空梅雨のドッ晴れ。
ロイヤルブルゥのマントが晴天にはためく。
誇り高き近衛騎士のみに許された曇りのない青。
アインスは美しいマントをなびかせ剣を振るった。
「ァぐッ」
相手が悲鳴をあげて地面に伏した。
急所を突いた代わりに、ビッ!と頬に傷が入り、赤が散る。
しかし彼はまるで時計でも眺めているみたいに表情を変えなかった。
「次…」
ゆらりとアインスが、闘技場の出口へ踵を返す。
痛いのは嫌いだ。
楽しくないし、生産性がない。戦士達のホモソーシャルな身内ノリにもついていけないし、叶うことなら部屋にひきこもって研究でもしたい人生だった。
けれど、それは許されない。
''コレ''しか他国へ嫁ぐ姫についていけないから。
《国一番の騎士になる》
姫は輿入れをするとき国外へ騎士をひとり連れてゆける。
これは血筋として〈プリンセス〉を。武力として国一番の〈騎士〉を、他国に献上することによって和平を結ぶためだ。
元来、近衛騎士はプリンセスが初潮を迎えた時に選ぶはずだったが……彼女は最後のワガママとして、試合の日を国を発つ直前まで伸ばさせた。
その時まだ15のアインスに猶予を作るために。
◾︎
時間は少し巻き戻り、今朝。
──決闘試合の日、城の南広場は騎士団旗で埋め尽くされていた。
白く輝く闘技場に、鉄と革の音がこだまする。
観客席には各地の貴族、王族、そして王も。
ひときわ目立つ天蓋付きの純金の貴賓席には、青いドレスを纏い、金の飾り櫛で髪を留めたプリンセスの姿があった。
「アインスは……」
姫は手の甲に指を添えて、声を漏らさないよう唇を押しつけた。
彼が闘技場へ来るかは分からない。
こういうことを好まない人だ。
私として彼にあったのはずっと昔のこと。でも片時も忘れたことはない。
……目をこらすものの、彼の姿は見つけられなかった。
夏の空は近くて、遠い。
ウォおおオオ……!!
雄叫びをあげ先陣を切って現れたのは、すでに名を馳せる騎士たち。
筋骨隆々とした老練の剣士、
数々の戦をかいくぐってきた精鋭。
現姫付きの騎士も名乗りを上げた。
国一番の剣士の座を誰もが望んだ。
姫と外つ国へ渡り二度と故国の地を踏めずとも、それが男の花道。
国一番の称号は、誉れであるから。
✦
試合も中頃。熱狂の歓声が響く中。
ふら、とブルゥの団服を纏った影が入場口に現れた。
一瞬、場がざわつく。
あまりに細身。日焼けひとつない端正な顔。
腰に剣を佩いてはいるが、それよりも書物とペンが似合うだろう。あるいはピアノか、ヴァイオリンかもしれない。
熱気高まる闘技場で、闘志がまるで感じられなかった。
異様に静かなその青年は、他のどの騎士とも違っていた。
「……あれ誰?」
「は?ヤバ…アインスじゃん。入団1日で稽古の出禁食らって、学術部門にいたはずなんだけど」
「アイツ、1回やりあったらその後全部技封じてくんの」
「102期生の間じゃ、映像記憶持ってるって噂ンなってた」
近衛騎士の中で彼を知るものがサワサワと噂話を始める。
アインスは誰とも目を合わせず、まるで観客も対戦相手も見ていないかのように静かに剣を構えた。
(……!)
