白くて美しいその子のことを、わたしはいつも遠目に見ているだけだった。奔放なのに凛とした姿勢が近寄りがたくて、どうにも馴れ合う気質には見えなかったからだ。それでも生き延びる知恵を備えているらしいことは明らかで、わたしは特に甲斐甲斐しい世話なども焼かなかった。
なのにどうして、こうなったのか。──礼儀を弁えているお客様は、ご丁寧に窓をノックした。繰り返される音に外を見遣れば、映る白くてスラリとした姿に、思わず間抜けな声が出るというものだ。一拍遅れて窓を開けると、その子は落ち着き払った様子で佇んでいた。室内に入ってくる気配はないが、立ち去る風でもない。
「ええと、」
「何も、あげられるものとかなくて」
「今日はこのあと、用事もあって」
「だから……」
戸惑いを隠せずにいるわたしのことなどお見通しとばかりに、その子は綺麗な青い瞳でわたしを見上げている。「……明日までに、用意しとくね?」たくさん考えてから出したその返答を聞いて、にゃあ。ようやっと楽しそうな声を挨拶に、その子はくるりと踵を返して行った。
約束を違えるタイプには思えないから、明日までに何かを用意しておこう。なるほど、こういった処世術で生きてきたのだな。そんな些か的外れな感心を抱くわたしは、その後その子が自宅に居着くようになることなど、知る由もなかった。
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突然の君の訪問。
咲いたばかりの花だった。名はあるが道端にも生えるような、あまり気に留められることのない花だ。しかし、降り注ぐ雨に濡れる花弁はやわそうに見えて艶めいており、細っこい茎はしなれど決して折れなかった。もちろん、隣り合う同じ花々の中には、早々に倒れてしまったものもある。ゆえにこそ、雨の中でもしっかりと佇むその姿からは、普段よりも生命力が感じられた。
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雨に佇む
何年か前の日記を読み返していた。どんなに
忙しい日も、1行だけはと書き続けていたものだ。けれど、ある月のある日。そこだけに存在する空白の出来事は、何も書かれていないからこそ、今でも鮮明に思い出された。
空白を見つめる瞳は暫し昔日の記憶に支配されて、側からはどこかぼんやりしているように見えたことだろう。ひとたび目を閉じれば時間は再び今へと戻り、寂寥とも旧懐とも言いがたい心地が胸中に渦巻く。確か、ささやかな日々を忘れぬようにと始めた日記だったけれど。今でも楔のように残るのは、綴られなかった──綴れなかった、その日なのだ。
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私の日記帳
もう長い付き合いだというのに、思い返せばふたりは互いの目をまともに見た記憶がない。人と話すときに、相手の顔を見れないタイプゆえにだろうか。それとも、そもそも他人に興味がないのだろうか。スマホをいじっていた手が止まる。「あのさ」、同じ第一声にかち合う視線。隣り合うだけでは分からなかった、向かい合っているからこそ知る、相手の表情。
ほんのりと色付いた顔を伏せて、どちらともなく笑みがこぼれ出る。再び目を合わせれば、これからはきっと、瞳に映るその光景が一等愛おしいものになる筈だ。
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向かい合わせ
雨風をしのぐように、建物の隅でうずくまっている猫がいる。
寂しい心を紛らわすように、仮初の居場所で無理に笑う子どもがいる。
暖かい毛布も、話せる家族もいるはずなのに、空虚を抱えて動けない人がいる。
何かをしてあげたくても、何もできない、無力な自分がいる。
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やるせない気持ち