「少し違うが、『積み重ねた努力は裏切らない』に対して、『縦に積み重ねるな。平面に並べろ』っつった人なら知ってるわ」
今日も今日とて難題続き。なんなら自分は実は執筆自体が苦手じゃないか。連日の超苦戦に対し、某所在住物書きは己の得意不得意を疑い始めた。
実は俺、そもそも他人からのお題でハナシ書くの、バチクソ苦手?
「一点突破で努力を積むと、その一点が崩れたら全部やり直しだけど、意味ある努力も意味ない努力も等しくズラッと並べておけば、崩れる心配ないし、いつか『意味ない努力』が役立つ日が来るかも、だったか」
懐かしいな。あの先生、今何してるだろう。
物書きは自室の窓から、空を見上げため息をつく。
――――――
職場で長いこと一緒に仕事してる先輩のアパートに向かってたら、なんか私の推しゲーセンサーにバチクソ反応する妙なひとを見かけた。
「すいません」
黒メガネに白マスク、猫耳帽子ならぬ犬耳帽子。
茶色いオータムコートに手を突っ込んで、
怪しい、あきらかに、あやしい。
「このあたりに、言葉を話す子狐の居る稲荷神社がある筈なのですが、ご存知ありませんか」
「ことばをはなす、こぎつね……?」
その怪しいひとは私が推してるゲームの、
だいたい二次創作界隈でも公式のギャグパートでも、私の推しカプのうちの片方、ルリビタキっていう男性キャラと喧嘩してる、
モフモフキュートが大好きで、モフモフキュートなら敵でも味方でも密航者でも接待しちゃう
組織の受付さんと同じ声で、私に話しかけてきた。
「稲荷神社ならこの道まっすぐ行った先にありますけど、言葉を話す狐はちょっと知りませんね」
「ありがとう。行ってみます」
声が私の推しゲーのキャラに似てる不審者は、私に軽く会釈して、とことこ神社の方に歩いてった。
声しか似てなさそうな不審者に、なんで私の推しゲーセンサーが反応したのか意味不明だ。
誰だったんだろう。あの変人。
「意味ない。考えても、多分、意味ないや」
忘れよう。そうだ、わすれよう。
私は小さく首を振って、先輩のアパートに急いだ。
――「言葉を話す子狐の神社の場所を聞いてくる女性なら、私もつい1時間前、会った」
先輩のアパートに到着すると、先輩は相変わらずの手際の良さで、シェアランチの準備をしてた。
「服装が服装で、質問が質問だったから、知らぬ存ぜぬで通したら、今度は『この近辺に美味いペットフードを取り扱っている、可能ならジャーキーの店は無いか』だとさ。本当に意味がわからない」
私と先輩は、食費と調理費とガス光熱費の節約を目的に、たまにこうしてシェアランチをする。
私が食材だのお金だの持ってきて、先輩がそれと自分の冷蔵庫の中身で料理をする。
『1人分作るのも、2人分作るのも、光熱費だけ見ればほぼ一緒』と、先輩は言う。
おかげで私は今日みたいな、給料日前でお金使いたくない日とか、自律神経等々の影響でガチで体が動かない時なんかは、ラクをさせてもらってる。
今日は100均の鍋キューブを使った、鶏塩そば。
私が買ってきた半額の刻みねぎと半額の刻み柚子が、良い味出します(多分)。
「先輩、ニンニク無いの、ニンニク」
「にんにく?なぜ?」
「味変するときに入れたい。にくにく」
「当店ガーリックの在庫はございません」
「ちぇっ」
「めんつゆか胡椒か七味あたりで我慢してくれ」
おててをパッチン、いただきます。
温かいそば茶と一緒に、鍋キューブの鶏塩味で整えられたおそばを、ちゅるちゅる、ずるずる。
「稲荷神社といえば」
「なぁに」
「妙な男が神社に入っていくのを見た」
「みょーなオトコ?」
「黒いスーツに黒いネクタイ。胸ポケットに青いスズメかシマエナガのようなモチーフのブローチ」
「ルリビタキ。その青い鳥、ルリビタキ」
「るりびたき?」
「ツルカプの、ルの方、私の推しのコスプレ」
「はぁ」
「ちょっと神社行ってくる」
「そば伸びるが?」
ツの方で即興合わせできるかな。
まだその人、神社で撮影してるかな。
