かたいなか

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11/11/2023, 1:43:49 AM

「ススキ、……すすき……?」
そういやススキの見頃って、もう終わったの、ピークなの。某所在住物書きは、題目の通知画面を見てハッとした。身近な植物だが、それゆえに詳細を知らぬ。
盲点であった。青天の霹靂であった。
ひとまずルーチンワークとして、「ススキ」をネット検索してみるに、ススキはイネ科の植物だという。
世にはススキに似たオギとアシがあるらしい。

「ススキと、オギと、アシ……?」
画像検索してみるも、どれがどれだか分からぬ。
「ススキに似た別の植物」のネタは、自分で説明できないから、やめておこう。
物書きはそっと検索結果を閉じた。

――――――

最近最近の都内某所、某稲荷神社お庭の一角は、稲の仲間のススキがこんもり。ちょっとした大所帯です。
見頃はピークか、少し過ぎた頃。ふわふわ、稲穂のように風に揺れる揺れる。
敷地内の一軒家には、人間に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりまして、
そのうち末っ子の子狐が、たまにこの小さく大きなススキ野原に潜り、コンコン、走り回るのです。

何度も踏み倒したススキは、小さな獣道になります。
何度も踏み倒したススキは小さな部屋にもなります。
コンコン子狐、ススキ野原の奥の奥に、ススキを倒して部屋を作って、今年も秘密基地を開設しました。

ひとりじめしても楽しいけれど、仲間を呼んだほうがもっと楽しい。
コンコン子狐、雑貨屋さんの猫又子猫と、和菓子屋さんの化け子狸を誘って、ふわふわごろ寝座布団とぬっくぬく毛布を持ち込み、あったかいお茶を飲みながら極秘会談ごっこを始めました。

「春にお店畳んで福島に行っちゃった、大化け猫の駄菓子屋のおばあちゃん、いるでしょ?」
にゃーにゃーにゃー。猫又子猫が雑貨屋の、新商品の蓄熱クッションをふみふみしながら、言いました。
「お手紙貰ったんだけどね、嬉しいことがあったって。『学校時代に駄菓子屋で食べた、ランチクレープの味を今でも思い出します』って、昔の常連さんがわざわざお礼のお手紙書いてくれたらしいの」

「先月だ」
コンコン子狐、子狸が練習で作ったという練り切りを、お茶と一緒に楽しみながら頷きました。
「10月13日だ。どうなったの?」
子狐は子猫の話の背景を知っていました。だって先月の過去作が、そういうおはなしだったから。
子猫の言う「わざわざお手紙書いてくれた」という「大化け猫の昔の常連さん」の、お手紙を大化け猫に届けたのが、子狐のお母さんだったのです。

話に全然ついて行けないのが、せっせとお茶のおかわり用のお湯を沸かすポンポコ子狸。
駄菓子屋さんがお店畳んだのは、知ってるけどなぁ。

「おばあちゃん、嬉しくて嬉しくて、ランチクレープのレシピ、お返事のお手紙で教えてあげたって」
「それで?」
「そしたらまたお礼のお手紙が来て、職場の先輩と隣部署の主任さんと一緒にクレープ食べてる写真、コンビニでプリントして数枚入れてくれたって」

「トナリブショノセンパイ?」
「隣部署の『主任さん』」
「知らない」
「大丈夫。わたしも言葉しか知らない」
「キツネ、言葉も知らない」

「……人間と、化け猫の、文通だって」
子狸が淹れたほうじ茶2杯目を受け取って、猫又子猫、ほっこりため息吐きながら、呟きます。
「人間、おばあちゃんが化け猫だって知ったら、どうするのかしら」

「べつに、どうにも、ならないんじゃない?」
だってキツネも、修行で人間のおとくいさんに、お餅売りに行ってるもん。コンコン子狐平然と、なんの疑問も無く答えました。
多分それは「稲荷神社の子狐」だからで、他の猫とか狸とかは、少し対応変わってくるんじゃないかな。
ポンポコ子狸は茶がらを捨てて、新しい茶っ葉を急須に淹れながら、ポンポン、胸中で思います。

さらさらさら、サラサラサラ。
子猫と子狐と子狸の密会を、ススキ野原のススキはただ見守り、聞き流し、
こっそり綿毛を吹いて、子猫と子狐と子狸の毛にくっつけ、イタズラをしておるのでした。
おしまい、おしまい。

