百合(GL)です。苦手な方は回避願います。
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【空に溶ける】
巫子の祈りと魔力が空に溶けるように広がっていく。あっという間に雲が増え、暗くなって、雨が降り出した。
「巫子様、ありがとうございます……!」
私は住民たちに微笑み、手を振って応える。自己嫌悪と無力感に苛まれながら。
看板には私を。実際の祈りは彼女が。それは神殿の決定で、私が悪いわけでも、そうしたいと望んだわけでもない。
ただ、私が王族の血も引く公爵家の娘で、彼女が平民の農家の子だったから。そんなくだらない理由で、神殿は国も民も騙している。
目立つ容姿の私を着飾らせ、立たせた後ろで、付き添いの侍女に扮した彼女が巫子の力を使う……もう何年も、ずっとそうやって、雨乞いの祈りが行われている。
私は怖い。いつか偽りの巫子であることが周囲に知られて、責められ見捨てられるのではないかと。
「お嬢様、何か考え事ですか」
彼女が呆れたように笑って話し掛けてくる。
「……私、あなたの功績を奪ってしまっているのよね」
「またその話ですか。お嬢様が気に病む必要なんてないのに」
「でも。本当の巫子はあなたなのよ」
「いいんですよ、私は。真っ白なローブを着せられて、巫子として人前に立つなんて、向いてないので。そんなことよりお茶にしましょう。美味しいお茶菓子がありますよ」
そんなこと、なんて。簡単に流せてしまえるような軽い話ではない。
私がもし独りになったら?
この侍女が巫子から離れたら?
雨の巫子が本当は非力で何もできないと知られてしまったら……
「まったく……お嬢様が何を心配なさっているのかわかりませんけど」
するりと頬を撫でられる。
「私がお嬢様のお側を離れることだけはありえません」
「……本当に?」
「ええ。私はあなたの影になれて良かったと思っているんです」
にっこりと笑う彼女の目に熱が篭もる。
「あなたはもう私から離れられない。私があなたから引き離されることもない」
ああ……私はやはり怖い。今更この人を失ったら。私には、息の仕方もわからなくなるんじゃないだろうか。
「大好きです、お嬢様。私はずっとあなたの影でありたい」
吐息交じりの囁きは、私の耳元で聞こえて。
お茶菓子はどうなったのかと思いながら、私はおとなしく目を閉じた。
【どうしても…】
ニコラスは魔法学校の落ちこぼれ。防御はできても攻撃魔法がまともに使えない……はずだった。
「危ない!」
魔獣が棲む森での実戦訓練中、よそ見をしていたサミュエルに飛びかかってきた大きなネズミを、一撃で倒したのはニコラスだった。
「え。どうして」
「ちゃんと警戒して」
「ああ、うん……ありがとう」
その日、ニコラスは他の誰よりも多くの魔獣を倒した。その姿は普段の落ちこぼれと同一人物だとは思えないくらいだった。
それなのに。
ほんの数日後に行われた模擬戦で、ニコラスはまた攻撃魔法の発動に失敗し、逃げ回るばかりの落ちこぼれに戻ってしまっていた。
「一体何なの、お前」
少し苛立ちながらサミュエルは聞いた。
「模擬戦、ふざけてるの?」
「違うよ。そんなつもりはないんだ」
ニコラスは困ったような顔をしていた。
「僕は人間を傷付けるのが怖いんだ。嫌なんだよ、どうしても……」
「だから対人の模擬戦は苦手だって?」
「だって、魔獣と違って死なせるわけにはいかないだろ」
サミュエルは眉を寄せてニコラスを睨んだ。
「俺やクラスメイトが、お前に簡単に殺されると思ってるのか?」
「いや、それは……僕、実戦訓練はかなり手加減してたし」
確かに実戦訓練の時のニコラスは強かった。まるで別人のように見えた。それでも、サミュエルたち魔法学校の生徒はちゃんと防御魔法を身につけているし、治癒の魔法が使える生徒もいる。
「考えすぎ。心配しすぎ。そんなの気にして攻撃魔法が使えないとか……」
「情けないよね。自分でもそう思う」
サミュエルは腹を立てていた。何より、へらっと笑ったニコラスを許せないと思った。実力はあるのに。ちゃんと努力をすればいいのに。
「決めた。俺が練習付き合ってやる」
「え?」
「対人で攻撃魔法使う練習だよ」
「……しなきゃ、だめかな」
「だめ」
でも、とニコラスはためらった。落ちこぼれのニコラスはクラスで孤立している。そのニコラスにかまえばサミュエルまでクラスメイトから敬遠されてしまうかもしれない……
「そんなの。見返してやればいいだろう」
「見返すって……」
「お前が落ちこぼれじゃなくなればいい」
「無理だよ」
「やってみる前から諦めるな」
サミュエルはほとんど毎日、放課後にニコラスを魔法練習場に連れていって、攻撃魔法の練習をさせた。
ニコラスは少しずつ少しずつ、人間相手に攻撃魔法を使うことに慣れていき、気付けば模擬戦の成績は常に上位に食い込むようになっていた。
