【歌】
自分の中に他人の記憶があるなんてこと、誰にも言えなかった。魔法のない世界だとか、ここではない国だとか、周りの誰も知らない科学技術だとか。打ち明けたら、きっと頭がおかしくなったと思われる。
それでも、僕が優秀だと言われたのはその記憶があったおかげだった。僕は習わなくても計算ができた。知識は武器だ。子供の頃の勉強が大人になってからどれだけ大事か、僕には身にしみていたんだ。
僕の中の記憶、それはたぶん『前世』ってやつなのだと思う。でも、本当にそうなのか。ただの妄想じゃないのか。
自動車とか信号機とか、エアコンとか電子レンジとか、スマホとかインターネットとか……どれも記憶にはあるけど、詳しい仕組みなんて何ひとつわからない。
自分は本当に自分なのか、リアルな夢じゃないのか、もしかして、明日目が覚めたら日本で布団の上にいるんじゃないか。そんなことを何度も考えた。
だけど夢は覚めることなく、僕は16歳になって、貴族の跡取りとして見合いをさせられた。政略結婚だ。拒否する権利は僕にはないけど、気が進まない。
僕の婚約者候補だというご令嬢は、蜂蜜みたいな色の髪に、若草色の目をしていた。年は僕より二つ下でまだ14歳。こんな若さで結婚を決められてしまうのだから、お互い不自由なものだ。
婚約者と三度目に会った時のことだ。庭園にいるはずだと言われて、見事な白い薔薇の植え込みの影に彼女を見つけた。声を掛ける前に、僕の耳に懐かしいメロディーが聞こえた。
夕焼けと赤とんぼの、日本の小学生の多くが知っているあの歌。この世界にはないはずの音程。歌っていたのは、僕の婚約者だった。
振り向いた彼女は、眩しそうな顔をして、それから僕に聞かれていたことに気付いたのか、真っ赤になった。その顔の可愛らしいこと。
僕は彼女の手を取って、言った。
「私と結婚してくれますか」
「え、あ、あの……わたくしたちは、もう、婚約者同士だと思うのですけれど」
「さっきの歌、僕も知っているんです」
婚約者は目をまんまるにして僕を見た。
「僕は……自分の頭がおかしいのかと思っていました。あなたに出会えて、よかった」
「私、わたくし……ずっと寂しくて。誰にもわかってもらえないから」
「そうですね。わかります」
「これからは、独りじゃないと思って、いいですか……?」
もちろんです、と僕は頷いた。優しく微笑むつもりが泣き笑いになってしまったのは、見なかったことにして欲しい。
5/24/2025, 11:46:01 AM