波音に耳を澄ませて
冬の海が好きだ。
海のない街で育った。
海まで行くには1時間半くらい山道を歩かなきゃ行けなくて。
高2の冬。
元旦の翌日。
親に何も言わず書き置きだけして静かに家を出た。
まだ日ものぼってなくて、たまに車が通るだけの静かな街を歩いた。
初日の出ではないから海岸に人はほとんどいなかった。
薄着で出てきたことを後悔しながら、靴を脱いで海に入った。
歩きながら打ち上げられた海月を足でつついていた。
波が冷たくて、心地よかった。
辛くて不安定な日常を少しだけ忘れて、波音に耳を澄ませていた。
カーテン
カーテンが好きだった。
私の実家にはクーラーがなくて、夏場はずっと窓を開けていた。
風に揺れるカーテンに身を絡めて、3時間以上ぼーっとしていた。
大学に進学すると同時に、一人暮らしを始めた。
もちろんクーラーのある家だ。
窓を開けることなんてほとんどない。
カーテンが揺れることも、ない。
先日、久々に実家に帰った。
相変わらすクーラーはなくて、家中の窓が開いていた。
カーテンを眺めても、昔のように何時間も見ていられるわけではない。
大人になってしまった自分が、少し憎かった。
空はこんなにも
私は精神を崩すと視界に影響が出ることが多い。
症状は特に決まっておらず、視野が極端に狭くなったり、色が見づらくなったり、光や遠近感の調節が出来なくなったりと様々だ。
私の19年の人生の中で最も精神を病んでいた17才の年は、視界もぐちゃぐちゃだった。
初回の授業で白髪のおじいちゃん先生だと思っていた先生が40代の黒髪の先生だった。
隣の席の子に先週と先生変わった?と聞くと怪訝な顔をされた。
歩いている時に、階段がとてもとても長く高いものに見えた。
上りきれないような気がして、よく途中で座り込んでいた。
突然自分の身長が高くなったかのように錯覚することもあった。
母に聞くと、そんな一日二日で伸びてたまりますか、と返された。
ほとんど常に見える景色はセピア色で、極稀に強烈なコントラストを最大にしたような白黒映像に見えた。
自分の人生を続けることを選んだ日の夜、私は空を見上げた。
普段は空を見上げることなんかなかった。
昼も夜もただ眩しいだけで、何もないはずだった。
でも、その日は違った。
まぶしくてたまらなかったはずの月が、優しく暗闇を照らしていた。
見えなかったはずの星が静かに輝いていた。
ただ黒くて狭かっただけのはずの空はどこまでもどこまでも、広かった。
ああ、空はこんなにも
子供の頃の夢
子供の頃の夢など、あまり覚えていない。
ただ、ころころ変わっていたことは覚えている。
幼稚園の卒業アルバムには「がか」と書かれていた。
他の同級生たちが「おはなやさん」「しょうぼうし」などと答えている中、ただ1人、年齢的にはその単語を知らなくてもおかしくないような、「がか」という二文字。
しかし、その夢は比較的早く夢ではなくなった。
小学6年生の時の発表では、「先生」になりたいと言っていた。
当時の担任が大好きで、そんな先生になりたいと思った。
しかし、中学に上がった頃には教員という職業のブラックさに気が付き、目指すのをやめた。
中学生の時は、「厩務員」になりたかった。
馬に乗るのが好きで、進学先を専門学校にしようとまでした。
しかし、周りの猛反対に遭い、自分自身でも体が持たないと思って、趣味程度におさめようと考え直した。
高校の時、私には夢がなかった。
…というよりは夢が存在し得なかった。
自らの将来を自らの手で閉じようとしていた。
そんな私は大学生になった今、「舞台俳優」を目指している。
法的にはとっくに大人なのだが、大学生なんて世間的にはまだまだペーペーなので、子供と言ってもいいだろう。
ただ、叶わないだろうな、とは自分の中で薄々思っている。
だから、「舞台俳優」を本職にするつもりはさらさらない。
現実的に将来を見つめたとき、私の夢は「演劇の先生」だ。
結局小学生の頃の夢に戻るのである。
大学を卒業する頃にはまた何か別の夢に変わっているかもしれない。
だがそれで構わない。
その時はその時で、その夢に向かって進むだけである。
どこにも行かないで
私は束縛が激しい方だ。
好きな人に限らず、友人や先輩、先生など、自分の周りにいる人が他の人と楽しげにしていると嫉妬してしまう。
要はちやほやされたいのであろう。
しかし、その思いを外に出すことは決してしない。
嫌われるのが怖いからだ。
精神が限界で、家に友人を呼んだことがある。
どれくらいの時間いてほしい?と問われ、私は咄嗟にそっちの都合でいいよ、と答えた。
友人は1時間ほどで私の家をあとにした。
帰り際、本当に帰るの?と彼に問いかけた。
彼は帰るよ、思ったより元気そうだったし、と返した。
元気じゃないよ、と言おうとして、やめた。
多分それを言っても彼が帰ることに変わりはない。
だから私は笑顔を作って、そっか、またね、と彼を見送った。
でも、本当は言いたかった。
どこにも行かないで。