秋風国立音楽学院の学園祭に、冬将軍がやってきた。強くなる北風に学生たちは身を屈める。いよいよこの学園祭も終わりのときか、と誰もが思っていたとき、どこからか軽快なリズムがやってきた。
北風のなか、ド派手な薄着の衣装でやってくるのは、夏空芸術大学サンバサークルのみなさんだ。
冬将軍は怯んだ。そしてサンバを踊りだした。
しばらくしてサンバサークルは過ぎ去って、冬将軍が息を吹き返した。冷たい北風が銀杏の葉を舞い落としている。
そこにやってきたのは、春色美術大学マーチングバンド部のみなさんだ。
冬将軍は再び怯んで、マーチングバンドの行進と一緒に行ってしまった。
学園祭はそうして終わりを迎えた。
ゆっくりゆっくりとやってくる冬の音楽が、遠くから微かに聞こえている。
プロフィールに「年上が好み」と書いてしまったせいか、わたしのマッチングアプリは何の通知もしてこない。なので、すっかりそのことを忘れて日々を過ごしていたのだけど、たった今、初めて通知がきた。
僕、年上ですが、お会いできますか?
わたしは「こちらで? それともあちらで?」と返事をする。
恥ずかしながら、こうして返事をするのが精一杯で、そちらに行く体力がありませんで。
わたしはそろそろかしらとぼんやり思う。年も年だし。亡くなった夫が心配して、こうしてわざわざアプリに返事をくれるのは、彼なりの優しさなのだろう。それでも、
「もう少し、こちらにいます。また会いましょう」
と返した。
90歳のわたしはまだ、年上の人をあきらめていない。
平日の遊園地は空いている。
スタッフのほうが多いんじゃないかと思うくらいで、来園した若い夫婦は「そろそろここも潰れちゃうかもね」と声を揃えた。
彼らは誰も乗っていない、「笑っちゃうくらいゆっくり走るジェットコースター」に乗ることにした。
トコトコとそれは進んで、時折小さなコブを乗り越えたりしている。
スリルがないね。とふたりは言い合う。
生活ってそういうものか。
ふたりの胸の内は一致している。
彼女が胸ポケットから離婚届を出す。
今? と彼が驚く。
あまりに遅いからと彼女に言われ、それはこのジェットコースターのことなのか、別れることなのかと彼は悩んだ。とりあえず「ペンもはんこも持ってないよ」と答えたが、用意のいい彼女はペンとはんこも取り出した。
そこでコースターは止まる。
書けということか。と覚悟を決めた彼は、離婚届にサインをした。それを彼女に返したとき、コースターは突然スピードを上げた。
景色がふたりの日々に変わる。
それをふたりは泣きながら見た。
おかえりなさいと出口で言われる。
あれ、離婚届は? と聞かれた彼女は、飛んでいっちゃったみたい。とちいさく笑った。
もう少しだけ、小さなコブを乗り越えていきませんか?
もう少しだけね。
ふたりはトコトコと歩き出した。
木彫り作家の友だちが片手間に作った「飛べない翼」という名のキーホルダーは、あまりに素敵なので観賞用として飾ってある。
それが昨日、飛んでいた。
そういえば。
使ってもらえないと飛んじゃうから気をつけてと言われていたっけ。
スズキ商店のおじさんが、ウサギになって、店先でモチをついている。
「今日は早いな」
とぼくはウサギのおじさんに声をかけられ、「なんか頭がぼーっとするから帰ってきた」と返事をした。
「そうか、ぼっーと生きるのはいいことだ」
おじさんはそんなことを言って、長い耳を揺らした。
スズキ商店の看板から、 ゛ が落ちてくる。
「秋だもんね」
「秋だからな」
スズキ商店は今年もススキ商店になった。