私、受付さんに声が似た不審者じゃなくて、ルリビタキ部長コスの人の方と遭遇したかった。
あーだこーだ、云々。
私は先輩と、特に先輩が見たコスプレの人がゲーム内でどういうことをしてる人か話しながら、
ちゅるちゅる、ずるずる。鶏そばを食べた。
何かの関係で、ルリビタキコスのひと、まだ稲荷神社に居るかなって、お昼ご飯の後の散歩を兼ねて先輩と一緒に神社に行ったけど、
参道にも、拝殿にも、お守り売り場にも居なくて、
結局、ルリコス捜索は意味がないことで終わった。
「……栗の木の童謡しか思い浮かばねぇ」
大きな栗の木の下?栗拾いのハナシでも書くか?某所在住物書きは、今日も今日とて、難題に挑む受験生の心地でスマホと向き合っている。
あなたとわたし、出題者と回答者。せめてもう少し難易度を下げた出題が欲しいところ。
「まぁ頭のトレーニングにはバチクソ丁度良いけど」
つまり、物語には「あなた」と「わたし」の2名以上が必要というワケだ。物書きはガリガリ頭をかきながら、基本設定を詰めていく。
「……いや『多重人格』だったら1人で事足りる?」
物書きはふと、変わり種だの、からめ手だのを思いつき、しかしその書きづらさに結局挫折した。
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室、夜。
部屋の主を藤森といい、非常に神妙な顔つきで、
コロコロ、ころころ。ベッドに粘着ロールクリーナーをかけている――前回投稿分に似た構図だ。
部屋の床には一旦退けられて、クリーナーの順番を待っている某アタタカイウォームの毛布。
複数箇所にくっついているのは獣の毛。稲荷寿司の黄土色と白米の白を連想させる狐の夏毛。
毛布の隣では子狐がスケッチブックを首から下げて、マンチカン立ちで静止している。
スケッチブックには桔梗色のクレヨンでぐりぐりされた、判読困難ながらこのような文言。
『いつも あそんでくれて ありがとう』
――今回もさかのぼること、数十分前。
その日も藤森は己の居城であるところのアパートで、翌日の仕事の準備をしていたが、
遅々として進まず、いっそ進み具合について諦めの境地に達しており、その理由が前述の子狐。
どだだどだだ、ばびゅん!
子狐は己の前あんよと後ろあんよでもって、風のように全力疾走し、床を蹴り、跳躍。
藤森の膝の上に1〜2kg程度の己の体重を、
もふん!綺麗に着地させて即座に反転。
藤森に背中を向けて、尻尾をびたんびたん。
前方へ投げてほしいのだ。
藤森は虚無の目で、ぽぉん!子狐を放り投げる。
夏毛の抜けきらぬモフモフは美しい弧を描き、毛布で温かく整えられたベッドに着地。
子狐がまた全力で、藤森の膝に戻る。
藤森は子狐を再度、再度、さいど。ベッドへ放る。
ベッド、膝、ベッド、膝。
「もっかい、もっかい!」
あなたとわたし、わたしからあなたへ。
前回投稿分で「人の部屋のクッションを破壊しても、良いことは何も無い」と学習した子狐は、
物を破壊しない方法であれば、この部屋の主は己と問題無く遊んでくれるだろうと認識。
「もっかぁあい!!」
ベッドに放り投げられる浮遊感と、ベッドに着地する弾力性を、ことさらに気に入ったのだろう。
子狐は藤森に何度も、何度も、なんども。この浮遊と落下のアトラクションをせがんだ。
これで20回目である。
「こぎつね。そろそろ、私も仕事をしたい」
21、22、23。
投げて、戻ってきて、投げて、戻ってきて。
あなたとわたし、あなたがわたしのもとへ。藤森のルームウェアは夏毛の抜け残りでいっぱい。
ベッドも同様の惨事である――寝る前にコロコロの往復が必要となるだろう。
今回はクッションを破壊されて中から柔らかい雨を降らされているワケではないので、前回の掃除よりは、まぁまぁ、ラクでは、あるかもしれない。
「しごと」
くわわっ。くわぅ。
日本語を話すコンコン子狐、こっくり首を傾けて、
「しごとは、ショクバ、職場でするものだって、ととさん言ってた。ここ、ショクバじゃない!
