またね。
なんて言葉は、好きじゃない。だけど好きだ。
「また」なんて言葉を使っておきながら、もう一度が
ない可能性があるのだから好きじゃない。人は、明日
生きているかどうかさえ不明瞭なのだから。
だけど、「また」と言う言葉を使うのは、もう一度
会えるかもしれないから好きだ。そういう配慮が
感じられるし、無意識だとしても、細かいところまで
澄んでいる人なんだと思うから。
言葉というのは重いもので、同時に軽く鋭い。しかし
「また」と言うだけでも、存在意義や使い方について
考えながら生きるのは多分面白くない。大変だから。
大事な局面やSNSを使う上ではひとつひとつの言葉を
使うのに注意する必要があるとはいえ、リアルでは
そこまで考えずとも良いとも思う。その言葉が届く
のが不特定多数というのは変わりないが、それが届く
人数も聞かせたい相手も違う。
つまり何が言いたいかというと、「場面によって、聞いて欲しい相手に聞かせたい言葉を使おう」ということである。
8/6/2025, 12:19:20 PM