11/10/2023, 4:06:56 AM

「『脳裏』は比較的ハナシに埋め込みやすい単語だと思う。ひとまず登場人物に何か考え事させりゃ良いだけだからな」
俺が時々ハナシ書くの苦手に感じる理由、自分自身がそういうネタさして好きくないにもかかわらず、自分でその、さして好きくもない「ちょっと説教っぽい作風」のハナシを書いちまってる説。
某所在住物書きは己の脳裏にひらめいた仮説に少し同意して、ゆえに途方に暮れ天井を見上げた。
自分が自分のさして好まぬ物語を書いてしまうのは、どうしろというのだ。

「豆知識ネタは、好きだけどさ。ちょっと過ぎれば問題提起ネタやら、説教ネタやらになっちまう……」
作風、難しいわな。物書きは大きなため息を吐いた。

――――――

私の職場に、「解釈」、特に「解釈違い」って言葉がトラウマな先輩がいる。
原因は、先輩の初恋のひと。
酷い解釈押し付け厨で、自分が最初に先輩のこと好きになったくせに、いざ先輩が初恋さんに惚れると、
「地雷」、「解釈違い」、「おかしい」って、呟きックスのサブ垢か裏垢か知らないけど、鍵もかけずにディスり散らして、
それが、先輩の目に止まっちゃった。

先輩の初恋さんは、名前を、加元さんと言うらしい。
散々先輩をディスったくせに、まだヨリを戻せると思ってるみたいで、先々月私達の職場に突撃訪問してきた。
「話がしたい」って。
「自分はその人の恋人だ」って。
加元さんはまず恋人の意味を検索すべきだと思う。

「最近は昔ほど、酷いアレルギー反応は、出なくなってきたがな」
昼休憩、「朝ちょっと揺れたね」ってオープニングトークを、ちらほら、あちこちで聞きながら、休憩室のテーブルでお弁当広げて、コーヒー置いて。
なにやらシンプルなデザインの便箋を、何度も何度も視線で読み返す先輩と一緒にランチ中。
「時間の経過か、お前がたまに解釈解釈言って、耳が加元さんじゃなくお前で慣れてしまったか」
何はともあれ、アナフィラキシーを起こさなくて良かった。
先輩は呟いて、スープジャーの中を突っつきながら、また便箋を目でなぞった。

「なに見てるの」
「お前が私によこした仕事を」
「私何も投げてない」
「お前だろう。今週の月曜日、11月6日、『自分自身のために、加元さんの投稿で自分が傷ついたことを、自分の気持ちをハッキリ伝えろ』」

「まさかカンペ?……先輩がカンペ?!」
「断じて乾パンでもハンペンでもないぞ」
「ごめんネタ分かんない」

ずいっ。
身を乗り出して、先輩の便箋の文章を見る。
便箋には真面目で几帳面な先輩らしく、加元さんの何の行為で心が傷ついたか、今自分が加元さんをどう思ってるか、今後どういう関係でありたいか、
淡々と、平坦に、事実だけ、加元さんを必要以上傷つけないような言葉の選び方で、まとめられてた。

仕事中はスラスラ言葉が出てくる先輩が、ただの恋愛トラブルの喧嘩でカンペを作る。
私にはそれが、すごく不思議だったけど、
同時に、ふと、脳裏にそれっぽい理由がよぎった。
きっと、本来の先輩は「カンペ作る方」なんだ。
仕事中の、「スラスラ言葉が出てくる方」は、学生が何度も何度も膨大な量の数学の問題解いて、解法を覚えちゃったようなもので、
本当はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ話をするのが得意じゃないか、
あるいは量産的な言葉を機械的に素早く出す会話より、相手をしっかり見て、オーダーメイドな言葉を渡すのが、好きなんだ。

「……。
いや多分違う。なんか違う。いや違わない?」
「は?」
「私が私の中で先輩の解釈論争」
「……、……は?」

私の後輩は今一体何を悶絶しているんだ。
先輩の目は点で、スープジャーを突っつく手も止まってて、口がちょっと開いてる。
先輩実は話をするより話を聞く方が好き説、
本当は大量生産より一点物の会話をするタイプ説、
トラウマな初恋相手との会話が緊張するだけ説、
等々、等々。
私の脳裏は某動画のコメント字幕みたいに、右から左に解釈が流れて流れて、
その私の目の前で、先輩が意識の有無の確認みたいに、右の手のひらをヒラヒラ振ってた。

11/9/2023, 9:04:11 AM

「少し違うが、『積み重ねた努力は裏切らない』に対して、『縦に積み重ねるな。平面に並べろ』っつった人なら知ってるわ」
今日も今日とて難題続き。なんなら自分は実は執筆自体が苦手じゃないか。連日の超苦戦に対し、某所在住物書きは己の得意不得意を疑い始めた。
実は俺、そもそも他人からのお題でハナシ書くの、バチクソ苦手?

