椎名千紗穂

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4/22/2024, 12:10:26 PM


手が、震えている。武者震いだと、そう強がってみせた。内心ガクガクブルブル震えてて、とてもそんな格好ないいもんじゃないことは自分がよく分かっている。
けれど、それ以上に。
世界の全てを敵に回してでも戦うのだと、そう胸を張れない自分でいることのほうがよっぽど恐ろしかった。震えていたのは、君も同じだから。

何かが壊れてしまう。
何かが取り返しがつかなくなる。
何かが失われてしまう。

だから、立ち向かうのだ。たったひとつ、されどひとつ譲れぬ誇りのために。
その矜恃が間違いであるなんて、誰にも言わせない。己が己であるために、君のために我が誇りの全てをかけて君の味方になるのだ。誰に後ろ指を指されようとも、この決意には適うものなどありはしない。

4/22/2024, 7:01:07 AM

その旅は決して前向きなモチベーションの下に決行されたものではなかった。現実に適応できない自分にほとほと嫌気がさして、いっそ終わるなら誰も自分を知らないような場所で果ててやろうと決心してのことだったからだ。

「ついてきな、いいもん見せてやるよ」

青い瞳のそいつは、嫌がる私の手を掴むと笑いながらあと少し、あと少しと言ってかれこれ3日も深い洞穴の底へとあゆみ続けた。

「あんた、私がどうしてこんな辺鄙なところまでやってきたのか分かってる?」
「知らなかったらこんなことするか? まあいいから、いいから」

洞穴はなおも深く、深く。灯りという灯りはなく、それこそ自分が生きているのかさえも分からない。疲労で足元がおぼつかなくなり、何度も転びかける度に「ああ、まだ足はついている」と不思議と安堵した。

そして、目の前に現れた光景に私は息を呑む。言葉では言い表せないほどの絶景がそこにはあった。深い地の底にありながら、冷たい光が洞穴を満たしている。広がる地底湖には、輝く魚たちが泳ぎ回っていた。

「驚いた?」

驚かない方が難しかろうに、こんな光景を見せられては。見上げると、鍾乳石のようなものがいくつも天井から伸びている。曰く、あれは母なる天樹の根だというのだ。見上げているうち、根から雫が水面に堕ちる。堕ちた雫は、波紋と同時に光の魚となって跳ねた。

「死ぬにはいいところだ、俺もそう思う」
「……分かってて言ってるの?」

くそ、なんてことだ。不覚にも、もっとこんな光景を見てみたいと思ってしまったじゃないか。仕方ない、自殺ツアーは後からでも出来る。どうやら死ぬのは先送りにするしかなくなってしまったらしい。

4/20/2024, 3:36:55 PM

「酷いもんだ」
思わず、そんな言葉が零れる。その世界に蹲るもう一人の自分の姿は悲しんでいるような、怒っているような風に見えた。あるいはそのどちらでもあるのかもしれないし、またどちらでもないのかもしれない。
「覚者にでもなったつもりか」
声帯が錆び付いているかのような声が零れる。およそ言葉と言えるのかさえ怪しい音の羅列。耳を塞ぎたくなる衝動を堪え、己と向き合う。かつてはあった懐かしい記憶の数々。学校、ビル、アパート、橋、施設、塔……その全てが原型もないほどに朽ち果てている。
「分かってるだろ、俺が壊した。もう二度と、そんなものに縋らなくてもいいように。いらない、もう何もかも」
「そうだな……」
己の手のひらを開けて、見つめる。かつてはこの手が何もかも掴んできた。だというのに、この手のひらにはもう何も残っていなかった。
代わりに、ギュッとめいっぱいに握りしめる。それはもう、何もいらないという意思表示のようにも見えた。

4/20/2024, 12:42:36 AM

未来が見えるようになる手術が開発されたらしい。視覚的になのか、イメージとして見られるようになるのかは定かでは無いが。世間はもう、将来のことを考える憂いから人間は解放されるのだと浮き足立っている。

「へえ、なるほど。そいつはなかなか興味深い話だ」

男はクルクルとペンを指先で弄びながら言った。言葉とは裏腹に、実に無関心な風に。私は少しムッとなり、少し意地の悪いことを聞いてみることにした。半分は意趣返しのつもりだったが、もう半分は純粋な興味からくるものだった。何せ、私は件の手術を考案したメンバーの一人だからである。

「では、人間は未来の次に何を求めるようになると思う?」
「未来を知らなくて済むようになる手術」

4/19/2024, 3:45:28 AM

その旅は、希望に満ちた航路になるはずだった。あれがしたい、これがしたい。やりたいことも、願いも抱えきれない程に詰め込んで。
……けれど現実という嵐が吹き荒れ、魂を引き裂くような雷鳴が自我を塗りつぶしていく。あれぼど彩り溢れた世界は、いつの間にか白と黒……よくて灰色へと変貌した。鮮やかさは消え失せ、見ても見なくても変わり映えしない日常へと堕ちていった。

どうして、どうして、どうして。
頭の中に自問の声が響き続ける。答えは帰ってこない、だってその答えにはとっくに気がついているのだから。この自問に意味はなく、そして価値もなく甲斐もない。


気がつけばそこに残ったのは希望も、気力も失せた憐れな抜け殻だけだった。ただただ日々は過ぎていく、頭のなかで自問の声は鳴り響き続ける。ああ、うるさい。なんて、耳障りな声。けれどもう、叫び返す力も残っていない。こうして無為な魂は、時間の砂にすり減らされていくばかりなのだ--そのはずだった。


「なんだ、やればできるじゃないか」

声が聞こえた。走ろうとすればもつれる足も、ゆっくり、ただゆっくりと進めばもつれることもない。周りにいた仲間たちは、もうどこにもいなかった。追い抜かれていったのかもしれないし、あるいは置いてきてしまったのかもしれない。
世界には、自分だけが残った。
けれど、不思議とさびしくはない。顔を上げると、少しまた少しと色彩を取り戻し始めた世界があった。

惨めでもいい--そうだとも。

哀れでもいい--そうだとも。

情けなくてもいい--そうだとも。

みっともなくてもいい--そうだとも。


ここで終わっても--そうはいかない。


どうやら、生きているなら悪あがきは出来るらしい。口元に懐かしい不敵な笑みが浮かぶ。錆び付いたマストに、ボロボロの帆が張られた。色のない世界に、目を細めるほどの碧が広がった。


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