【さらさら】
砂時計が好きだ。
理由は自分でもわからない。
けれど、さらさらと落ちていく砂を見ていると気持ちが落ち着く。
数分なんてあっという間に過ぎてしまう。
さらさら、さらさら
可視化された時間が積み上がっていく。
さあ、もう良い頃合いだ。
美味しいお茶を飲もうじゃないか。
【これで最後】
この子と会うのはこれで最後。そう思って送り出したはずだった。
可愛い弟子だ。本当は手放したくなんてない。もっとたくさんいろんなことを教えてやりたかった。けれど、もう限界だ。これ以上一緒に居れば、私が普通ではないことに気付かれる。
まだ若い愛弟子が、どうか良い人と出会って、楽しく暮らせますように。私はそう祈っていたのに。
「……なんで戻ってきてるの」
朝食後、畑に出たら弟子がいた。
「あ、師匠。おはようございます」
「おはようじゃないのよ。どうしてあなたがここに居るの」
「え、だって。僕が居ないと誰が師匠の面倒を見るんですか?」
「自分のことは自分でできるわよ!」
「できてないですよね?」
三日前に旅立ったはずの弟子は、ずいっと私に顔を近付けてきた。
「寝癖直せてませんよ。と言うか、直そうという努力しました? そもそも、ブラッシングしてます?」
「そんなことどうでもいいのよ」
「良くないですよ! 師匠の髪、こんな綺麗な髪は滅多にないのに! 全然、自分で管理できないじゃないですか!」
世話好きな弟子は私の腕を掴むと家の中に連行した。
「あー! 皿洗ってない。いつのですかコレ」
「今朝よ、今朝。後でやろうと思ったの」
「ちょっとそこ座っててください」
私を椅子に座らせると、皿を洗い始めた弟子。後でいいと言っても聞きやしない。
「食料は? ちゃんとありますか。今朝は何を食べたんです?」
「……昨日採ったトマトとパンとチーズ」
「それ、全部そのまま囓っただけでしょう。料理って知ってます?」
「知ってるわよ、失礼ね!」
「じゃあ、スープを作るとか肉を焼くとかしましょうよー」
弟子は家の収納を勝手にあちこち開けた。
「うわ、生肉どころか、ベーコンもソーセージも卵も無い!」
「明日か明後日には行商人が来るわよ」
「あと二日も野菜とパンで過ごすつもりだったんですか!? いや、これ、パンも足りなくなるでしょう……」
「あのねぇ。あなたはここを出て行ったはずなのよ?」
「出て行けるわけがないでしょう。そういうことはまともな生活ができるようになってから言ってください」
じとっとした目を向けられ、ちょっと怯んだ。でも、ここで譲るわけにはいかないのだ。
「だめよ。お願い。もう出て行って。私はひとりになりたいの」
「それって、師匠が年を取らないからですか」
気付かれていた。いつから。私の顔からは血の気が引いて、座っていなければふらついていたかもしれなかった。
「すみません。そんな顔をさせたかったわけじゃないんです」
弟子は私の近くまで来ると、屈んで視線を合わせてきた。
「師匠。あなたが何者か、聞くなと言うなら聞きません。でも、どうかそばに居させてください。僕は短命な人間かもしれない。けど、師匠の近くに居たいんです」
「絶対、後悔するわ」
「僕はしません」
「普通の人間の女の子を好きになるかもしれないじゃない」
「僕が好きなのは師匠ですから」
真っ直ぐな目でそんなことを言われて、流石に照れる。
「……馬鹿な子」
「馬鹿で構いません。そばに置いてください」
つうっと頬を涙が流れ落ちた。
「師匠!?」
「ごめんなさい、泣くつもりじゃ」
本当は寂しかった。昔の魔法の事故で年を取れなくなった私は、いつまで生きるかもわからない。人恋しくて弟子を取り、魔法を教え、けれど長くは一緒に居られない。寂しくて、悲しくて。
「師匠。僕がここに居るの、そんなに迷惑ですか?」
「……違う。違うの。本当は……」
私は泣きじゃくりながら、自分の事情を話した。
「じゃあ、僕の寿命を延ばすか、師匠が年を取れるようになれば解決ですね! 僕、頑張って研究します!」
「なんでそんなに前向きなのよ」
「だって。話してくれたってことは、僕はここに居てもいいんでしょう?」
