「あなたがいたから、『選択を誤った』のか『ミスを回避できた』のか、『新しい発見ができた』か」
何かの困難に耐えることができた、なんてバリエもあるんだろうな。過酷なダイエットとか。某所在住物書きは己の腹をプルプル、掴んでは上下に揺らした。
「あなたがいたから『そこに行くのをやめた』とか『アレを食えなくなった』とか、『彼は彼女と別れた』とかつったら、不穏なハナシも書ける、か?」
まぁ俺の場合、このアプリと、ハートくれる誰かがいたから、1年以上投稿を続けてこれたワケだが。
物書きは腹を突っつき、ため息をひとつ吐いて、ふと気付く――お題、全部ひらがなだな。
「『貴方が板から』も可能ってこと?」
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室、夜。
防音と防振設備のよくよく整えられたそこの、部屋の主を藤森というが、
心地良く響く木材の切断音とサンドペーパーの往復を、その発生源を、ポカン顔で見つめている。
シャッシャッシャ、シャカシャカシャカ。
完全に手慣れた作業は、趣味の賜物とは思えない。
藤森の職場の後輩と彼女の趣味仲間が、驚異的な手際で木材を――間伐杉の中古板材を加工していく。
「ヤバくない、私達、ツー様の執務室のポールラック錬成してるよ。すごいよ」
後輩が言った。
藤森は「ツーサマ」なる単語を知らない。
「あのね。ルー部長のコート掛けたい。先輩さんの丈に合わせて作って良き?良きよね。ありがと」
後輩の趣味仲間が言った。
藤森は「ルーブチョウ」も知らない。
後輩よ。 後輩のご友人よ。
あなたが いた から つくりだしているのは、
本当に、ほんとうに、サマーコートやストール、マフラーあたりを掛けるための、ポールラックか。
そのにんしきで、 あっているのか。
設計図も説明書も無く図面を引いて、迷いなくノコギリを動かし、ヤスリをかける淑女2名を、藤森は奇跡の所業かプロの本気でも見る心地でいた。
「『プロ』?私達、完全にアマチャンですけど」
「そうそう。本業のレイヤーさん、もっと神だし」
すべての発端は先日。メタフィクションな物言いをすれば、前回投稿分。
藤森は己の趣味によって、季節の花と山野草を、それから子狐と子狸の相合傘を、写真におさめた。
コンコンとポンポコの愛くるしい風景を、藤森の後輩がいたく気に入り、データのプリントを要請。
そこからアレよコレよとハナシがトントン進み、いつの間にか後輩の趣味仲間が合流し、
近くの神社でハンドメイド衣装の着用例の撮影、
同社で自作概念アクセサリー着用例の撮影、
少し移動して云々、かんぬん、以下略。
日頃、動植物や景色だけを撮る藤森。後輩とその趣味仲間に頼まれるまま、数時間たらずで一生分、人間とアクセサリーと衣服を撮った。
『写真が趣味でも「美しい写真」の撮影は高等スキルだし、撮影場所のコネと人脈はひとつの才能』
写真撮影の礼として、藤森の後輩と彼女の趣味仲間は、無償で家具ひとつの作製を請け負った。
その家具がポールラックだったのだ。
『「写真撮影と家具ひとつが釣り合わない」?
いや全然等価交換だけど?』
ダメ元で「実は」と申し出た藤森の部屋に、後輩が杉の板材を持ってきたときは、酷く驚いた。
冗談だと思っていたのだ。己の写真に一切の価値を認めていない藤森であったから。
ぶっちゃけ「あなたがいたから」のお題解消ゆえの苦しまぎれなこじつけであることは、事実ではあるものの、深く気にしてはいけない。
「こっち切るの終わった。ヤスリ手伝う?」
「大丈夫。先輩さん先に測っといて」
「おけ」
本当にこの重労働が、私の写真撮影と等価なのか?