だから、しごとない。しごといらない」
最強の子狐論理で、藤森を論破してしまった。
「もっかい、もっかい!ベッドに、なげて!」
子狐の2個の真ん丸宝石が、コヤンと光った。
藤森は深い、長いため息を吐いたが、表情は穏やかで、そこには少しの微笑があった。
反論を断念したのだ。 子狐の遊びざかりに藤森自身の幼少期を――田舎の山野で駆け回っていた頃のやんちゃを見て、懐かしんだ結果でもあった。
「そうだな」
再開される「あなたとわたし」、ベッドと膝。
「そうだ。 ここは、職場ではない」
防音防振の床を、子狐が駆け抜け、藤森の膝に戻ってきて、ベッドへと離陸――着地。
最終的に藤森が子狐を30回ベッドに投げて、子狐が満足したところで、物語は冒頭へ。
コロコロ、ころころ。粘着ロールクリーナーによる掃除が開始されることになる。
「ああ、うん、降ってるらしいな。『柔らかい』どころか冷たい雪が。北国で」
なお、このアカウントで連載風の舞台にしている東京は「雨」の「あ」の字も無い晴天です。
某所在住物書きはアプリの通知画面を見ながら、今日も今日とて途方に暮れている。
まさしく、これである。リアルタイムネタ、現代時間軸の連載風、「最近のフェイクな東京」を描くにあたり、時に題目と「現在」がズレる場合がある。
たとえば「雨」のお題の日に東京は快晴、とか。
「まぁ、しゃーねぇわ。このアプリ、雨ネタと空ネタが結構エンカウント率高いから……」
だって「雨」の字が確実に入ってるってだけでも、3月から数えてこれで6回目の雨だぜ。物書きは小さく首を振り、観念したように物語を組む。
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室、夜。
部屋の主を藤森といい、非常に神妙な顔つきで、
ガー、ぐぁー、コードレス掃除機をかけている。
部屋の隅には無惨な姿でゴミ収集袋に詰められた、クリームホワイトの綿とパールブルーの布。
すなわち低反発クッションの成れの果て。
ゴミ袋の隣では子狐がスケッチブックを首からさげて、マンチカン立ちで静止している。
スケッチブックには藤森による丁寧な楷書体。
『私は藤森の部屋に綿の雨を降らせました』
――さかのぼること、数十分前。
藤森は己の居城であるところのアパートで、翌日の仕事の準備をしていた。
部屋は防音防振の整った設計で、外の騒音は少ししか届かない。上階がピアノのシフトペダルをダンダン踏んでも、隣の育ち盛りが父親にプロレスを仕掛けても、それらは一切、藤森の耳に入らない。
藤森には静寂が必要であった。 それは藤森が、元々花咲き風吹く雪国の田舎の出身で、人工の騒音から離れた環境で幼少時代を過ごしたためであった。
その静かな室内を、どだだどだだ!ばびゅん!
駆け抜けて跳び上がって、めちゃくちゃに遊び回るモフモフが、冒頭の子狐である。
アパート近所の稲荷神社に住まう、稲荷の狐。
言葉を話し、術を心得ており、
稲荷のご利益ゆたかな子狐特製の餅を藤森がよく買ってくれるので、そこから藤森に懐いた。
近頃は諸事情で、訪問すれば必ずジャーキーを貰えたジャーキービュッフェ、もといどこか誰かの職場への出入りが制限されてしまい、少々不満。
持て余した食いしん坊と遊び足りなさが、そのまま優しい藤森に向いた。
仕方ないさと藤森。子供は得てして、そういうもの。今は静かな藤森も、◯◯年前はやんちゃして、森山同然の遊歩道を駆け回り、アケビを採って桜と遊び、遠くに佇むリスや狐を追いかけた。
「私の邪魔だけは、しないでくれよ」
藤森は稲荷の子狐の爆走を、それでも許した。
結果が冒頭であった。
たたんタタンたたんタタン、ぼふん!
