8/12/2025, 12:27:02 PM
いいなあ、みんな羨ましいなあって、人との距離が開いていくのも、夏のことだ。
去年はあんなに充実してたのになあってなるのも、
あの人にも会いたいなあってなるのも、ね。
8/11/2025, 1:25:39 PM
アイスを買う
キスをする
その間にアイスクリームがとけて、指にこぼれる
笑う
そんなくだらないような夏の繰り返しで、僕らは
もがきながら懸命に呼吸をしている。
アイスは、甘くてぬるい。
8/11/2025, 8:50:10 AM
きみからの やさしさ なんて、あっても、ぼくは、
なにもできないのに。
きみが ぼくを だめにするのに。
なんで やさしくするんだい?
きみは、 ふりむいてくれないのに。
なら 、やさしさ なんていらない。
8/7/2025, 10:42:56 AM
心の羅針盤は、いつも君に向いている。
いつだって君を想って、いつだって目で追いかけて
しまうんだ。君はこんなにも純粋な僕を、どうか
弄ばないでくれよ。
8/6/2025, 12:19:20 PM
またね。
なんて言葉は、好きじゃない。だけど好きだ。
「また」なんて言葉を使っておきながら、もう一度が
ない可能性があるのだから好きじゃない。人は、明日
生きているかどうかさえ不明瞭なのだから。
だけど、「また」と言う言葉を使うのは、もう一度
会えるかもしれないから好きだ。そういう配慮が
感じられるし、無意識だとしても、細かいところまで
澄んでいる人なんだと思うから。
言葉というのは重いもので、同時に軽く鋭い。しかし
「また」と言うだけでも、存在意義や使い方について
考えながら生きるのは多分面白くない。大変だから。
大事な局面やSNSを使う上ではひとつひとつの言葉を
使うのに注意する必要があるとはいえ、リアルでは
そこまで考えずとも良いとも思う。その言葉が届く
のが不特定多数というのは変わりないが、それが届く
人数も聞かせたい相手も違う。
つまり何が言いたいかというと、「場面によって、聞いて欲しい相手に聞かせたい言葉を使おう」ということである。