13.遠い日の記憶 兎黒大赤
壁を隔てた向こう側からガヤガヤとした喧騒が響いてくる。そんな活気溢れる居酒屋の個室に俺は座っている。木兎の所属しているチームの祝勝会と称して開かれたこの飲み会も酣な今、俺は顔をひきつらせていた。
少し前から酔った黒尾と赤葦の悪ノリによって木兎の黒歴史が次々暴かれていたのだが、かなり酔ってきた黒尾が自爆したことで暴露の範囲が木兎からこの場にいる4人全員に広がってしまったのだ。3人は酔いの力を借りてあくまでも楽しそうにしているが、かなり上戸な俺はこの雰囲気に飲まれ損ねてしまっていた。
「そういえば木兎さんは小六の時におねしょしちゃったらしいですよ」
「ちょっと!あかーしそれ誰から聞いたんだ!?」
赤葦は淡々と僕との黒歴史を暴露するし、木兎はいちいち大声で反応するし、黒尾は相変わらず胡散臭い笑みを浮かべながら無差別攻撃をしているし、その無差別攻撃は勿論俺にも飛んでくるしで俺のメンタルはもうブレイク寸前である。
………いや、俺は断じて酔ってなどない。
まぁ多少気分が良くなってきてはいるが。
「そういやさーむらサンは高三にもなって怖い夢のせいで寝れなくなったらしいですネー」
「ええー!意外とさーむらにも女々しいとこあんだな」
「ギャップ萌えですね。ギャップ萌え」
どうやらまた攻撃が飛んできたようだ。実際高三の初め頃部活で後輩が教頭のヅラを吹っ飛ばしたせいで夢でも教頭のヅラが吹き飛んでうなされていた時期もあったが、別に眠れなかった訳では無い。
目の前では未だ暴露大会が開かれているが俺は昔を追憶していた。あの頃は部活一筋で、生活も部活中心だった。落ちた強豪なんて不名誉な呼び名が広まるほど落ちぶれてしまった部活を建て直し、全国に行くべき意気込んでいた。その過程で個性的な1年生に悩まされたり因縁のライバルとの繋がりを取り戻したりと本当に山あり谷ありと言った感じで、さらには俺は進学コースにいたので受験勉強もしないといけなかったので三十路の見えてきた人生を振り返っても一番忙しくて、一番充実していた1年であったことは間違いない。この3人と出会ったのだってこの年だった。
俺が昔を回想して郷愁に浸っているうちに赤葦が限界を迎えたようだ。ほか2人も結構よっているのでもうお開きになった。家が居酒屋から近い木兎が赤葦と一緒に帰り、俺は黒尾を介抱することになった。木兎と赤葦はどちらもかなりよっているので不安だったがまあなんとかなるだろう。きっと。
12.七夕 兎黒大
「澤村さん短冊かけました?」
俺は何やらうんうん唸っている木兎を後目に澤村に問いかけた。俺たちは通路の一角を占めている七夕コーナーで短冊に願い事を書いている。
元々腹ごしらえのためにこのフードコートのある大型ショッピングモールに入ったのだが、流石というべきか、やはりと言うべきか木兎が目ざとく七夕コーナーを見つけてきたので俺たちは腹ごなしにここにやってきていた。
「改めて考えてみるとなかなか難しいな」
そう言って難しい顔をする澤村に、澤村さんは強欲なんですねなんて軽口を叩けば横目で睨まれてしまった。
「そういう黒尾はもう決まってるのかよ」
そう聞いてくる澤村に俺はニヤリと笑って答える。
「もちろんですとも。俺は澤村さんと違って心が綺麗ですから」
澤村は手元の短冊に目を向けたままその顔でよく言えるななんて突っ込んでくる。
「できた!」
先程まで割かし静かに唸っていた木兎が突然大きな声を上げる。木兎に掴まれている短冊には「赤葦に小言を言われませんように」と書かれている。
「木兎…。織姫と彦星はそんなことを願われても困るだろ」
俺がいたたまれない気持ちで黙っていると澤村が呆れながら木兎から短冊を奪う。それに対し木兎は不服そうに何かぶつくさと呟いている。
「2人ともひでーな。俺にとっては重要なことなんだよ!」
「あーほら、もっと具体的に願い事をしないと願い叶わねーかもしんねえぞ」
