脚のない葦

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7/17/2023, 5:18:08 AM

あの日のことを思い出す。
遠い昔、そう思えるけどつい最近のことなんだ。
5年、たった5年で僕の価値観はずいぶん変わった。
あの日夢見た愛は、必要がないと結論が出て。
あの日夢見た力は、必要だからと血反吐を吐いてる。
ああ、あの日の僕は気高かった。
今の自分は、紐を縊られているような気分だ。
ずっと、自分の力で漕いだ自転車と仰ぎ見た空を覚えてる。
灰色だった、だけどこの人生の中で三本の指に入る程に美しいと感じたのだ。
『■■■になったら■■■■』
ずっと頭の中を反芻していた、あの言葉を思い出す度。さあっと秋風が吹き抜ける、頭の温度を下げていく。あの日の僕が、どうして泣きそうな眼で笑ってたのか。今でも鮮明に思い出せる。僕は愛を捨てたかもしれないが、確かに同時に何かを確かに得た。あの光は、今も僕の手の届かない場所で眩しく輝いている。
今も、昔も、同じ場所で。ちかちかと、ときにブランコのように揺れながら。光っているんだ、それに手を伸ばす僕の手は醜い。
だけど、それでも良いと思うんだ、どうせ……
あは、絵空事はやめようか。

7/16/2023, 9:41:25 AM

「嗚呼、こんな夜とはさよならしよう」
君は笑いながらそう言った。手を取り合って夜の公園で遊んだあの時も、泣きながら映画の感想を言い合った帰路も。全てはあなたがいたからだった。
「僕は気がついたんだ、ここは夢の中だって」
ええ、そうでしょう。あなたは布団から一歩も出ていません、そこで私と愛を囁き合ったんです。
「ねぇ、此処でずっと夢を見ていたくはありませんか」
私は意地悪に笑います、だってあなたのタイプは猫みたいな人だから。
「見ていたいさ、でも、ここで君を愛したところで」
苦しそうに俯き、深い葛藤が唇を震わせます。
「言っていいですよ、どうか私を目覚めさせて」
あなたは意を決したように顔を上げました、乱暴な声色は決意よりも、なるようになれという乱雑さを大いに感じました。
「僕は、僕を好きになれないから」
あなたはそれだけ言って、脱兎の如く逃げ出しました。
私は、霧のたちこめる空間に一人取り残されます。
あなたに愛されるように創られた体が、ありもしない心が。
寂しさ、なんてものを感じたように思えました。
これからあなたは、私を捨てて現実を愛するのです。
それでも、私はあなたが布団に横たわる時、静かに見守りましょう。魘されるときは心配し、可能ならあなたの前に姿を見せましょう。
「……よい一日を」
あなたの目覚めが、素晴らしいものであることを願っています。

7/13/2023, 1:47:12 PM

彼女と僕を引き逢わせたのは、劣等感だと確かに思う。わいわい、がやがや賑わうファミリーレストラン。味のしないフォカッチャを、作業のように口に押し込む。彼女は温かい料理を、丁寧に丁寧に口に運ぶ。食べ終わるまで一時間近くも掛かることだってざらな僕と違って、彼女は一切の無駄なく食事を終わらせる。今の時点で、僕は半分も食べ終わっていない。それなのに、彼女はもう十分もあれば無くなるような量しか皿に残っていなかった。
「それで、最近は何しているの」
彼女は僕にそう言った。僕は手を止めて、ゆっくり口の中の食べ物を飲み込んだ。
「なんてこと、ないよ」
そう答えた僕を、彼女は怪訝そうな目で見た。この目を見るのは、大晦日にダウトをやって以来だ。
「弱ってるみたいね」
学生のくせに、彼女の言葉の端々にはその言葉が透けて見えた。何も悩むことなんてないだろう、働かなくても奨学金があれば死なないんだから。君は昔から、人並みに生きることのできる才があったでしょ。
それとも何、君は〈人並みに生きる〉つもりじゃないの。彼女のしなやかで無駄な肉のない手指が、そう言っている気がした。
「最近は太ってきちゃって、調子出ないや」
僕は馬鹿みたいにへらりと笑う。どこかで、不眠のストレスを紛らわすために吸っているシーシャの匂いが。不満も、不平も、個性ですら洗い流すためのコーヒーの匂いが。食欲なんてないのに、生きるために買った安い牛丼の香りがした。或いは鼻の奥に焼き付いた万年筆のインクの香りが、流れる水のように形を変えたものだったのかもしれない。
彼女はもう、何も言わなかった。
僕ももう、これ以上軽口は叩けない。
彼女は僕よりずっと優れていて、僕は劣ってる。幾ら言葉を重ねても、彼女に触れようと手を伸ばしても。僕が彼女みたいになれる、その時はきっと何光年も先だと知ってたから。
「……暗くなる前に帰ろうか」
「そうしたほうがいいよ」
夜の帳に包まれて、ガムシロップみたいに甘い夢を視よう。愛する君の手指を口に含んで、君の匂いがしないベッドに寝転ぼう。そうして朝になったら、君に怒られる恐怖を鞭に起き上がる。そんな作業を、しよう。君の存在を胸に押し込んで。