楼のように歪む。
──目の前がブラックアウトしかける中、コマドリの声が届いた気がした。

『どうか、彼を勝たせて………そばにいて欲しいの』



──終わりの瞬間は、静かだった。

アインスの閉じたまぶたの裏にはハッキリと相手の動きが映っていた。訓練場での練習には参加出来なかったが、相手の鎧の継ぎ目を貫いた刃が、
地に突き立つよりも先に、決着のラッパが鳴った。

勝者──

アインス・フォン・クイルンハイム


観客が沸く。
王も頷く。
敗者が潔く礼を取る。

けれどアインスは、ただ一人を見ていた。

貴賓席の姫が、目元を潤ませて、たまらず立ち上がり、両手を胸に当てている。

「……よくやりました。そこの騎士…こちらへ」

中立に民を愛するはずの姫が、今はアインスだけを揺れる瞳に映している。

「は、身に余る光栄を承りまして恐れながらあなた様のお膝元へ参らさせていただきます」

アインスは少しも目を逸らさず彼女の元へ歩いて行く。
姫が僅かに身じろいて、でも彼をしっかりと見つめ返した。

歩みを進めるごとに幼き日を思い出す。
アインス少年は訓練試合で負け散らかして悔しさに下ばかり見ていた。
そんなときひょっこり現れた泥んこ少女が言ったのだ。『あなたが一等賞。だってあなただけが野に咲く花を踏まなかった。いちばん強いひとは、なにも傷つけないひとだもの』と。
その時アインスは骨の髄まで惚れてしまった。
そのためだけに彼はここまで来た。

『ねぇ、また明日もあそんで? ……わたしのおともだちになってくれる?』

そう戸惑いがちに願った幼いプリンセスに頷くことは出来なかったけれど。
今なら言える。

「……姫。どうかあなたの傍に、僕を置いてください。誰よりも、近くに」
「……っ」

姫の瞳からポロッと涙が溢れた。
──その姿に、ようやく彼は表情を崩し、微笑んだ。

これが10余年越しの彼女への返答だった。





お題
届いて…

7/8/2025, 1:43:36 PM

〈メロスにはなれないけど〉



しがない騎士である。

護るべき姫に恋をした、ただの騎士。

ふたつ年下の彼女と出会ったのは彼女がまだ5つの春。
剣の練習試合でコテンパンに負け散らかしていた僕に、ちまこい少女がとてて…!と近づいてきたのだ。

「花かんむり、あげます。あなたが一等賞だもの」
「冗談…」

その時彼女がプリンセスだなんて知らなかったから、適当にあしらった。彼女ドロだらけだったし。

「冗談なものですかっ。失礼しちゃうっ」

彼女は無理に僕をしゃがませて、頭に冠をかぶせながらプリプリつぶやく。

「だってあなたはシロツメクサを踏まなかったもの。いちばん強いひとは、なにも傷つけないひとよっ」

確かに演習場には小さな花がいくつも咲いていた。
反射的には避けてたかも…しれない。下ばかり見てたから。

「うふふ。よく似合ってます」

少女が僕の頭上を見て微笑む。

「……や、やめてよ」

花冠が似合うなんて、…彼女の春のように優しい心はわからないでもなかったが、嫌だった。花が似合うなんてそんなのか弱い女の子みたいじゃないか。
顔を背けても、ニコニコニコニコ彼女が見つめてくる。
耐えられず冠を乱暴にとる。

「ッほら、君の方がピッタリだっ」
「わぁ!」

彼女の頭に雑に、…でも乗せる時だけはすこし速度を緩めて冠を被せた。

「ふふ。まるきりお姫様みたいじゃないか」
「…………ッ」

彼女がボロッ!っと泣いた。
脈絡なく、まるで雑なコラ画像みたいだった。

「えっ?、泣??」

僕は慌てた。
メロスは走った──違う。
僕はその時何も出来なかった。

「うぅう''ぅ……やだ…お姫さまなんて、…ヤだ。籠の鳥なんかじゃないもん…好きな時にお歌、歌えるもん…」

ちいちゃな女の子は身体中が水でできてたんじゃないかというほど涙を零した。僕はしゃがまされていたから上から彼女の雨が降ってきた。

「ご、ごめんね?多分、いや絶対僕が悪かったんだよね…?なか、泣かないで……泣き止ませる方法を知らない……」

ゴニョニョそんなことを言っていたと思う。

「僕のことピニャータだと思って木とかに吊るして叩いて遊んでいいよ…多分いっぱい血が出てなんかのお祭りみたいになってちょっとは楽しいかも。に、人間って根本的に破壊することが好きだから…」

彼女の涙が白い花の上にはじける。

「あ、あれか?君、王子の方になりたかった??ごめ、ごめんね?そうだよ、今は女の子だって男の子にでもなれる時代だもんね…お姫様じゃなかった? コンプライアンス違反だったよね…ハラスメント研修まだ受けてなくて若輩者ですみません…」