静かな室内を駆け回り、駆け上がり、飛び跳ねる子狐は、お題回収役であるところの低反発クッションに衝突。その柔らかさと噛みやすさを知った。
「ぎゃっ!ぎゃぎゃっ!!」
持て余すやんちゃと体力に従い、子狐ぶんぶん、びたんびたん、比較的小さめのクッションに深く噛みついて、上下左右に振り回した。
「えい!!やあっ!!」
ぶんぶんぶん、びたんびたん。何やら騒がしい。
藤森は仕事の手を休めて、音のする方を見た。
そのときであった。まさしく、その直後であった。
びりっ、ビリ、 ぱん。
藤森の目の前で、パールブルーの柔らかい塊が一直線に空を飛び、中から綿の柔らかい雨が、ばらばら、ぱらぱら。ゆっくりと、床に散らばった。
開いた口が塞がらない藤森。
「仕事の邪魔」はするなと子狐に伝えていたものの、クッションを破壊するとは予想外。
「……こぎつね?」
子狐には散らばった低反発の綿すら遊び道具。
跳びついて、くわえて放り上げて、尻尾を業務用扇風機のごとく歓喜に振り回している。
「子狐」
藤森はゴミ袋を取ってきて、掃除を始めた。
「すまないが、それは、ちょっと私もお前を叱らなければならない、かもしれない」
――「たのしかった」
床に残った小さな綿と、綿埃と、それから子狐の夏毛の抜け残りとを、掃除機で吸っていた藤森。
子狐はマンチカン立ちに、己の罪状を首からさげたまま、謝罪ではなく感想を述べた。
「そうか」
深く、長いため息を吐いて、掃除機を戻す。
「……そうか」
そうだろうな。藤森は複雑な笑顔をして、スケッチブックを子狐から取り除いてやり、
わしゃわしゃと、頭を撫でてやった。
「理想郷、永遠、鏡の中、哀愁。ここ1週間、ガチでエモい系のお題が渋滞だったわな」
光と言ったら、何故か某カードゲームの召喚方法の一種を思い出しちまうんだよな。
某所在住物書きは、いつもより少々遅れた投稿時刻を「仕方無い」としながら、ぽつり。
過去配信されたお題の履歴を確認している。
当分、少し難度の下がったお題が続く筈である――ただ■日後、ようやく差した低難度、一筋の光が、ドンと落とされる可能性もあるわけで。
「……厨二ちっくファンタジーの物語の何がラクチンって、トンデモ設定をねじ込んでも『だって厨二だもん』で済ませられることよな」
ひとつ、ため息。1年半程度物語の投稿を続けているが、相変わらずエモいお題が得意になれない。
――――――
10月30日から始まった一連の奇想天外物語も、ようやく一旦の解決。つまり前回投稿分からの続き物。
小綺麗な、白と薄い水色を基調とした応接室。
客側の席に、言葉を話す稲荷の雄狐がお座りしていて、その隣には、ペット用のキャリーケース。
中にはジャーキーをちゃむちゃむ食べる子狐。
彼等、特に雄狐の視線の先では、男女の2名がポコポコ、取っ組み合いの喧嘩をしている。
喧嘩の原因は、キャリーケースの中の子狐。食べ盛りの食いしん坊で、客側の席に座る雄狐の末っ子。
何度も何度も、なんども、「来るな」と言われているのに、子狐は職場に侵入してきた。
その子狐侵入の理由を喧嘩の片方が作っていた。
何度も何度も来てほしくない先方と、
何度も何度も行ってしまう子狐。
何故何度も行ってしまうかといえば、つまり職場の受付係が毎度毎度子狐にジャーキーを与え、モフモフわしゃわしゃ、構っていたから。
『子狐に餌付けをするから、そちらにお邪魔してしまうんです。餌付けを止めてみてください』。
雄狐は受付係による餌付けの事実を、「来るな派」の部署へリークしに来たのである。
