遠江

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〈メロスにはなれないけど〉



しがない騎士である。

護るべき姫に恋をした、ただの騎士。

ふたつ年下の彼女と出会ったのは彼女がまだ5つの春。
剣の練習試合でコテンパンに負け散らかしていた僕に、ちまこい少女がとてて…!と近づいてきたのだ。

「花かんむり、あげます。あなたが一等賞だもの」
「冗談…」

その時彼女がプリンセスだなんて知らなかったから、適当にあしらった。彼女ドロだらけだったし。

「冗談なものですかっ。失礼しちゃうっ」

彼女は無理に僕をしゃがませて、頭に冠をかぶせながらプリプリつぶやく。

「だってあなたはシロツメクサを踏まなかったもの。いちばん強いひとは、なにも傷つけないひとよっ」

確かに演習場には小さな花がいくつも咲いていた。
反射的には避けてたかも…しれない。下ばかり見てたから。

「うふふ。よく似合ってます」

少女が僕の頭上を見て微笑む。

「……や、やめてよ」

花冠が似合うなんて、…彼女の春のように優しい心はわからないでもなかったが、嫌だった。花が似合うなんてそんなのか弱い女の子みたいじゃないか。
顔を背けても、ニコニコニコニコ彼女が見つめてくる。
耐えられず冠を乱暴にとる。

「ッほら、君の方がピッタリだっ」
「わぁ!」

彼女の頭に雑に、…でも乗せる時だけはすこし速度を緩めて冠を被せた。

「ふふ。まるきりお姫様みたいじゃないか」
「…………ッ」

彼女がボロッ!っと泣いた。
脈絡なく、まるで雑なコラ画像みたいだった。

「えっ?、泣??」

僕は慌てた。
メロスは走った──違う。
僕はその時何も出来なかった。

「うぅう''ぅ……やだ…お姫さまなんて、…ヤだ。籠の鳥なんかじゃないもん…好きな時にお歌、歌えるもん…」

ちいちゃな女の子は身体中が水でできてたんじゃないかというほど涙を零した。僕はしゃがまされていたから上から彼女の雨が降ってきた。

「ご、ごめんね?多分、いや絶対僕が悪かったんだよね…?なか、泣かないで……泣き止ませる方法を知らない……」

ゴニョニョそんなことを言っていたと思う。

「僕のことピニャータだと思って木とかに吊るして叩いて遊んでいいよ…多分いっぱい血が出てなんかのお祭りみたいになってちょっとは楽しいかも。に、人間って根本的に破壊することが好きだから…」

彼女の涙が白い花の上にはじける。

「あ、あれか?君、王子の方になりたかった??ごめ、ごめんね?そうだよ、今は女の子だって男の子にでもなれる時代だもんね…お姫様じゃなかった? コンプライアンス違反だったよね…ハラスメント研修まだ受けてなくて若輩者ですみません…」

当時から剣術はからきしだが、頭だけは無駄に良かったのでテンパってよく回る口でこんなことを言ってた……気がする。

「……」

気がつくと雨が止んでいた。
涙の止まった君がおっきな目で僕を見下ろしていた。

「な、なに? ピニャータの棒なら僕の木刀使って…いいよ……」

僕は意を決した。
年下の女の子にボコられるというかなりカッコ悪い決意をした。メロスのようにはなれなかった。

「あなた……お名前は?」

少女が水っぽい声を出す。

「えっ急……ア、アインスだけど…」
「アインス」
「は、はい」
「わたし、コマドリっていうの」
「へぇ……」

話の流れが分からなかった。
女の子ってほんとうにお砂糖とスパイスと爆発的な何かで出来てるんじゃないかな…。多分1+1も分からないんじゃないか?

「わたし、コマドリだし、お姫様だし……でも王子様にもなれる…?」
「え…ぁ…なれないとは、言いきれない……」
「!ほんとう?」
「うん…存在することの証明は容易いけれど、存在しないことの証明って難しいんだ」
「??」
「えっと…可能性は、あるってこと」
「!」

彼女がぱぁっ!と笑った。
僕は息を飲んだ。
彼女は花が似合うんじゃなくて、花そのものだった。

「うふふ…うふふ…わたし、何にでもなれるのね。すてき…!」

花かんむりを抱きしめて少女はシロツメクサの咲く芝生でくるくる回った。しばらく間そうしていて、花かんむりで顔を隠すようにしてこう僕に聞いてきた。

「ねぇ、アインス。……わたし、あなたのお友達にも…なれる?」
「ともだち…?」

彼女が祈るような瞳でこちらを見ている。
僕は口を開きかけた。

「姫様〜ッ!」
「あぅ!ばぁや」

彼女は仔猫みたいに『みっ!』と首根っこを掴まれた。

「またお勉強をサボって!訓練場に忍び込んでいるなんて殿下に知られたらと思うとばぁやの短い老い先がさらに短くなります」
「あ、あ、やだ、やだ!お友達ができたのっ」
「ご友人?」

彼女がばぁやと呼んだ女性の瞳が僕を見据えた。
まずい。この人偉い人だ。
咄嗟にひざまずき最敬礼をする。
そして多分このどろんこお転婆娘はきっと──

「…………」
「表をあげなさい。口を開くことを許可します」
「有り難き幸せにございます…はい、いいえ僕はプリンセスの友人など身に余る関係にはございません」
「やだ!」
とコマドリが言う。
「そう…お前は賢い子ですね、それでは訓練に励みなさい」
「は…。ツェンザレンに栄光があらんことを」

何とか、言い終えた。

「やだやだ帰らないったら帰らない!アインスとお話するの〜っ! あ〜っ」

駄々をこねる声がだんだん遠くなる。
完全に声が聞こえなくなってから僕は顔を上げた。
春風が吹く。
彼女の姿はどこにもなかった。
ほんとうにあの子、お姫様だったんだ…。

シロツメクサの上にポツンと花かんむりだけが残っている。
僕はそれを何故か拾い上げた。
彼女がこれをくれた。
下ばかり見ていた僕を見てくれて、友達になりたいって。花冠を抱きしめて彼女は自由にくるくるまわっていた。
友達にはなれない。でも、……別の形だとしても泣くあの子を護れたら良い、と思う。
それは仕方なく父に言われるまま剣術を流しでしていた僕の唯一の目標になった。
あの子の一番傍にいたい。


◾︎


「ん…朝か……」

まだ肌寒い春風が立て付けの悪い家の隙間を通って、アインスの顔を撫でた。
騎士見習いの朝は早い。
寝ぼけ眼を擦って机の上に目をやる。

ボンヤリと白んだ空に照らされたドライフラワー。
あれから何度季節が巡っただろう。
でも、これ見る度にあの日のことを思い出す。

「……待っててね、コマドリ」



7/8/2025, 1:43:36 PM