当時から剣術はからきしだが、頭だけは無駄に良かったのでテンパってよく回る口でこんなことを言ってた……気がする。

「……」

気がつくと雨が止んでいた。
涙の止まった君がおっきな目で僕を見下ろしていた。

「な、なに? ピニャータの棒なら僕の木刀使って…いいよ……」

僕は意を決した。
年下の女の子にボコられるというかなりカッコ悪い決意をした。メロスのようにはなれなかった。

「あなた……お名前は?」

少女が水っぽい声を出す。

「えっ急……ア、アインスだけど…」
「アインス」
「は、はい」
「わたし、コマドリっていうの」
「へぇ……」

話の流れが分からなかった。
女の子ってほんとうにお砂糖とスパイスと爆発的な何かで出来てるんじゃないかな…。多分1+1も分からないんじゃないか?

「わたし、コマドリだし、お姫様だし……でも王子様にもなれる…?」
「え…ぁ…なれないとは、言いきれない……」
「!ほんとう?」
「うん…存在することの証明は容易いけれど、存在しないことの証明って難しいんだ」
「??」
「えっと…可能性は、あるってこと」
「!」

彼女がぱぁっ!と笑った。
僕は息を飲んだ。
彼女は花が似合うんじゃなくて、花そのものだった。

「うふふ…うふふ…わたし、何にでもなれるのね。すてき…!」

花かんむりを抱きしめて少女はシロツメクサの咲く芝生でくるくる回った。しばらく間そうしていて、花かんむりで顔を隠すようにしてこう僕に聞いてきた。

「ねぇ、アインス。……わたし、あなたのお友達にも…なれる?」
「ともだち…?」

彼女が祈るような瞳でこちらを見ている。
僕は口を開きかけた。

「姫様〜ッ!」
「あぅ!ばぁや」

彼女は仔猫みたいに『みっ!』と首根っこを掴まれた。

「またお勉強をサボって!訓練場に忍び込んでいるなんて殿下に知られたらと思うとばぁやの短い老い先がさらに短くなります」
「あ、あ、やだ、やだ!お友達ができたのっ」
「ご友人?」

彼女がばぁやと呼んだ女性の瞳が僕を見据えた。
まずい。この人偉い人だ。
咄嗟にひざまずき最敬礼をする。
そして多分このどろんこお転婆娘はきっと──

「…………」
「表をあげなさい。口を開くことを許可します」
「有り難き幸せにございます…はい、いいえ僕はプリンセスの友人など身に余る関係にはございません」
「やだ!」
とコマドリが言う。
「そう…お前は賢い子ですね、それでは訓練に励みなさい」
「は…。ツェンザレンに栄光があらんことを」

何とか、言い終えた。

「やだやだ帰らないったら帰らない!アインスとお話するの〜っ! あ〜っ」

駄々をこねる声がだんだん遠くなる。
完全に声が聞こえなくなってから僕は顔を上げた。
春風が吹く。
彼女の姿はどこにもなかった。
ほんとうにあの子、お姫様だったんだ…。

シロツメクサの上にポツンと花かんむりだけが残っている。
僕はそれを何故か拾い上げた。
彼女がこれをくれた。
下ばかり見ていた僕を見てくれて、友達になりたいって。花冠を抱きしめて彼女は自由にくるくるまわっていた。
友達にはなれない。でも、……別の形だとしても泣くあの子を護れたら良い、と思う。
それは仕方なく父に言われるまま剣術を流しでしていた僕の唯一の目標になった。
あの子の一番傍にいたい。


◾︎


「ん…朝か……」

まだ肌寒い春風が立て付けの悪い家の隙間を通って、アインスの顔を撫でた。
騎士見習いの朝は早い。
寝ぼけ眼を擦って机の上に目をやる。

ボンヤリと白んだ空に照らされたドライフラワー。
あれから何度季節が巡っただろう。
でも、これ見る度にあの日のことを思い出す。

「……待っててね、コマドリ」



7/8/2025, 9:50:53 AM

私は国の妻になった。
でも心は私のもの。

国外へ嫁ぐ日。
朝焼けの匂いがする空。
近衛の騎士が私の手を取って、
「どこまでもお連れします、あなたが望むなら」
と私の目を見て言った。
今も覚えているあのときの彼の手は震えていた。

「………嬉しい」

彼は私のほんの少女の時分からの想い人だった。
森で迷子になった時、婚約が決まり二度と故国の地を踏めないと泣きくれていた時、決まって彼がそばに居た。

でも、と思う。私の今があるのは国民がいるからだ。何不自由なく暮らせているのは彼らのおかげ。それにドロを塗ることはできない。
私だけが自由になることは、できない。

二人の頭上を一羽の鳥が紅く輝く空へ羽ばたく。

「また、明日。……そういってね」

二度と来ない明日を約束して、私は彼にキスをした。
彼は息を飲んだ。
初めては彼が良かった。だから、よかった。

朝が来る。
少女の時が静かに終わり、国の母としての一日が始まるのを感じた。