受付係による部外者への完全内緒なジャーキーパーティーは、先方の規則に反する行為であった。
「あれほど餌付けするなと言っただろう!」
女に掴みかかる喫煙者は「ルリビタキ」と、
「餌付けではない、接待だ!我々受付が受付としての接待業務をして、何が悪い!」
男を問答無用で投げ飛ばす犬耳は「コリー」と。
それぞれ、雄狐に名乗った。
「言い訳するな駄犬、報告義務放棄と規則違反を適用して『72条9項特例』でしょっぴくぞ!」
「おーおー法務の鳥頭サマは規則規則!柔軟な対応をできないご様子、オイタワシイかぎりですな!」
ポコロポコロ、どたんばたん。男女平等、投げて飛ばされて、飛んだ勢いで云々、かんぬん。
目の前で喧嘩している「ルリビタキ」と「コリー」の互角な構図がシュールで秀逸。
彼等のドタバタに関して、男性がひとり、こちらに申し訳無さそうに頭を下げている。
「すいません。すぐ、やめさせますので」
苦労人と思しき仲裁役の男性は、「ツバメ」と名乗り、証拠として雄狐に名刺を手渡した。
ここの職場は、ビジネスネーム制を採用している。
「鳥類」ということは彼は法務部だ――つまり、「来るな派」。ルリビタキの部下かもしれない。
ツバメが己の腕からトパーズのミサンガを外し、喧嘩中の2名に向けて放ると、
ミサンガは一筋の光を放ち、たちまちその一筋で、両名をぐるぐる巻きに捕縛してしまった。
「世界線管理局収蔵、『はいはい黙れ黙れミサンガ:喧嘩両成敗のトパーズ』」
ツバメが言った。
「とある閉鎖した世界から収容されたアイテムです。便利ですよ。問答無用で縛れるので」
必要になったら、是非我々、世界線管理局の法務部管理課まで。貸与書類をご用意しますので。
ツバメは完全な業務用スマイルで穏やかに笑った。
ずるずるずる。
一筋の光でもって、ぐるぐる巻きにされたふたりは、しかしギャーギャーわんわん言い争いをし続けており、ツバメに引きずられて応接室から退場。
「とりあえず……」
雄狐と子狐で、喧嘩を見送る。
「これで餌付けが無くなって、末っ子の侵入癖解消に、一筋でも、光がさせば良いな」
雄狐は雄狐で、己の末っ子に関して、ようやく、肩の荷が下りたようであった。
「去年は『誘う』じゃなく、『そそる』だった」
たしかエモエモ系の昔話をでっち上げて、その「エモ」を「哀愁」ということにした気がするわ。
某所在住物書きは、ぼっちで焼き鳥を1本、2本。
食いながら過去配信のお題記録帳を確認していた。「そそる」の3文字が、特に記憶に残っている。
「そそると、誘うの違い。悲と哀の違い。そこから何かネタが出てこないか、考えはしたんだわ」
物書きは言った。
「エモが不得意なせいでさっぱり浮かばねぇ……」
仕方無い。仕方無いさ。物書きは焼き鳥をかじる。
――――――
最近最近の都内某所、某稲荷神社と某アパートから比較的近い、暗い路地の深夜。
アパートの自宅へ帰ろうとしているお題回収役の雪国出身者は、名前を藤森といい、同じ職場に勤めている親友との交流を終えた直後。
なんでも親友側の部署で課長級が不穏な動きをしており、それは役職持ちの立場を利用した、藤森への嫌がらせの計画と未遂と、嫌味だという。
似たようなことが過去にもあった。
たとえばそれは総務課の、年下かつ役職未経験の従業員に対するイヤガラシで有名な、五夜十嵐。
メタフィクションな情報としては過去作9月23日と24日投稿分のあたり。
参照のスワイプが面倒なので気にしてはいけない。
要するに「どこの職場にも嫉妬と若手への加害趣味に狂う妙な理不尽は居る」というハナシ。
