これはひと夏の、2人だけの秘密だ。
一緒に花火を見たことも手を繋いだり、体を
重ねあったことも、ぜんぶ。
「受験生だね」
「そうだね」
「「別れよう」」
あっさりした別れだった。でも、お互いこの夏のこと
を口に出すことは無く、時間は過ぎていくのだった。
その日は、とびきり星が綺麗だった。2人で星を
見上げて、綺麗だねぇと笑った。望遠鏡もないので、
分かる星をひたすらに探した。
「あ〜、勉強しなきゃね」
「そうだね〜。大学はどこ行くの?私は地元かな」
「俺は東京出るかな。」
この先も、こうやって人生は続く。宝箱に入れるように、この記憶は大切に仕舞っておく。誰も侵すことが
できないように。いつでも、取り出せるように。
「地元戻ってきてたの?」
「うん。就職で戻ってきた。」
また、出会えるかもしれないからね。
2人だけで花火を見た、あの橋の上で。
夏は暑くてあんまり好きじゃない。学生時代、
泳げないから水泳のある夏は嫌いだったし、セミの
鳴き声があんまり好きじゃなかった。海もそうだ。
でも、祭りとか花火とか、夏らしいイベントは嫌い
じゃない。風情を感じられるものは好きだ。余韻に
浸ることが出来るし、暑さより淡い思い出が強く
印象に残るから。
ねぇ、知ってる?
人が隠した真実は、知ってしまうといけないんだよ。
だって、そこにはその人の大切な何かが詰まってる。
誰にもバレないように、仕舞われているんだもん。
自転車で坂道を下る。涼しい風に吹かれ、地球温暖化による暑ささえもうどうでも良くなる。すると、坂道に建ち並ぶ家屋からチリン、という音が聞こえる。夏だ。ふと、そう思った。
そういや、風鈴の音は聞くと涼しくなるという効果があるそうで。初めて聞いたときは日本人すげー、なんて思ったものだが、今となっては風鈴の音よりもカラカラと乾いた暑さの中に吹く風の方が大切に思える。だって、「聞くと涼しくなる音」よりも「皮膚で感じられる涼しさ」の方が熱中症にならないんだもの。皮膚に突き刺さる紫外線が熱くて痛いし。
しかし、風鈴の音は風情を感じられるので良い。「日本の夏ってこれだな」とぼんやり思う。つまり、風鈴の音は特別だ。夏も涼しさも感じられる、特別な音であるということだ。うん、とても良い。
文章を書いているときは、現実の喧騒から逃れられる
気がする。文章を書いていると、面倒な人間関係も、難しい勉強も、なにもかも時間に溶けて、どうでもよくなってくる。しかしそれでも自分の体はそれらの面倒なものを捨てる気はないようで。でも、心だけはここに逃れたいとおもう。自分の心を守り続けるために。