藤森のポカン顔は今もなお継続中。
後輩とそのお仲間の手により瞬時に、かつ端材少なく形を変えていく板材を、それこそ、ポカン。
後輩よ。 後輩のご友人よ。
本当に、本っ当に、あなたが板から、流れる無駄のない作業と所業で作っているそれは、私の趣味道楽なんかと釣り合う価値であるところの家具か。
藤森はただただ、深く首を傾けた。
「先輩、先輩立って両手広げて」
「……」
「大丈夫ヘンなことしないから。
はいピシっと立って。もちょっと腕上げて。
はーい、はーい。ほいほい……」
「『あいあいがさ』って、こう書くのな……」
相合傘ネタ、5月29日に投稿しちゃってたっけ。
某所在住物書きは今回投稿分に悩み、天井を見た。
「シチュは作れるの。カンタンさエモくすんの。仕事に酷く疲れた後輩とその先輩でも放り込んどけよ、雨の中で先輩が濡れた後輩に傘差し出すから」
でもエモなお題には非エモで対抗したいのよ。物書きは己のこだわりを告白し、今日もため息をつく。
「ふーん、ウィキの『傘』の項目によると、『中国や韓国では、従者が主人に差し掛ける「差し掛け傘」はしばしば見られるけれども、相合傘は日本にのみ見られる図様である』。
『単純に例の相合傘マークが日本のローカルネタなだけです』じゃなくて?マジ?」
――――――
私がつい数ヶ月前まで勤めてた本店に、花や自然風景の写真を撮るのが趣味の先輩が居るんだけど、
その日久しぶりに一緒にごはん食べたら、珍しく腕を日焼けして少しヒリヒリしてそうだった。
日焼け止め、塗ってないらしいし、日傘も使わない民らしい。先輩、アカンやで(シミ予防、将来の皮膚ステータス、皮膚がんの潜在的リスク、美容)
で、腕をヒリヒリにしながら何を撮ってたかというと、やっぱり花、ハナ、はな。
物持ちの良い先輩が、最近敢えてスマホを新調したらしくって、その性能確認をしたかったとか。
「先輩リンゴフォン買わないの?」
「何故?」
「カメラ、バチクソ良い。2台持ち便利だよ」
「あのな。OS違いの2台だ。リンゴをカメラ専用にするとしても、私に使いこなせると思うか?」
「できるでしょ?先輩だもん」
「私を過大評価するな」
「できるもん。おいでませリンゴ教」
「つつしんで拒否申し上げる」
スワイプ、スワイプ、スワイプ。
元々撮るのが上手な先輩だから、画素数が変わったってことくらいしか、あんまり驚かない。
スワイプ、スワイプ。
先輩から借りたスマホに、すいすい指を滑らせて滑らせて、相変わらずのキレイな花びら、接写、青空と緑のコントラストなんかを見続けてたら、
突然、バチクソにかわいい写真がヒット。
相合傘だ。
子狐と子狸が地面にペッタリ伏せて、大きめのフキの葉の下で、相合傘みたいにこっちを見てる。
多分先輩のアパート近くの稲荷神社の森だと思う。
木漏れ日がところどころに光を投げてるから、
きっとそれは、日傘の相合傘だった。
かわええ(ポンポコこんこん)
「先輩こういう写真も撮るんだ」
「ドン引きしたか」
「なんで?バチクソにかわいい。上げれば絶対千バズできるよ。コンとポンの相合傘だもん」
「その前におそらくエキノコックス警察と過激な動物愛護の突撃を食らって面倒事になる」
「あっ。わかる。完全に脳内再現できる。なんならそこにインプレゾンビが湧くまである」
「あるな。あるだろうな……」
何枚か撮られてた、子狐と子狸の相合傘。
こっちを見て、コンポコで見つめ合って、子狸が背伸びして立ち上がったら葉っぱが頭に当たって。
狐の方がカジカジ、ちょっと茎をかじってみて、すぐに口を離しておキツネドリル。
ところどころ数枚、ピントがズレてぼやけてたけど、それらのかわいい相合傘は、私の心を癒やした。
「そろそろスマホ、返してくれないか」
「ちょっと待って。もちょっと見せて」
「そんなに良い写真でもないだろう」
「それは先輩の感想だし。コンポンかわいいし」
「コンビニで刷ってやろうか?L判の写真紙に?」
「あざす。コレとコレとコレとコレ2枚ずつ」
「待て。本気にしないでくれ。冗談だ」
「1枚50円で合ってる?」
「あのな?」
「合 っ て る ?」
「あっ、いいえ、30円です」
なんでこんなことになってしまったんだ。
いや、私が妙なことを提案した自業自得だよな。