幻想の中ただ高貴に青に身を包むアインスの姿に、姫が短くハッと息を飲んだ。
(あぁ…、あの時と同じ…)
3年前、アインス15歳の夏。
王国直属の近衛騎士団への正式な所属を認められた日。
祭壇の階段を、ひとりずつ上る少年たちの中で、彼の姿はどこまでも目を引いた。
真新しい騎士団服。
光を受け青く揺れる髪が、まるで原初の精霊のようで。
誰よりも静かで、誰よりも美しく、周囲は思わず息を飲んだのだ。
彼女は震えそうになる手を抑え彼にマントを巻いてやった。ゴールドの刺繍が浮き立つその姿は、少年の頃の彼よりずっと凛々しくってどうしたって気恥しかった。
二人の視線は瞬きの間絡まり、どちらともなく外された。
彼女はこの日の彼を忘れられないでいる。
◾︎
姫は貴賓席で祈るように手を組んでいた。
「……神さまどうか、彼を勝たせて」
彼が一緒に来てくれたらどんなにか嬉しいだろう。
一寸先が見えなくても、彼がそばにいてくれるだけで、どこへ向かうのだとしてもエリュシオンに行く旅路に思える。
──ビューグルのラッパの合図で試合が始まった。
対戦相手は斧を手にした重量型の剣士。
一撃で鎧を砕く力を持つ猛者だったが、アインスは“その力が届く前”に動いていた。
まるで無風。
計算式のような剣筋。
打ち込まれる前に間合いを読み、斧の重さが戻る一瞬の隙を突いて──喉元へ、剣先を向ける。
「……は、お前…何なんだ……?」
勝負は、3分で終わった。
王へ差し出されたアイスティーの氷が溶けぬ間に勝負が着いた。
その時、観客は固唾を飲んだ。
彼は異端。イレギュラーなほどに……強い。
✦
──最終戦。
対峙するのは、現姫付きの騎士。
実質トップ。
国王が“この者を随行させる”とほのめかしていた、誇り高き戦士。
力も技も、申し分ない。
だが、アインスは恐れない。
その背に──
「姫を……コマドリを、一番近くでで護る」
という、たったひとつの願いを背負っているから。
試合が始まる。
「ぐッ」
剣の競り合いに火花が散る。剣と剣がぶつかるたび、オーディエンスが息を呑む。
何度も押され、そしてアインスはガッ、と初めて膝を地についた。
汗がバタバタと地面に落ちる。
景色が蜃気楼のように歪む。
──目の前がブラックアウトしかける中、コマドリの声が届いた気がした。
『どうか、彼を勝たせて………そばにいて欲しいの』
──終わりの瞬間は、静かだった。
アインスの閉じたまぶたの裏にはハッキリと相手の動きが映っていた。訓練場での練習には参加出来なかったが、相手の鎧の継ぎ目を貫いた刃が、
地に突き立つよりも先に、決着のラッパが鳴った。
勝者──
アインス・フォン・クイルンハイム
観客が沸く。
王も頷く。
敗者が潔く礼を取る。
けれどアインスは、ただ一人を見ていた。
貴賓席の姫が、目元を潤ませて、たまらず立ち上がり、両手を胸に当てている。
「……よくやりました。そこの騎士…こちらへ」
中立に民を愛するはずの姫が、今はアインスだけを揺れる瞳に映している。
「は、身に余る光栄を承りまして恐れながらあなた様のお膝元へ参らさせていただきます」
アインスは少しも目を逸らさず彼女の元へ歩いて行く。
姫が僅かに身じろいて、でも彼をしっかりと見つめ返した。
歩みを進めるごとに幼き日を思い出す。
アインス少年は訓練試合で負け散らかして悔しさに下ばかり見ていた。
そんなときひょっこり現れた泥んこ少女が言ったのだ。『あなたが一等賞。だってあなただけが野に咲く花を踏まなかった。いちばん強いひとは、なにも傷つけないひとだもの』と。
その時アインスは骨の髄まで惚れてしまった。
そのためだけに彼はここまで来た。
『ねぇ、また明日もあそんで? ……わたしのおともだちになってくれる?』
そう戸惑いがちに願った幼いプリンセスに頷くことは出来なかったけれど。
今なら言える。
「……姫。どうかあなたの傍に、僕を置いてください。誰よりも、近くに」
「……っ」
姫の瞳からポロッと涙が溢れた。
──その姿に、ようやく彼は表情を崩し、微笑んだ。
これが10余年越しの彼女への返答だった。
お題
届いて…
7/9/2025, 3:06:14 PM