8月31日、午後5時。
とっくに夏休みなんて終わってるけれども、長年染み付いた心の癖が抜けない。
時計の日付を見るたびに、「ああ、今日で夏休みも終わりか。」と思ってしまうのだ。
不安と満足感と後悔と期待と。
様々な感情が溶け合う。
大人になったとしても、きっと8月31日には夏休みの終わりを感じるのだと思う。
地平線まで続く大広間のようなところに、均等に柱が並べられている。ギリシャの神殿を彷彿とさせる柱だ。
そしてどこからか光が差し込んでいる。柱の影もはっきりしないような、弱い、光だ。
なにかに怯えているから不明瞭な光なのか。それともかすれた力で精一杯光っているのか。それは分からない。
柱の間には、たまにカーテンのような薄い布がかかっている。
カーテンだけではない。ピアノがあったり、描き途中の絵と画材が散漫に広がっていたり、シロツメクサが生えていたり。それらは無限に続く柱の間に、不規則に出現する。
扉が見つかることもある。試しに一つ開けてみると、七段ほどの下り階段の下に水が張っていた。それは満天の星が映る湖だった。
しまった。長すぎてしまった。楽しくて止まらなくなってしまったのだ。
お察しの通り。
これは私の心の中の風景の、理想という名の妄想である。
夏草?
え、じゃあ春草もあるの?
秋草もあるの?冬草もあるの?
なんそれ、何が違うん?
という疑問が湧く。
どこからどこまでを夏草と呼べばいいのかわからないが、今はたぶん夏草。
「魔法が使えそうな夜だねぇ。」
「今日は綺麗な満月だよ」と君に教えてもらったので、そう返した。言ったあとでちょっと恥ずかしくなったが、語尾に「!」までついた同意が返ってきて嬉しくなる。子供じみた発想でも決して馬鹿にしないところが、私が君に惹かれた理由の一つである。
どんな魔法を使いたい?と聞くと、空を飛んでみたいという答えが返ってきた。
いいね、空中散歩。うわ最高。いつかしようね。したいね。
そんな会話が続く。
まあ非現実的で不可能なのは二人とも重々承知しているが、想像上では自由だ。絶対楽しい、空のお散歩なんて。しかも君と二人。
きっと周りには誰もいないから、お互いの好きな歌でも歌いながら、流れ星を探しに行こう。
そんな空想の中で私は、君と飛び立つ。
終わらない夏よりも
あの日感じた幸せを
また感じられる日が
来ますように。