哀愁というより、あわれ、と言わざるを得ない。
「ん? あれは、」
ひとつ小さなため息を吐く藤森。
視線を上げると、いつか2週間ほど前に一度見た気がする手押し屋台が、暗がりの路地で、おでん屋の赤ちょうちんを灯している。
10月20日頃であっただろうか。
「たしか、大根が美味かった屋台だ」
以前は何を見間違えたか、屋台に狐が座っているように見えたが、よもや2回連続で同じ珍事件が発生することはないだろう。
「こんばんは」
のれんを割って、そのまま席につく。今回はテイクアウトではなく、ゆっくりこの場所で食べよう。
「大根と……」
大根と角こんを、ひとつ。
目の前の店主に伝え終える前に藤森の唇が止まったのは、大根の品切れを発見したためではない。
隣で猫背の雄狐がちびちび酒を飲んでいたのだ。
手酌で。器用に前あんよを使って。
「ああ、こんばんは」
狐が藤森に気付き、深々とぺこり、お辞儀をひとつ――随分弱々しい視線である。
「末っ子が、いつもお世話になっています」
すえっこ、とは……?
「角こんと、水を1杯」
酔っていない。私は、まだ酔っていない。
藤森は自分に言い聞かせて、店主から受け取ったコップ1杯の水を、一気に喉に流し入れた。
つめたい。 酔ってない。
「末っ子さんは、元気にしていますか」
狐におちょこを持たせ、酌をしてやる藤森。
雄狐が藤森に「誰」を見て、「何」の感謝を述べているのか、さっぱり分からないものの、
どうやら、心が相当に疲れているらしい。
雄狐も、 おそらく藤森自身も。
「元気過ぎて、困っておるのですよ」
藤森からの酌を、申し訳無さそうに、しかし嬉しそうに受けて、雄狐はぽつぽつ、こやこや。
猫背を更に猫背にして、話し始めた。
「ここ数日、やんちゃが過ぎて、行くなと言いつけている場所に何度も何度も、なんども……」
何度も、来て、行ってしまうのですよ。
くわぁー、くわぁーん。
モフモフ狐尻尾をしょんぼり垂らす雄狐は弱々しく鳴き、くいっと1杯。器用に酒を飲んだ。
藤森は雄狐の背中を見た。
おお、酒を飲まねばやってられぬホンドギツネよ。
育ち盛りの子供にバチクソ手を焼いていると思しき、ウルペスウルペス・ヤポニカよ。
お前のモフモフな冬毛の背中の、しかしながら、なんと哀愁を誘うことか。
疲れたのだろう。 色々、疲れたのだろう。
「末っ子さんが、言うことを聞いてくれないと」
「聞いてくれないのです。私達は、この世界に流れ着く『別の世界』からの漂着物を、『それを管理したり元の場所に戻したりする管理局』に引き渡す仕事を、第二の本職としてやっておるのですが」
「はぁ」
「その管理局の職員が、特に受付の職員と勘繰っているのですが、末っ子が遊びに行くたびクッキーやジャーキーをプレゼントしているようで」
「は……」
「しかし別の部署の方からは、『管理局はジャーキービュッフェではないので、子狐が何度も遊びに来ないよう、ちゃんと言い聞かせてほしい』と」
「向こうの受付の対応にも責任があるのでは?」
「そうですよね。そうですよね……」
ありがとう。ありがとう、その言葉をくださって。
コンコン雄狐は深々と何度も礼をして、己のおちょこを藤森に持たせ、とっくりを傾けようとする。
(言うことを聞かず、行ってはならない場所へ行き続ける末っ子の子狐か)
藤森は雄狐の、哀愁誘う背中を、あらためて見た。
モフモフの冬毛は、それでも心なしか色つやに疲労が見えて、なにより彼の心情の深層を、しょんぼり垂れる狐尻尾が如実に物語っていた。