「一点突破で努力を積むと、その一点が崩れたら全部やり直しだけど、意味ある努力も意味ない努力も等しくズラッと並べておけば、崩れる心配ないし、いつか『意味ない努力』が役立つ日が来るかも、だったか」
懐かしいな。あの先生、今何してるだろう。
物書きは自室の窓から、空を見上げため息をつく。

――――――

最近最近の都内某所、某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりまして、
そのうち末っ子の子狐は、善き化け狐、偉大な御狐となるべく、お餅を作って売って絶賛修行中。
子狐のお餅は不思議なお餅。狐のおまじないをたっぷり振った、神社のご利益豊かなお餅。ひとくち食べれば心の中の、痛いのも苦しいのもペッタリ絡め取って、たちまちちょっぴり、癒やしてくれます。

今日も今日とてコンコン子狐、葛のツルで編んだカゴに、つきたてホッカホカのお餅をどっさり詰めて、リンドウの明かりをよいしょと担ぎ、
たった1人のお得意様の、アパートの某階某室へ、しっかり人間に化けて行きます。
インターホンを、ピンポンピンポン。
コンコン子狐、お得意様の部屋の前で、元気な声で言いました。
「おとくいさん、こんばんは!」

「すまない。今、手が離せない」
お得意様は、名前を藤森といいました。
「代金なら、そこのテーブルの上だ。いつものやつを、いつもの個数欲しい」
代金と一緒に、昨日私の実家から届いた食用菊で、いなり寿司と天ぷらを作って置いてある。
食いたければ食って構わないし、気に入ったらくれてやる。持っていけ。
藤森は子狐にそう言って、珍しく、椅子に座りテーブルに向かって、なにやら書き物をしておりました。

なんだなんだ。お得意様、なにかお絵描き中かしら。
子狐コンコン、据え膳食わぬは狐の恥、美しい菊の天ぷらをサクサク、かわいらしい菊ごはん入りのおいなりさんをチャムチャム。
キレイにペロリンたいらげて、お得意様の作業を、見物しに行きました。

「おとくいさんも、ととさんみたいに、かかさんに反省文書かされてるの?」
「反省文ではない。来週か再来週、あるいは3週間後あたりのための、喧嘩のカンペだ」

「乾パン?」
「カンペ」
「はんぺん!」

「……意味がないことだと、思うだろう」
はんぺんの匂いを探してスンスンスン、息を吸う子狐に、小さなため息ひとつ吐いた藤森が言いました。
「仕事なら、こんな準備、要らないんだ。言葉は簡単に組めるから。なのにこういうケースに限って、どうにもうまく話せない」
テーブルの上のシンプルな便箋を、つまみ上げて、文字を視線でなぞって、またため息。
「何年も昔、好きだったひとが居たんだ。そのひとの言葉で、私はすごく傷ついてしまったんだけれど、『傷ついた』とも何とも言わず、逃げてしまって。そしたらその人が今になって私に会いに来た。
今書いているのは、そのひとに向けた、8年越しの絶交申請。言いたいことのメモなんだ」

ゼッコーシンセーって、なんだ。
子狐コンコン、子供なのでちんぷんかんぷん。
けれど子狐、不思議な不思議な狐のチカラで、実はよくよく知っていました。
可能性としての数日後、お得意様は職場の後輩と一緒に、「因縁の相手」と対峙して、
何か言おうとするけれど、そのとき指が震えてしまって「言いたいことのメモ」をポケットから出せず、アドリブで言うことになる、かもしれないのです。
つまり、事実として、お得意様のこの作業は「意味がないこと」になる、かもしれないのです。
すべては確率、可変の未来。お題次第でどうとでも。

