「俺達別れよう」
あなたと一緒に飲むラテも
あなたと一緒に見る映画も
あなたと一緒に悩む勉強も
あなたと一緒に過ごす熱い夜も
これで、この一言で終わるのね。
その前に最後に言わせて
「愛してるからね」
難産だった。へとへとだった。立ち会った夫は役立たずだった。
産まれても産声が聞こえなかった。
その時間が人生でも一番長く感じた。
助産師さんが背中をバシバシ叩くのを心配しながら見ていて前触れもなく
甲高く産声を上げたときホッとしてぐったりしてしまったがその倍夫がぐったり。
君をだっこして、こんな小さな身体で弱々しく、でも力強く生きようとする命の素敵さを感じ、
ぼそっと、君の名前を呟くと心なしか喜んでるような、そんな気がした。
君はこれから大きくなって、喧嘩して、誕生日祝って、運動会に参加して。
私達の子供 と 一人の人 として歩んでいって。こんな小さな体から、ぐったりしてる夫みたいにビックボディになるんだな。。
なんか不思議。
「産まれてきてくれて、ありがとう。これからよろしくね。」
BL推しとか、狂気地味たレベルで推し活してる事なんて、外でおっぴろげに口にできませんよねぇ〜
でも、本人はいたって真剣に推し活しているんです!!
心の中とスマホと財布と推しスペースだけで、誰にも負けないメラメラと燃えつつ音を立てない情熱があるっっていう😞
ただ推しの誕生日とか、仲間を見つけたときだけは、火山噴火並みに情熱が爆発します😌
「ひとひらの愛」てたまに聞くが。
文学的表現なので、その人の性格や今の状況によっても捉え方が変わる。
とてもロマンチックな表現に見えるが私はあまりそう思わない。
ひとひら は花びら一枚、またはほんの少し。という意味と思うと、
些細すぎる愛、愛と呼べるかわからないほど微量の愛なのではないかと思ってしまう。
または今にも砕け散りそうな愛なのではないかと。
ただその少しの、伝わることのない、微量の愛にどれほどの「思い」があり、「想い出」があるのか、
そのように考えるととてもロマンチックなのではないか。。と思ってしまったり。
ひとひらの愛 この言葉から無限に想像することができる。。。素敵だな〜
『君は完璧だ。
僕は駄作だ。』
『いやいや、
僕は駄作だ。
君は完璧だ。』
自分から自分を見ると駄作に見えるけど人から見ると完璧や上に見えることがある。
自分の価値は「自分の主観+相手の評価÷2」だ。
だから、自分の価値を自分ひとりの力で決めることはできない。
上の会話の場合、点数ならお互い100点を与え自己採点は0点だ。
じゃあ半分こしてお互い50点、足りない点はお互いで補い合おうではないか。。。