「結婚してください」
膝をついて小さな箱を開く。その箱の中には綺麗な指輪がはまっている。
「喜んで」と泣き笑いで彼の手を取る。
手を取り合って、未来を向く。いつまでもお互いを支えようと誓う。
こうして、私達の新しい人生が始まった。
それから随分時間が経った。
それでも私達は、どんな時も手を取り合って歩んでいく。
何があっても、これからもずっと。
手を取り合って、二人で一緒に地面を蹴飛ばし空へと飛んだ。
『手を取り合って』
君を支配する優越感――。
貴方に支配される劣等感――。
「どうして何度言ってもわからないんだ!」
声を荒らげ手を上げる。
これは決して君が憎いからじゃない。「君を思ってやっているんだ」
「ごめんなさい」
震える声でそう返す。
全て私が悪い。わかってる。ちゃんと。「ごめんなさい」
その日も、ただ、いつも通り「躾」をしていただけだった。なかなか君が理解しないから。
それだけなのに、どうして、動かなくなった? 声をかけても何の反応もない。嘘だ、まさか。
徐々に冷たくなっていく躯。
反して、僕の呼吸は荒くなっていく。
僕は君を大切にしていた筈なのに。
君がおとなしく言うことを聞くから、いつしか優越感を感じるようになっていた。君を支配しているという優越感を。
聞こえる声がだんだん遠くなる。どうしてこうなったの?
最初はあんなに幸せだったのに。全てが嘘なら、良かったのに。
貴方に愛されて私は本当に幸せだった。
気付けばだんだんと苦しくなっていて、いつからか劣等感を感じるようになっていた。貴方に支配されているという劣等感を。
優越感なんて間違っていた。
劣等感なんて感じる必要はなかった。
お互いを想い合えれば、それだけで良かった。
こんな結末なら、何もいらなかった。
立ち尽くす男と横たわる女の間には、もう何も感じるものなどなかった。
『優越感、劣等感』
これまでずっと、与えられたそれが使命だと思って、それだけの為に生きてきた。来る日も来る日も、それを果たす為に努力してきた。
そしてとうとう、その使命を果たすことができた。
その使命を果たして、僕は――僕はこれから、どうしたらいいんだろう。
これまでずっと、それだけの為に生きてきた。それがなくなってしまったら、もうどうしたらいいのかわからない。
これから、何を目指して生きていけばいいんだろう。これからずっと、僕はどうしたらいいんだろう。
『これまでずっと』
突然知らない人から1件のLINEが届いた。
誰だ。どこかの業者か? そう思いながら、とりあえずメッセージを開いてみる。いざとなったら通報すればいいし。
開いたそのメッセージに、思わず顔をしかめた。
『突然このようなメッセージを送ることをお許しください。
今から世界が大変なことになります。
それを防ぐ為には次のことを行わなければなりません。
まず、塩水で体を清めてください。
次に東京タワーの麓へ行ってください。
その場所で神聖な言葉を唱えてください。
危険が迫っています。日付が変わるまでに必ず行ってください。
あなたの身に幸運が訪れますように。』
――なんだこれは。
宗教? いや、単なるいたずらか。とりあえず、怪しいものには違いない。
アホらしいと思いながら通報を押し、Twitterを覗く。
なにやらタイムラインが騒がしい。トレンドを見ると「LINE」や「東京タワー」、「世界滅亡」などの言葉が入っている。
もしや、さっきのメッセージか?
どうやら自分だけじゃなく、多くの人に届いているようだ。
『俺のとこにも来た。みんなに届いてるのか』
『世界オワタ』
『塩水塩分濃度何%で作ればいい?』
『みんなで東京タワー行こうぜ!』
『神聖な言葉って何』
お祭りのように盛り上がっている。一斉に届いたらそりゃ話題にもなるし、ちょっとワクワクもする。
しかし、一体送ったやつは何を考えているんだ? こんなに大勢に届いてるってことは、組織なのか? やっぱり何かの宗教絡み?
まぁ本気にするだけ無駄だろうけど。
みんなも当然ネタとして楽しんでいるだけ。明日には「何だったんだろうね」で終わるし、一週間もすれば忘れられるような出来事だ。
しばらくタイムラインを眺めていたが、何かしら進展があるわけでもなく、いつしか飽きて寝てしまった。
そして、二度と目覚めることはなかった。
『1件のLINE』
あのこがいなくなって一週間。あれから初めて夢を見た。
それは、あのこが帰ってくる夢。いつものようにソファでくつろいでいた。
あぁ、帰ってきたんだ。元気なんだ。良かった……。
心からほっとした。
でも気付いてしまった。これは夢だって。
だって、たしかに見たから。あのこが灰になるのを。煙が天へ昇っていくのを。
ソファでくつろぐそのこを優しく撫でた。気持ち良さそうに目を細める。相変わらず柔らかい毛並みをしていた。
朝、目が覚めると、泣いていた。
あのこは優しかったから。
きっと、私がいつまでも悲しんでいるから、励ましに来てくれたんだろう。
いつまでも大好きなあなたのこと、忘れないよ。
ちなみに、またその次の日も夢に出てきた。そして「お供え物をもっと美味しいご飯に変えてくれ」って訴えてきた。
なんともあのこらしい……。
ちょっと元気が出て、ふふっと声が漏れる。
次、目が覚めたら、今よりもきっと笑えるはずだ。
『目が覚めると』