先輩はぽつぽつ呟きながら、写真のデータを編集して少しキレイに調整して、それをUSBに移してる。
「他に相合傘写真無い?」
「黙秘」
ため息吐いて、小さく数度首振って、私をチラッと見て、それでもやることはやってくれる。
「ちょっと、待ってろ」
先輩は席をたって、外に出た。この隣は青いコンビニだ。そこでプリントしてくれるんだろう。
先輩を待ってる間、私はプリント代の現金の持ち合わせを確かめて、小銭を探して、
最終的に諦めてスマホ決済の方の残高を確認した。
「『勝手に』落下『する』、『意図的に』落下『させる』、『誰かによって』落下『させられる』。
あとは何だ、『自由』落下?落下『防止対策』?」
サーバーが「落ちる」とかは、落下ってより陥落が近いよな。某所在住物書きはスマホの画面を見ながら、ネット検索結果を辿っている。
「テーブルからパンが落ちる時、ほぼ確実にジャムを塗った面を下にして落下する、てのもあった」
落下って、結構いろんなハナシに持っていきやすいな。実際に書けるかは別として。
物書きはカキリ首を傾け、鳴らし、ため息を吐く。
――――――
夢オチネタが書きやすい気がする物書きです。
だって適当に夢を見ておいて、キリの良いところで現実サイドの自分の足を引っ張れば、簡単に「『落下』する心地」で起きることができるのです。
あの一気に落下する感覚、ネットによると「ジャーキング」と言うらしいですが、別の記事では「ミオクローヌス」なんて単語が出てきます。
どっちでしょうね。素人の不勉強なので、分かりません。 と、いう雑学は置いといて。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。
某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりました。
そのうち末っ子の子狐は、偉大な化け狐、善き御狐となるべく、人界で絶賛修行中。
まだまだお得意様はひとりだけですが、ぺたぺたコンコン、お餅をついてアレコレ入れて、狐のおまじないをひと振り、ふた振り。
週に1〜2回の頻度で売り歩きます。
子狐のお餅は不思議なお餅。ウカノミタマの大神様のご利益ある、心の病や魂の傷を癒やし、ちょっと運を良くしてくれます。
高コスパで、バチクソありがたいお餅なのです。
今日もコンコン子狐は、お守りさげて人間に化けて、白いホタルブクロの明かりと、お餅を入れた葛のカゴを手に、たったひとりのお得意様の、アパートのインターホンを鳴らしました。
今回のお餅は特別なお餅。1年に1回だけの「落とし餅」。昔々から続く、ひとつの農耕儀礼でした。
「おとくいさんも、今年のおとしもち、どうぞ」
キラキラ硬貨が好きな子狐のため、コインケースを持ってきたお得意様。真面目な雪国出身者でして、名前を藤森といいます。
その藤森を、うんと見上げて、コンコン子狐、いつもより少し小さめなお餅を差し出しました。
「『落とし餅』?」
「そろそろ、ぜんこく、つっつウラウラ、田植えが揃うの。早いとこは3月で、遅いとこは今頃なの」
「そうだな」
「田植えが終わったら、さのぼりなの。泥落としで、虫追いなの。稲を食べちゃう悪い虫さん、心を弱らせる悪い虫さん、落とすの」
「そう……だな、多分?」
「だからおとくいさんも、おとしもちで、今年の悪い虫さん落とし。どうぞ」
「そうか」
「心のばるさーん、魂のごきーじぇっと」
「それはちょっと違うと思う」
「とんでとんで、まわっておち〜るぅ」
「聞いてくれ子狐。多分、違う」
それは、田植えの終わりを祝い、五穀豊穣と悪疫退散を祈る、1年に1度だけのお餅でした。
かつてほぼ全国で祝われた、時期も形式も餅の有無さえ違えど、労働のねぎらいと豊作を願う根っこはきっと一緒であった、しかし昨今各地で失われつつある、日本の昔々でした。
藤森の雪降る故郷でも「さなぶり」として僅かに残る、稲田と生き四季を辿る風習の欠片でした。
「虫落としの餅か」
懐かしさと共に、餅をひと噛み、ふた噛み。落とし餅は藤森の心魂の中の、悪い虫にもっちゃり引っ付いて、それらを善良に落としていきます。
「お布施は、いくらが良いだろう?」
私のところでは、餅や御札を貰ったり、舞を舞ってもらったりする礼に、たしかお布施を渡していたから。