俺の言葉に確かにと一つ頷くと木兎はじゃあ赤葦に朝もっと優しく起こして欲しいとか赤葦が好き嫌いしても怒らないで欲しいとかかなぁと言いながら新しい短冊を準備し始めた。
俺は赤葦に同情しながら木兎を見守る。赤葦、俺と澤村はお前の味方だからな。
「ところで澤村さんは願い事、決まりましたか?」
「そうですねー、黒尾さんのその腐りきった性根をどうにかしてもらいましょうかね?」
11.未来 黒大
「そろそろ三ヶ月か」
俺はカレンダーを見ながら呟いた。
三ヶ月。それは最後に黒尾に会ってから経った時間だ。俺達は高校3年生の時に知り合い、大学2年生の時に付き合い始めた。俺が東京の大学に入るということで上京し、一人暮らしを始めてから黒尾に色々と世話になり、なんだかんだあって付き合い始めたのだ。しかし、俺が地元の宮城にUターン就職したため今は直接会う機会はめっきり減ってしまっていた。だからといって疎遠になっている訳ではなく、電話やメールで連絡は取り合っている。
ただ、だからといって頻繁に会える訳もなく、ここ3ヶ月会えていないし、向こう1ヶ月は確実に会えなさそうである。互いに社会人になって、仕事に精を出すことも必要だが、同じように癒しも必要なのだ。早く直接会ってアイツの温もりを感じたい、なんて。こんなこと考えてるなんてあいつにバレると色々面倒くさそうだと苦笑いしながら先月分のカレンダーを剥ぎ取った。
10.1年前 黒大
晩飯も食い終わり、居間でテレビを見ていると不意に背中に重みを感じる。
「くろお」
「どうした?」
「くろおーーー。づがれだぁ」
俺達が付き合い始めて5年、同棲を始めて1年。互いに相手に自分の弱い部分を見せたり、甘えたりするのは苦手な性分だが、少しづつ相手を頼ることができるようになってきていた。ただ1人溜め込みがちなことに変わりはないが。
「会社で何かあったんでしょうか?」
「ん"ん"ん"ん"ー」
それでも、1年前にはこうして澤村が自分から負の感情を外に出すことは少なかった。俺から声をかけてやっと話してくれる、そんな感じだった。だから互いに余裕がなかった時にかなり空気がギスギスしたこともあった気がする。
「それどっちだよ」
「うるさい」
そんないざこざも乗り越えて来た今、澤村の扱い方は俺が1番知っていると豪語しても良いだろう。そして俺の経験上こういう時は俺からは何もせず澤村の我儘に従順であるべきなのである。
「理不尽じゃないですかサームラサン」
「いいから、黙って抱き枕になってろよお前は」
そう言いながら澤村は俺を後ろに引っ張る。どうやら俺は澤村と添い寝をする権利を手に入れたらしい。
9.あじさい 黒大
のとある6月の平日、もう昼休みが終わるというタイミングでポケットの中の携帯が短く着信を伝える。ゴールデンウィークの練習試合の際に連絡先を交換した黒尾からだった。主将同士の情報共有という名目で交換したが、其の実、くだらない連絡の方が多い。美味しかったラーメンの写真を送ったり、日常の中で見つけた面白いことを送りあったりしていることが多い。勿論主将として情報今日をしたりもしているが。
授業が終わり休み時間に入ったのでメールを確認してみる。そこには、「東京にも緑はあるんですよ」という文言とともに雨でびしょ濡れになった音駒の面々が軒下で雨宿りをしている写真が1枚貼り付けてあった。みんなで昼飯を買いに行っていたようで、何人かがコンビニの袋を手にかけている。そんな中で、写真の端っこにぽつんと映っている紫陽花が目を引く。
(東京でも紫陽花咲いてるんだな)
なんて、失礼かもしれないがそう感じてしまう。東京のシティーボーイ共はもっと入り組んだ複雑な土地に所狭しとビルが生えた場所で生活していると思っていた。ただ、それでも宮城の道端の紫陽花の方がボリューミーだ。
こんなちょっとした対抗意識から、「さすが東京。なんでも揃ってますね」なんていう文言とともにその日の帰りに撮った紫陽花の写真を送り付けてやった。