「ケンカ、勝てればいいね」
コンコン子狐、ひとまずコンコン言いまして、お得意様に真っ白なお餅を差し出しました。
「必勝祈願おもち、ぜーこみ200円です」

11/8/2023, 6:59:28 AM

「……栗の木の童謡しか思い浮かばねぇ」
大きな栗の木の下?栗拾いのハナシでも書くか?某所在住物書きは、今日も今日とて、難題に挑む受験生の心地でスマホと向き合っている。
あなたとわたし、出題者と回答者。せめてそろそろ難易度を下げた出題を、一度だけでも、可能なら二度三度、続けてほしいところ。
「まぁ頭のトレーニングにはバチクソ丁度良いけど」

つまり、物語には「あなた」と「わたし」の2名以上が必要というワケだ。物書きはガリガリ頭をかきながら、基本設定を詰めていく。
「……いや『多重人格』だったら1人で事足りる?」
物書きはふと、変わり種だの、からめ手だのを思いつき、しかしその書きづらさに結局挫折した。

――――――

食費節約等々でお世話になってる職場の先輩のアパートに、先輩の実家から、小さな小さな小包いっぱいに詰まった花が送られてきた。

「いわゆる、昔々からの、エディブルフラワーだ」
小包に鼻を近づけて、花の香りをかぐ先輩は、すごくおだやかで、優しい顔をしてた。
「お前も食ってみるか?私の故郷の、秋の味覚?」
ネット情報では、アンチエイジング効果も期待できるらしいぞ。
先輩はニヤリ笑って、私に小包を手渡した。

「何の花?タンポポ?」
「惜しい。菊だ」
「きく?!」
「カモミールの親戚。同じキク科だ。世間がサラダにスミレを入れたり、食えるバラをケーキに飾ったりする前から、私達はコレを食ってきた」
「菊って、食べられるんだ……」
「昔は珍しがられたものさ。『日本に花を食べる種族がいる』と」

「なんか、妖精かエルフか、バンパイアみたい」
「……いやバンパイアに花を食う伝承は無かったと記憶しているが?」

小包を受け取って、中を見る。
黄色、赤紫、白っぽいピンク。3種類くらいの菊の花が、パッと、箱の中に咲いてる。
匂いはすごく、説明しづらい。薬草ってカンジの、甘くない、少しだけ鼻の奥をさす和風が、まっすぐ入ってくる。
「どうやって食べるの?砂糖漬け?」
私が食べ方を聞いたら、
「実家ではよく、少し酢を入れて、細かく刻んだ刻み昆布やら、めかぶやらを入れて、和え物にしていた。他にもおひたしにして、醤油をつけたりとか」
昔は独特な味が苦手だったんだがな、
って前置いて、先輩が説明してくれた。
「天ぷらにして食う家もあるらしい。私は食ったことがない」

「おいしい?」
「味が特徴的だから、難しい。ただ冷蔵庫に丁度めかぶが2パック入っている」
「作って。食べたい。きっとお酒に合う」

お前は毎度毎度、酒とつまみ、だな。
別にあきれてるワケじゃなさそうな、大きなため息ひとつ吐いて、先輩はキッチンに消えてった。
「酒を飲むつもりなら、飲みたい分だけ買ってこい。あと一応明日はリモートワークの申請出しておけよ」

これから菊を食べるんだ、っていう謎の緊張に口が固くなる私と、
なんでもない、ただ単純に菊の花を、秋のサンマかキノコと同じような感覚で調理してるだろう先輩。
あなたと、わたし。
何年も一緒に仕事してきた筈なのに、今でも、新しい発見がある。

「『花を食べる種族』か……」
先輩の菊の天ぷら食べたら、私もその、エルフだかバンパイアだかになれるのかな。
せっかくだから天ぷら粉買ってきて、先輩に菊料理のフルコースを作ってもらおうかと思ったけど、
よくよく考えてみたら、花なんて最近、それこそ先輩が言ってた「エディブルフラワー」として、
スミレでもバラでも、食べる機会は結構あった。

「ねぇ先輩、私もエルフかバンパイアかな?」
お酒とおつまみと、天ぷら粉を買い物メモに登録しながら、キッチンに居る先輩に話しかけたら、
「は??」
先輩は別に、顔を見せるでもなく、素っ頓狂な声を私に投げた。