藤森は付け足して、説明しました。
コンコン子狐、まんまるおめめをキラキラさせて、小さなおててをうんと上げて、答えます。
「いっせんまんえんです」
パッタリ。藤森のコインケースが、落下しました。
「冗談だろう?」
「キツネうそいわない。いっせんまんえんです」
「よし分かった質問を変えよう。私が食ったこの餅と、虫落としの御札の値段は?」
「おとくいさん価格、おもちおんりー500円、ウカサマのおふだ3枚付き2000円。ぜーこみ」
「……御札付きを、ひとつ」
「おキツネみくじ5000円おつけしますか」
「そんなコンビニの箸やスプーンを付けるノリで言わないでくれ。いらない……」
「4月19日が『もしも未来を見れるなら』だった」
あの時は結局何も思いつかなくて、ほぼお手上げ状態だったわ。某所在住物書きは己の過去投稿分をたどり、当時の失態を思い出してため息を吐いた。
「未来『は明るい』、未来『を変えてはいけない』、未来『に行くタイムマシンは理論上存在し得る』、未来『が分かってりゃ誰も苦労しない』。
ケツじゃなく、アタマに言葉を足すなら、『10年後の』未来とか、『人の絶えた』未来とか、そういうハナシも書けるだろうな」
まぁ、ネタは浮かべどハナシにならぬ、ってのは毎度のことだが。物書きはうなだれて、再度ため息を……
――――――
未だ来ない、未だ来週・来月・来年ではない、「『未年』の誰かが来る」はさすがに難しい。
なかなか、おはなしのネタの掴みどころの無いのが「未来」なような気がします。今回は特に捻らず、こんなおはなしをご用意しました。
最近最近、最高気温30℃とかトチ狂った気温を叩き出した日の都内某所の昼下がり。
人に化ける妙技を持つ、化け狐の末裔が住む稲荷神社で、今年も水色や薄紫がこんもり見頃。
雨の花、大きな大きな大アジサイです。神社に住む子狐は、「お星さまの木」と呼びます。
大きめな葉っぱの上で、花は多くが上を向き、満開になれば、ふっくらこんもり花が寄り合います。それはまるで、お空の星粒が地上にやってきたようです。
偉大な御狐、善き化け狐として、お餅を作って売って絶賛修行中の子狐は、お星様そっくりな花の咲く低木を、「お星さまの木」と呼ぶのです。
狐の神社は森の中。いろんな星の花が咲きます。
キラキラ黄色いフクジュソウ、パッと白いヒメウツギ。それから、青と紫の「お星さま」。
コンコン子狐、餅売りの修行に少し飽きたら、たまに、大好きなお星様のところへ行くのです。
時折完璧な星の形をした水晶のキノコが、お星様を見に来た子狐に、
「あなた近い未来、たぶん明日、今日の夜ふかしのせいでお寝坊するから、ちゃんと早く寝て目覚ましかけておくのよ」と、「私を信じなきゃあなた未来で大変なことになるわよ」と、
未来予知が得意分野の御狐に、本当か嘘か知らない未来を、胡散臭い声で授けてきたりしますが、
そういう変な連中は大抵、都内で漢方医として労働し納税する父狐に見つかって、周囲の土ごと掘り起こされ、『世界線管理局 植物・菌類担当行き』と書かれた黒穴に、ドンドと放り込まれていました。
多分気にしちゃいけません。きっと別の世界のおはなしです。「ここ」ではないどこかのおはなしです。
「お星さまの木の中は、涼しいなぁ」
コンコン子狐は枝と枝の間にスルリスルリ。水色のお星様を咲かせる木の中へ、入っていきます。
そこは子狐のお気に入り。枝の伸び具合と葉のつき具合で、中に子狐1匹分の「秘密基地」があるのです。
去年も似た場所に、小さな基地ができました。
今年もこの場所に、小さな基地ができました。
きっと来年も再来年も、その先も、子狐が大人狐になる未来まで、星空の秘密基地は、ずっとそこに、在り続けるのでしょう。
「お星さま、お星さま。良い夢分けてくださいな」
お星さまの木の中で、ガンガン熱気をさえぎる星空の下で、コンコン子狐は丸くなって、ふかふか尻尾を極上の枕に、お昼寝をすることにしました。
「お星さま、星の日傘、さしてくださいな」
最高気温30℃、朝から真夏日の都内でも、森の中のアジサイの、葉っぱの下に入れば快適です。
コンコン子狐はそのまま目を閉じ、スピスピ、幸福に寝息をたて始めました……
「5月8日のお題が、たしか『一年後』だった」
