ワスレナグサの語源を知っているだろうか。
ドイツのとある伝説が有力な説らしい。
簡単にまとめると、こうだ。
とある騎士が、恋人のためにこの花を摘もうとして足を滑らせ、川の流れに呑まれて命を落とした。
彼は最期に「僕のことを忘れないで」と恋人に言った。
彼女は、愛する人の言葉を忘れず、生涯この花を髪に飾り続けた。
悲しい終わりを迎えても、その愛は永遠のものであった。
正真正銘本物の愛が、二人の間には存在した。
そんなラブストーリーが、この花の背景にはあったのだ。
____そんなロマンチックで素敵な話に聞こえる。
しかしこの伝説、よく考えると、割と恐ろしい側面もあるのではないだろうか。
私には、まるで彼が最期の言葉で、恋人の愛情が半永久的に自分に向くように仕向けたように思えたのだ。
ワスレナグサの花言葉の一つは「真実の愛」。
この騎士が、死の間際になんとかして恋人に伝えたい、と思った言葉は「自分のことを忘れないで」だった。
だからきっと、騎士が恋人を愛していたのは本当だろう。
そして彼は、恋人の自分への愛を補強した。
自身の死によってそれが失われることの無いように。
私にとって、それは一種の呪いのように思えた。
この騎士もその恋人も、きっと彼の言葉をそうは思わなかっただろうが。
私がこの伝説を通じて恐ろしいと感じたことは、他にもある。
ワスレナグサのもう一つの花言葉は「私を忘れないで」。
この花の日本語名は「勿忘草」。
英語名は「forget-me-not」。
ドイツ語名は「Vergissmeinnicht」。
いずれの言語でも、名称自体が「(私を)忘れないで」という意味を持つのに、花言葉にも同じ意味の言葉がある。
まるで誰かに念を押されているような気がする。
…もしも例の騎士の恋人があの後、騎士のことを忘れて生きていたら、一体どうなってしまっていたのだろうか。
バイト帰りに一人夜道を歩いていると、近所の公園の隅に、ブランコが見えた。
なんだかブランコに懐かしさを感じて、立ち止まって眺めていた。
ブランコを囲む小さな柵にはPPバンドが張り巡らされ、その領域への立ち入りを拒絶していた。
近付いてみると、暗さで最初は気付かなかったが、支柱に「老朽化のため使用禁止」と書かれた紙が貼られていた。
「こんばんは〜」
突然背後から声がした。
心臓が飛び出るかと思った。
振り向こうとすると、自分の前にそいつは立っていた。
いつの間に…?
「えっと…」
「あ、ブランコに乗りたいの?」
誰だこの子。
見覚えはないが、外見は普通に可愛いらしい少女。
家出とか追い出されたとか、そんな風には見えなかった。
恐らく自らここに来たのだろう、と感じた。
しかし、こんな時間に子どもが一人で出歩くことを許す親がいるとは思えない。
そんなヤツもこの少女も、自分の友人には居ないはず。
「…でも、来てくれて嬉しい。ありがとう。」
なんだか嫌な予感がした。
____きっと関わってはいけない、立ち去らなければ。
と思ったが、時すでに遅し。
少女が抱きついてきた。
「……あぁ、幸せ。待っていて本当によかった。」
一瞬、目眩と金縛りのような感覚があった気がした。
次の瞬間、目に映る世界は別世界に。
…どこまでも続いていそうな草原。
辺り一面が鮮やかな緑の世界に、突然現れた一軒家。
彼女が言う。
「私たちの家。どうぞ入って。」
なんだかさっきから頭がぼんやりする気がする。
さっきまで何を考えていたか忘れてしまった。
まあそのうち思い出すだろう、大事な事ならなおさら。
そういえば彼女、何をしているヒトだっけ。
まあそれも後で思い出すだろう。
なんて考えながら、とりあえず、彼女に付いて行く。
思考が行ったり来たりしている、ブランコのように。
………うん?ブランコ…?
それが『自分』の最後の記憶。
______そこから先のことは、もう分からない。
自分から始めたのではない。
それを求めていた、というわけでもない。
いつの間にか始めさせられていた。
こうして、ただ生きていくのも悪くない、と思うようになったのは、つい最近のことだ。
歩み続ければあらゆる景色が変わる。
心を豊かにしてくれるものと出会える。
今はただ、幸せを探して歩んでいる。
目的地に辿り着けるかは、その時まで分からない。
そもそも目的地への行き方なんてものは無い。
極端な話、どこに居ても命の保証すら無い。
命綱は存在しない。
この時間を手に入れたことへの代償であるかのように。
絶対的なものが存在しない世界で生きる。
その世界で、時の流れに身を任せ、あてもなく放浪する。
その様は、まさに『旅』。
……自分の旅はいつまで続くだろう。
もしかしたら案外あっさり終わるのかもしれない。
何が待っているだろう。
何が起こるのだろう。
______そして。
自分は何を得るのだろう。
この、旅路の果てに。
あなたに届けたいものがある。
あの日の私の、心からの贈り物。
あなたにずっと言いたかったことがある。
いざ考えてみると、上手く文章に出来ないけれど。
あなたに謝りたかったことがある。
助けてもらってばかりで、恩返しの1つも出来なかった。
あなたに届いてほしい思いがある。
許してほしい、とは言わない。
何も言えずにこの地を去る私を。
あなたとの大切な思い出をも忘れてしまう私を。
でも。
私を救ってくれたあなたに、心からの感謝を。
私に愛情を教えてくれたあなたに、特大の愛を。
___ありがとう、本当に。
叶うのなら、永遠に共に過ごしたかった______
なぜ、人は故郷を懐かしむのだろう。
自分が育った、というそれだけの理由でここまで懐かしい気持ちになるのはなぜだろう。
私の場合はきっと、『自分が育った』という言葉の中に、幸せな思い出が詰め込まれているから。
そしてその思い出を、故郷という場所が思い出させるからだろう。
幼少期に歳の近い子供と遊んだ公園。
家族と買い物をしたショッピングモール。
家族の誕生日プレゼントを買いに行った雑貨屋。
初めてできた親友と出会った学校。
文化祭の買い出しをしたスーパー。
他にもある、きっと挙げたらきりが無い。
箇条書きにすると少し味気無いが、あの時、私は確かに幸せだったのだろう。
ハプニングも色々あったが、今となってはそれすらも、幸せな思い出の一部なのだ。
あの幸せがあったから、今の私は故郷を懐かしいと感じられるのだろう。
郷愁、という言葉がある。
意味は『異郷から故郷を懐かしむ気持ち』。
自分が郷愁を感じているのは、故郷を離れたからだろう。
つまり、今の『故郷を離れた私』がいるから、私の中の郷愁の念が育ったのだろう。
ならば帰省はもう少し先にしようか、と思った。
今は、この感情をじっくり味わっていたい。
思いを馳せる。
私の育った街へ。