誰もそんなことは言っていない。言っていないけれど。もうこれ以上、独りは嫌だ。そう思った。
フィクションです。ネットリテラシー大事。
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【君の名前を呼んだ日】
彼は私にとってずっと『ヒノカ』さんだった。出会ってから二年、いや、三年か。
ネット上だけの付き合いが続き、同じゲームをしたり、本や映画をおすすめしてもらったり、料理のレシピを交換したり。
良き相談相手でもあった彼と、初めて会う。私はものすごく緊張していた。
「もしかして『せり』ちゃん?」
待ち合わせの時間より早く声を掛けられて、心臓が口から出るかと思った。
予想していたよりも小柄だ。大人しそうな眼鏡の男性。黒髪で、真面目そうで、穏やかに微笑んでいる。
「『ヒノカ』さん、ですか?」
「はい。はじめまして……っていうのも、なんだか変な感じだね。日村ほのかです。よろしく」
「ほのかさんっていうんですか。え、本名?」
「そうですよ。だから『ヒノカ』なんです」
「そうだったんだ……」
男性には珍しい名前だなぁと思って、ハッとした。彼が名乗ったのなら、私も名乗るべきかと。
「渡辺梨世です」
「ああ。りせちゃんだから『せり』なんだ?」
「うん、そうなの」
頷いてから、しまった、と思った。年上の初対面の男の人に、随分砕けた話し方をしてしまっている。
「あ、えっと、ごめんなさい」
「ん? なんで?」
「口調……ヒノカさんだと思うと、どうしても馴れ馴れしくなってしまって」
ヒノカさんがふふっと笑う。目尻に少しシワができて、なんだか優しい笑顔だなぁと思った。
「別にいいよ。楽に話そう。俺もせりちゃんとはタメ口の方が落ち着くし」
「じゃあ、無理に敬語じゃなくてもいいかな?」
「もちろん」
私とヒノカさんは映画を見に行き、カフェで感想合戦をして、更に話し足りなくて居酒屋に行った。
これはデートなのかもしれない。私がクズ男と別れたばかりで、傷心なので愚痴を聞いて慰めて欲しい……なんて要望がなければ。
「もう最悪! 本当に!」
「そうだね、せりちゃん何も悪くないのにね」
「いつか刺されちゃえばいいのに!」
「せりちゃんはやっちゃだめだよ。そんな奴のために前科ができるなんてもったいないからね」
「うん……」
「せりちゃん、もしかしてお酒強い?」
「そうなの。うちの家系、女の人の方がお酒強くて」
「へぇ……でも、あんまり飲み過ぎちゃだめだよ」
そういうヒノカさんは少し赤い顔をしていた。
別れ際、ヒノカさんが振り向いた。表情を引き締めてじっと私を見つめてくる。
「渡辺さん」
「……え?」
「また、俺と会ってくれますか」
「えっと、はい。ヒノカさんと話すの楽しいし」
良かったと言って笑ったヒノカさん……いや、ほのかさんは、半年後には私の恋人になっていた。
「あの……ほのかさんって、いつから私のこと好きだったの?」
つい、気になってそんなことを尋ねた。
「そうだな。君の名前を呼んだ日には」
「それって、初めて会った時?」
私が無様に愚痴をぶつけたあの日か……
「うん、でも。もしかしたら、もっと前からだったかもね」
百合です。ご注意ください。
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【やさしい雨音】
学校から帰ろうとしたら、豪雨だった。傘があってもずぶ濡れになること間違いなしの、まさにバケツをひっくり返したみたいな雨だ。
折りたたみ傘しか手元にない私は途方に暮れて、弱まるのを少し待つことにした。靴箱に寄りかかるように立って、外を眺める。
「あれ? まだ帰ってなかったんだ」
後ろから来た手芸部の先輩に声を掛けられた。
「折りたたみしか持ってなくて。風に負けちゃいそうなんですよね」
「そっかー。私もこの中を外に出るのはちょっと嫌だなぁ」
ビカッと空が光り、ゴロゴロ、ドーンとすごい音がした。
「うわ、雷」
「びっくりしたあ。割と近そうだったね」
雨はなかなか止まなくて、むしろ酷くなっていく。
「家の人、電話したら迎えに来てくれたりしないの?」
