いちご

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9/26/2024, 9:06:39 AM

窓から見える景色


 ドアが閉まり、動き出す。窓から見えるのはただの壁だけれど、俺からタイルが逃げていくその瞬間に釘付けにされている。そう長くない時間のはずなのに、ひたすらに引き伸ばされていた。それから、本来なら心地よいはずの太陽が打ち付けられた釘を焼き消して笑った。
 首にかかったヘッドホンを着け、プレイリストを流す。何度シャッフルしたところで気分にあう音楽は流れてくれない。サイコロの無能さに呆れていると、小さなアコースティックギターの音色が流れ始めた。前奏が異様に長いことが特徴的な、個人的に夏を代表すると思う人の代表的な曲、そのAcoustic Remix Ver.だ。夜明け前に焚き火を消して、支度を始めるようなそのアレンジは、今の俺にはとてもしっくりくるものだった。
 音に身を委ねる。跳ねるような弦の音は、私の記憶をも跳ね飛ばしていた。

 朝7時に家を出てバス停に向かう。大抵は君が先にベンチで座ってバスを待っていた。そこに居なければ休み、そういう共通認識がいつの間にか出来上がるほどに日常的なものだった。スマホを操る君の手は、俺のものより何倍か早く、打つのが遅いとよく小馬鹿にされていた。

ちらっとそのバスの青が見えた。いつも乗っていたものだろうな。

 ふと横を見ると、枝の間から海が見えた。反対を見れば、君がテスト勉強をしている。気づいた彼女と目があい、逸らして外を見ていると、俺のノートに落書きを始めた。それからはお互いのノートにずっと落書きをしていた。おかげでまともに勉強出来なかったけれど、まぁそれはそれで楽しかったからよかった。

今窓から見えているのがその海だ。懐かしい。

あの店は、この公園は、あの交差点で、あの橋で──。

いつの間にか眠っていて、気がついた頃には到着まで残り約10分に迫っていた。何も知らないまま過ごしていた、ずっと続くことを願う必要も無いくらいの日常を自ら終わらせることは出来なかった。途切れて欲しくなかった。

もう車窓に思い出は映らない。心地よいアコギはピアノに変わっていたが、眠る前と変わらずその曲は、最前線を走り抜けていた。

9/21/2024, 10:59:12 AM

秋恋


僕の手から君と同じ匂いがする。
この時期に鼻がむず痒くなるのは
きっと花粉のせい。

9/20/2024, 10:48:01 AM

大事にしたい


ずっと傷ついてきた。
誰もが刃を向けてるように見えた。
その刃はとても鋭くて、
漫画みたいな飛ぶ斬撃で体が切れそうだった。
もちろん傷跡は残るわけで、
いつ古傷が開くのか常に恐れていた。

だけどあなたは、それを褒めてくれた。
だからそんなに優しいんだねと、
私を肯定してくれた。

決してそんなことはないんだよって
言いたくなって疼くけれど。
どうせならそう思ってみようって、
身体中の包帯を煌びやかなリボンに変えた。

9/1/2024, 6:53:17 AM

不完全な僕


ここに住みたい。ここから見た世界はどんなものだろう。もしここで産まれたなら。もしこんな体験をしていたら。ここに生きる人は何を考え、どう感じるのだろうか。言語には思考が関係するというが、方言もその対象なら、どんな思考をしているのだろう───

旅行をする度にこんなことを思う。そしてそれが叶わないことを瞬時に理解してしまう。

僕にとって人生は物語でありゲームでもある。その作品に触れたくなる。そして、それを支えた家、友人、様々な場面を知りたい。私自身が図書館のようになりたい。長い長い人々の記憶は、きっと1冊のノートにまとめることなんてできない。

どんなに素敵な物語なんだろう。どんなに楽しいゲームなのだろう。

私はどれだけの命があれば「人」を知れるだろう。どんなことをすれば「人」を体験できるだろう。どこまでも見透せる目があれば、どんな音も拾う耳があれば、何でも覚えられる脳があれば、それは叶うだろうか。


あぁまた新しい景色だ。あなたは誰?何が不満?好きなことは?楽しいことは?恋はしてる?赤色は何色?青は?叶えたいことは?


あなたはこの景色をどう見ているの?

8/27/2024, 2:14:58 PM

雨に佇む


 久しく聞かなかった雨音。改めて耳を澄ましてみると、夏を感じさせながらも、とても落ち着く音をしている。悲しさを天気で表した時によく使われる雨だけれども、それはこういう落ち着きというか、気分を鎮めるようなものがあると思う。そういえば、親友と雨の気持ちの向け方だけは違っていた。好きな映画は同じだった。あの映画の名台詞はなんだったか。あの時ハマったアニメは最高だった。2人で集まってずっとゲームをしていた。なくなってしまった公園で、初めて会った。そんな少年時代をふと思い出して、懐かしくなった。
 彼も私と同じように雨が好きな男だった。「雨に濡れるのが好きだ」とよく言っていて、私には理解が難しかったことをよく覚えている。曰く、一度身体の大半が濡れてしまえばどれだけ濡れても同じだし、泥水を含んでいるからいくら泥だらけになっても同じだ。そうなればなんでもできる。どれだけ今何かに追い詰められていても全てを忘れて自由になれる。というのだ。私からしたら自暴自棄になっているとしか考えられないのだが。しかし実際のところ彼自体は非常に思慮深く、考えてから行動に移すことの方がどちらかといえば多かった。きっと自分にないものを補ってくれるものだと認識していたのだろう。彼は雨から、行動力や勇気をもらっていたに違いない。
 そんなことを考えていても雨は一向に止まない。どうせなら、彼のいうことを試してみようか。今に固執し、停滞している私には新鮮な考え方であるし、何か掴めるものがあるかもしれない。
 そんなことを考えて、私は屋根の下から出た。彼の言っていることはやはりよくわからなかった。雨に勇気をもらうだなんて想像もできない。ただただ私は濡れただけであった。気づかない間に妙な期待を持っていたせいで、少しがっかりしてしまった。見上げても何も起こらない。彼の得た行動力は、勇気はどこにあるのだろうか。まだ私は彼に手が届かないのだろうか。私はこれまでもこれからも、ずっと立ち止まったままなのだろうか。
 この失望は、雨に向けたものではなかったと、しばらくして気づいた。変わる気のない私への諦め、失望、それに気づこうとしない怠惰への呆れ、様々なものが混ざっていた。
 とにかく動かなければ何も始まらない。変わるために、雨に入ったのだ。きっとまだ歩ける。前へ進み続けられる。



ああ、思い出した。あのセリフは──

Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?

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