1年前の6月17日って、俺、何してたっけ。去年の行動内容をスマホに溜め込んだ写真やスクリーンショットに求めようとした某所在住物書き。
1年を通り越し、サ終したアプリや消し飛んだ課金額に思いが動いて切なくなり、発掘は5分で終了。
塵は積もり、そこそこの小山となっていた。
「『今日から数えて』1年前だったら、2024年6月17日のハナシだが、『〇〇を実行する』1年前、とかならずっと昔のハナシも書けるんよな」
たとえば「ガチャ爆死する1年前」とか。「大量課金する1年前」とか。……とか。
「……あれ。おかしいな。涙が止まらねぇや」
その日物書きが金銭の話をすることは以降無かった。
――――――
生物学ガン無視な、約1年前のひなまつり。非科学バンザイで過去投稿分と多分繋がるおはなしです。
3月3日の都内某所。丑三つ時のとあるアパートで、当時人間嫌いと寂しがり屋を併発していた自称捻くれ者が、その日の仕事で使う資料を作りながら、無糖のコーヒーを飲んでおりました。
今では平静に穏やかに、かつ最低限以上には幸福な生活を送ってるこの雪国出身者は、名前を藤森といいまして、本当は真面目で誠実で優しいのでした。
と、いうハナシはひとまず置いといて。
都会の荒波と悪意に揉まれ、擦り切れ、はや十数年。藤森の心魂に蓄積した疲労が、重いため息となって、部屋の空気に飽和します。
金を貯めた先の、夢見た未来はどこへやら。
カップに残ったコーヒーを飲み干して、さてもう少し、とパソコンのディスプレイに向き直ったその時。
ピンポンピンポン、ピンポンピンポン。
こんな夜更けに誰でしょう。インターホンを連打するものが在りました。
「ごめんください!」
ストレスと深夜の眠気と、それから物語のお約束で、藤森が相手の確認もせずドアを開けると、
不思議な不思議な子狐が、右手にキツネノチョウチンの明かりを、左手に葛で編んだカゴを持ち、頭をうんと傾けて、部屋の主を見上げています。
「菱餅ヨモギ餅さくら餅、いかがですか!」
チリン、チリン。
揺れるキツネノチョウチンの明かりが、鈴のような美しい音色を、小さく静かに響かせました。
明らかに非現実的な状況です。藤森は数秒硬直して、フリーズした思考に無理矢理再起動をかけ、
「ゆめだな」
頭をガリガリ。ドアノブに手をかけました。
そりゃそうです。コンコンです。モフモフです。
人語を解するウルペスウルペス――ヤポニカだかシュレンキとの交雑種だかの幼獣です。
なんだこれ。 多分夢です。
「いけない。起きないと」
「待って!おねがい待って!」
きゃーん!きゃーん!ここココンコンコン!!
子狐が必死に藤森のズボンを引っぱります。
「このゴジセーなの、誰もドア開けてくれないし、おもち買ってくれないの」
そりゃそうです。急増する強盗・傷害事件によって防犯強化が叫ばれる昨今ですから。
「1個でもいいから、おねがい、おねがい」
きゃんきゃんきゃん、きゃんきゃんきゃん。
防音防振設備の完璧に施されたアパートとはいえ、さすがキツネ。子狐の懇願は、なかなかの声量。
とうとう根負けしてしまった藤森は、その日数度目のため息を吐いて、ひとまず子狐を部屋の中へ入れることにしたのでした。
「それで、私はお前から、どれを買えば良いんだ」
「おもち、かってくれる……!」
きゃんきゃん今まで泣いてた子狐、マネークリップを持ってきた藤森に、キラキラおめめを更に輝かせ、狐尻尾をぶんぶんぶん、ビタンビタン!
「えっと、えっと!ししょく、どーぞ!」
きゃきゃきゃっ、くぅくくく、くわぅ!
初めてのお客さんがそれはそれは、もう、それはとっても嬉しくて、コンコン子狐はついつい、試食用の小さいお餅ではなく、商品用の大きなお餅を、藤森に差し出してしまいました。
ああ、こいつは本当に、商売に慣れていないのだ。
税込み200円の値札を見て、そのわりに大きく、味も非常に良いお餅を、くちり、くちり。
藤森はじっくり噛み締め、よくよく味わって、
「もう1個、違う味のものを貰っても?」
値段によくよく同意したので、尻尾ぶんぶんの子狐に200円、現ナマでチャリチャリ渡しました。
「餅の販売は、今日限りか?店舗の場所は?」
それからというもの1年以上、藤森は餅売り子狐のお得意様。1年前から現代に至るまで、長いお付き合いがコンコンコン、善良に続いておったのでした。