「無理だと思います……」
「そっかぁ」
「先輩は? 迎え、頼まないんですか」
「うち、両親共働きだし、この時間は誰も帰ってないかな」
「そうなんですね」
こんな時だというのに、先輩の些細な個人情報を知れたことが嬉しくなる。
「あの……先輩の、今編んでいるマフラーって」
「ん? 何? ああ、部活のやつ?」
雨はまだすごい音で降っていて、自然とお互いの距離が近くなる。
「はい、あの白いマフラーです」
どきどきしながら、思いきって尋ねた。
「誰かへの、プレゼント……ですか?」
「特にそういう予定はないなー。学園祭で売り物にしようかと」
「え。もったいない!」
思わず大きな声が出てしまって、赤くなった。
「あ……いえ、すみません……」
「いや、ほら。私編み物が趣味だからさ」
それは知っています。
「マフラーなんてもういくつも編んでるし」
それも知っています。
「バザーでもなんでも、使ってくれる人の手に渡るならいいかなーって」
「あの」
図々しい願いだとわかっている。けど。
「誰でもいいなら、私にくれませんか!?」
心臓が口から飛び出しそうだった。先輩の中性的な整った顔が間近にある。睫毛長いな、肌が綺麗だなぁ……
「もらってくれるの?」
先輩が嬉しそうに笑った。ああ、好きだ。そう思う。伝える勇気はないけれど。
「助かるよー。家族には『これ以上増やすな』とか『もう要らない』とか言われちゃってて」
「完成したらプレゼントするね」
こんなに近くで先輩の笑顔が見られて。プレゼントの約束までしてもらえるなんて。
荒天が齎した予想外の幸運に、うるさいくらいの豪雨が、なんだかとてもやさしい雨音のように思えた。
【歌】
自分の中に他人の記憶があるなんてこと、誰にも言えなかった。魔法のない世界だとか、ここではない国だとか、周りの誰も知らない科学技術だとか。打ち明けたら、きっと頭がおかしくなったと思われる。
それでも、僕が優秀だと言われたのはその記憶があったおかげだった。僕は習わなくても計算ができた。知識は武器だ。子供の頃の勉強が大人になってからどれだけ大事か、僕には身にしみていたんだ。
僕の中の記憶、それはたぶん『前世』ってやつなのだと思う。でも、本当にそうなのか。ただの妄想じゃないのか。
自動車とか信号機とか、エアコンとか電子レンジとか、スマホとかインターネットとか……どれも記憶にはあるけど、詳しい仕組みなんて何ひとつわからない。
自分は本当に自分なのか、リアルな夢じゃないのか、もしかして、明日目が覚めたら日本で布団の上にいるんじゃないか。そんなことを何度も考えた。
だけど夢は覚めることなく、僕は16歳になって、貴族の跡取りとして見合いをさせられた。政略結婚だ。拒否する権利は僕にはないけど、気が進まない。
僕の婚約者候補だというご令嬢は、蜂蜜みたいな色の髪に、若草色の目をしていた。年は僕より二つ下でまだ14歳。こんな若さで結婚を決められてしまうのだから、お互い不自由なものだ。
婚約者と三度目に会った時のことだ。庭園にいるはずだと言われて、見事な白い薔薇の植え込みの影に彼女を見つけた。声を掛ける前に、僕の耳に懐かしいメロディーが聞こえた。
夕焼けと赤とんぼの、日本の小学生の多くが知っているあの歌。この世界にはないはずの音程。歌っていたのは、僕の婚約者だった。
振り向いた彼女は、眩しそうな顔をして、それから僕に聞かれていたことに気付いたのか、真っ赤になった。その顔の可愛らしいこと。
僕は彼女の手を取って、言った。
「私と結婚してくれますか」
「え、あ、あの……わたくしたちは、もう、婚約者同士だと思うのですけれど」
「さっきの歌、僕も知っているんです」
婚約者は目をまんまるにして僕を見た。
「僕は……自分の頭がおかしいのかと思っていました。あなたに出会えて、よかった」
「私、わたくし……ずっと寂しくて。誰にもわかってもらえないから」
「そうですね。わかります」
「これからは、独りじゃないと思って、いいですか……?」
もちろんです、と僕は頷いた。優しく微笑むつもりが泣き笑いになってしまったのは、見なかったことにして欲しい。