11/7/2023, 5:32:48 AM

「ああ、うん、降ってるらしいな。『柔らかい』どころか強風暴風気味な荒れ模様の雨が。どこぞで」
なお、このアカウントで連載風の舞台にしている東京は夏日の曇天あるいは強風です。
某所在住物書きはアプリの通知画面を見ながら、今日も今日とて途方に暮れている。
まさしく、これである。リアルタイムネタ、現代時間軸の連載風、「最近のフェイクな東京」を描くにあたり、時に題目と「現在」がズレる場合がある。
たとえば「雨」のお題の日に東京は快晴、とか。

「まぁ、しゃーねぇわ。このアプリ、雨ネタと空ネタが結構エンカウント率高いから……」
だって「雨」の字が確実に入ってるってだけでも、これで6回目の雨なお題だぜ。物書きは小さく首を振り、観念したように物語を組む。

――――――

最近最近の都内某所、木と草と花が静かに冬を待つ自然公園、雨天。
季節に合わず、秋の肌寒さなど、どこ吹く風。
湿気と暖気をはらんで温かく、柔らかい雨の降るベンチチェアに、
遠くの花を景色を鳥を眺めて、自称人間嫌いの捻くれ者が、傘をさし座っている。
名前を藤森という。
膝の上には、何故かご機嫌子狐が一匹。
首に「エキノコックス・狂犬病対策済」の木札をさげ、毛づくろいのつもりであろう、藤森の本来であれば季節外れに違いないサマーコートを、くしくし、ぺろぺろ。舐めるなり甘噛みするなり。
時折鼻を押し付け匂いをかいでは、くしゅん、小さなくしゃみなどしている。

「相変わらず雨が好きだな」
その藤森に、背後から声をかけた者がある。
藤森の親友で、職場の隣部署同士。宇曽野という。

「『あのひと』は私が雨を好むのを嫌った」
振り返るでもなく、藤森が応じた。
「あのひとにとって私は人間嫌いで、優しさどころか感情の欠片も無くて、仕事以外に興味が無くて……」
それから、何だったかな。ため息ひとつ吐く藤森を、子狐が膝の上から見上げ、目を合わせようとして首を動かし、結局失敗して頭を尻尾の枕に下ろしている。

「あのひと」とは、藤森の8年前の初恋相手であり、名前を加元といった。
元カレ・元カノの、かもと。ネーミングの安直さはご容赦願いたい。
雪国出身の上京組、東京と田舎の違いに揉まれて擦れて捻くれていた、無機質な頃の藤森に惚れて、
都会に慣れて心を開いた藤森が加元に惚れ返したところ、SNSの鍵無し別アカウントで、「地雷」、「解釈違い」の批判まつり。無論バレぬ筈がない。

藤森は区を越え職を変え、合法的手段で名字を「藤森」に改めて、加元の前から姿を消した。
何も言わず、何も伝えず、さよならも告げず。

「そしたら後輩から、『先輩自身のためにもハッキリ言ったら』と言われた。『ちゃんと、もう愛していないと言え』と」
「まぁ、ひとつの手だな」
「私自身のため、と言われたんだ。……考えたこともなかった。ただ衝突を避けて、逃げ続けていたから」
「それが『お前』だ。自分より相手が大事で、無感情どころか優しさの塊で、仕事より花と雨が好きで」
「どうだか。……いずれにせよ、私はつまり、『解釈違い』だったんだ」

バタリ。
木から雨粒が傘に落ち、比較的大きな音をたてて、
驚いた子狐が目を見開き、耳をピンと立てて、やがて藤森に庇護を求めた。

「一度だけ、逃げるのをやめてみようと思う」
さらさらさら。季節外れの温かい雨は、止まず絶えず降り続けている。
「自分のために。正面向いて。前に進んでみようと」
一度だけだ。
失敗したら今度こそ、逃げに徹する。
決心の視線と抑揚で呟く藤森の肩を、宇曽野が強く、優しく叩き、
柔雨はそれらをただ、温かく包み濡らした。

場違いな子狐は誰に見せるでもなく、藤森の膝の上で小さな横長看板を支え持ち、それには
【近日!7月17〜18日頃からチマチマ続いてきた「藤森」と加元の恋愛トラブルが、ついに決着!?
※スワイプがバチクソ面倒なので過去作参照はオススメしません】
と書かれていた。

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