「去年は『誘う』じゃなく、『そそる』だった」
たしかエモエモ系の昔話をでっち上げて、その「エモ」を「哀愁」ということにした気がするわ。
某所在住物書きは、ぼっちで焼き鳥を1本、2本。
食いながら過去配信のお題記録帳を確認していた。「そそる」の3文字が、特に記憶に残っている。
「そそると、誘うの違い。悲と哀の違い。そこから何かネタが出てこないか、考えはしたんだわ」
物書きは言った。
「エモが不得意なせいでさっぱり浮かばねぇ……」
仕方無い。仕方無いさ。物書きは焼き鳥をかじる。
――――――
最近最近の都内某所、某稲荷神社と某アパートから比較的近い、暗い路地の深夜。
アパートの自宅へ帰ろうとしているお題回収役の雪国出身者は、名前を藤森といい、同じ職場に勤めている親友との交流を終えた直後。
なんでも親友側の部署で課長級が不穏な動きをしており、それは役職持ちの立場を利用した、藤森への嫌がらせの計画と未遂と、嫌味だという。
似たようなことが過去にもあった。
たとえばそれは総務課の、年下かつ役職未経験の従業員に対するイヤガラシで有名な、五夜十嵐。
メタフィクションな情報としては過去作9月23日と24日投稿分のあたり。
参照のスワイプが面倒なので気にしてはいけない。
要するに「どこの職場にも嫉妬と若手への加害趣味に狂う妙な理不尽は居る」というハナシ。
哀愁というより、あわれ、と言わざるを得ない。
「ん? あれは、」
ひとつ小さなため息を吐く藤森。
視線を上げると、いつか2週間ほど前に一度見た気がする手押し屋台が、暗がりの路地で、おでん屋の赤ちょうちんを灯している。
10月20日頃であっただろうか。
「たしか、大根が美味かった屋台だ」
以前は何を見間違えたか、屋台に狐が座っているように見えたが、よもや2回連続で同じ珍事件が発生することはないだろう。
「こんばんは」
のれんを割って、そのまま席につく。今回はテイクアウトではなく、ゆっくりこの場所で食べよう。
「大根と……」
大根と角こんを、ひとつ。
目の前の店主に伝え終える前に藤森の唇が止まったのは、大根の品切れを発見したためではない。
隣で猫背の雄狐がちびちび酒を飲んでいたのだ。
手酌で。器用に前あんよを使って。
「ああ、こんばんは」
狐が藤森に気付き、深々とぺこり、お辞儀をひとつ――随分弱々しい視線である。
「末っ子が、いつもお世話になっています」
すえっこ、とは……?
「角こんと、水を1杯」
酔っていない。私は、まだ酔っていない。
藤森は自分に言い聞かせて、店主から受け取ったコップ1杯の水を、一気に喉に流し入れた。
つめたい。 酔ってない。
「末っ子さんは、元気にしていますか」
狐におちょこを持たせ、酌をしてやる藤森。
雄狐が藤森に「誰」を見て、「何」の感謝を述べているのか、さっぱり分からないものの、
どうやら、心が相当に疲れているらしい。
雄狐も、 おそらく藤森自身も。
「元気過ぎて、困っておるのですよ」
藤森からの酌を、申し訳無さそうに、しかし嬉しそうに受けて、雄狐はぽつぽつ、こやこや。
猫背を更に猫背にして、話し始めた。
「ここ数日、やんちゃが過ぎて、行くなと言いつけている場所に何度も何度も、なんども……」
何度も、来て、行ってしまうのですよ。
くわぁー、くわぁーん。
モフモフ狐尻尾をしょんぼり垂らす雄狐は弱々しく鳴き、くいっと1杯。器用に酒を飲んだ。
藤森は雄狐の背中を見た。
おお、酒を飲まねばやってられぬホンドギツネよ。
育ち盛りの子供にバチクソ手を焼いていると思しき、ウルペスウルペス・ヤポニカよ。
お前のモフモフな冬毛の背中の、しかしながら、なんと哀愁を誘うことか。
疲れたのだろう。 色々、疲れたのだろう。
「末っ子さんが、言うことを聞いてくれないと」
「聞いてくれないのです。私達は、この世界に流れ着く『別の世界』からの漂着物を、『それを管理したり元の場所に戻したりする管理局』に引き渡す仕事を、第二の本職としてやっておるのですが」
「はぁ」
「その管理局の職員が、特に受付の職員と勘繰っているのですが、末っ子が遊びに行くたびクッキーやジャーキーをプレゼントしているようで」
「は……」
「しかし別の部署の方からは、『管理局はジャーキービュッフェではないので、子狐が何度も遊びに来ないよう、ちゃんと言い聞かせてほしい』と」
「向こうの受付の対応にも責任があるのでは?」
「そうですよね。そうですよね……」
ありがとう。ありがとう、その言葉をくださって。
コンコン雄狐は深々と何度も礼をして、己のおちょこを藤森に持たせ、とっくりを傾けようとする。
(言うことを聞かず、行ってはならない場所へ行き続ける末っ子の子狐か)
藤森は雄狐の、哀愁誘う背中を、あらためて見た。
モフモフの冬毛は、それでも心なしか色つやに疲労が見えて、なにより彼の心情の深層を、しょんぼり垂れる狐尻尾が如実に物語っていた。
11/5/2024, 3:35:20 AM