BL推しとか、狂気地味たレベルで推し活してる事なんて、外でおっぴろげに口にできませんよねぇ〜
でも、本人はいたって真剣に推し活しているんです!!
心の中とスマホと財布と推しスペースだけで、誰にも負けないメラメラと燃えつつ音を立てない情熱があるっっていう😞
ただ推しの誕生日とか、仲間を見つけたときだけは、火山噴火並みに情熱が爆発します😌
「ひとひらの愛」てたまに聞くが。
文学的表現なので、その人の性格や今の状況によっても捉え方が変わる。
とてもロマンチックな表現に見えるが私はあまりそう思わない。
ひとひら は花びら一枚、またはほんの少し。という意味と思うと、
些細すぎる愛、愛と呼べるかわからないほど微量の愛なのではないかと思ってしまう。
または今にも砕け散りそうな愛なのではないかと。
ただその少しの、伝わることのない、微量の愛にどれほどの「思い」があり、「想い出」があるのか、
そのように考えるととてもロマンチックなのではないか。。と思ってしまったり。
ひとひらの愛 この言葉から無限に想像することができる。。。素敵だな〜
『君は完璧だ。
僕は駄作だ。』
『いやいや、
僕は駄作だ。
君は完璧だ。』
自分から自分を見ると駄作に見えるけど人から見ると完璧や上に見えることがある。
自分の価値は「自分の主観+相手の評価÷2」だ。
だから、自分の価値を自分ひとりの力で決めることはできない。
上の会話の場合、点数ならお互い100点を与え自己採点は0点だ。
じゃあ半分こしてお互い50点、足りない点はお互いで補い合おうではないか。。。
ドライフラワー
枯れないからこそ、思い出も枯れずに忘れない。という人もいる。
でも世話が必要ない、そうするとホコリをかぶってしまうかもしれない。
生きてる花は、人生と同じくいつか枯れてしまうし、世話をしないと枯れてしまう。
世話が必要だからこそ、子供のように、ペットのように、可愛がれ、忘れず、そしていつか終わりが来る。
ドライフラワーは常にある。目で見ればすぐそこにある。
終りがあるからこそ記憶に残り。目ではわからない、心の中の思い出の保管庫に残るのではないかなと思う。
互いに、互いをすべてしることはできないのに、すべてが愛おしく思えるのだ