案の定、サミュエルから離れる生徒もいたけれど、今までとは別の生徒たちから声をかけられるようになり、ニコラスにも話し相手が増えていった。
「ありがとう、サミュエル。君のおかげだね」
「まあな。ところで、どうしてあんなに人間を傷付けることを怖がってたんだ?」
「ええと……荒唐無稽な話になるんだけど」
ニコラスは別の世界で生きた記憶があるのだと打ち明けた。
「ここよりずっと平和な世界で、人ひとりの命が重くて、魔法も魔獣も存在しなくて……その世界での常識が僕には残ってて……信じてくれる?」
「信じるよ」
サミュエルはそう断言した。
「だってお前、嘘をつく時には顔に触る癖があるからな」
【まって】
「ひらがなの『ま』ってさ、ちょっと可愛い気がする」
『は?』
「まって、この下の丸い感じとか、なんだか可愛くない?」
『ごめん、よくわからない』
「そう? ああでも『ほ』の方が可愛いかな」
『……どこが?』
「『ほわほわ』とか『ほんのり』とか、なんか全体的に可愛いと思うんだよね」
『それは『ふわふわ』とは違うの?』
「『ふ』はあざといっていうか、ちょっとやり過ぎ感あるから、違う」
『…………わからん』
「そうかー残念」
【まだ知らない世界】
私はかつてとある世界を滅ぼし掛けた魔王だったらしい。勇者に倒された後、神々に回収されて、記憶を消された。
今は自分が『勇者』をしている。何度となく転生や転移をさせられて、あちらこちらの世界を助けては、世界の狭間に戻されて、また転生させられる。神々に良いようにこき使われているのだ。
女神のひと柱が言う。
「流石に魔王だっただけあって丈夫ね」
別の女神がクスクスと笑う。
「負の感情もしっかり浄化されているから、従順で良いわ」
「次はあの人間が滅び掛けている世界ね」
「ああ……それならこの子を人間じゃない種族に変えた方が良いかしら」
「そうねぇ。氷竜なんてどうかしら」
「いいわね。可愛らしいわ」
私は竜にされたり、エルフにされたり、人間にされたり、魔族に戻されたり、神々から与えられる姿はコロコロと変わった。そのたびに使える力も変わり、体の動かし方も変わった。
とはいえ、これはひとつの世界を滅ぼし掛けた私に対する罰だと……いや、もうそれ以上に働いてないかな、私は。まあ、逆らうのも面倒だ。好きにしてくれ。
「次に行ってもらうのは世界樹が暴走して植物が支配しつつある世界よ」
「人間が住める土地を取り戻してちょうだい」
焼き払えということなのか、新しい体は炎を操る力を持っていた。
私は必死に働いた。滅び掛けた世界のバランスを取り戻し、存続させるのが私の役目だ。
世界によっては『幸せだ』と思える時間を過ごせた。でも、同じくらいの頻度で『最悪だ』と思うような目にも遭った。
どの世界にも現地の住人たちが居て、交友関係ができて、楽しかったり腹立たしかったり、忌々しかったりした。
流石に私も少しは弱く短命な生き物たちのことを理解できたような気がする。けれど、私が特定の相手のことを特別大事に思っているとわかると、神々が記憶を消そうとしてくる。
おそらく、私がまた魔王になることを警戒しているのだろう。誰かのためにという思いも行き過ぎれば毒になるのかもしれない。
記憶を消されるのは気分が悪い。だから私はいつからか、神々にはあまり自分の感情を打ち明けなくなった。
一体どれだけの世界を助けただろう。突然、私の前に見慣れない神が現れた。いつもの女神たちがいない。
見慣れない神が言った。
「よく頑張ったね。君は沢山の世界を救い、思いやりを知り、暴走せずにここまできた。そろそろ君自身が神を名乗っても良いと思う」
神……私が神になるのか?
「しばらくは私の補佐を頼む。ちょうど新しい世界を作ろうとしているんだ」
見慣れない神が私に力をくれた。世界の狭間から自由に出られる力を。女神や他の神々に抵抗できる力を。
「君は沢山の世界を見てきただろう。次はどんな世界が良いと思う?」
私が世界を作る手伝いをするのか。せっかく作るのなら永く続く世界になると良い。やはり人間に相当する種族は必要だろう。沢山の獣や植物も。ああ、その前に土と水、それに光か。
「さあ新しい世界を創ろう。君も見たことのない、まだ知らない世界を……邪神になんてならないでおくれよ?」
【手放す勇気】
馬鹿なことをしているという自覚はあった。平穏な暮らしを投げ捨てて、自ら面倒事に巻き込まれることを選んだ。
だって放っておけなかったのだ。まだ幼い甥が異母弟の母親から命を狙われているなんて。
王妃になった妹が唯一遺した忘れ形見。その子を守るために、私は罪を犯した。
王子である甥をさらって逃げたのだ。第一王子は継母である現王妃に毒を盛られて亡くなった……そう偽装した。おそらく表向きは病死と発表されるだろう。
私は妹と甥を失ったことに意気消沈したように装い、宮廷魔法士の職を辞して国を出た。僅かな従者とその家族を連れて。甥をその中に紛れ込ませて。
甥は王の子でもあるけれど、やはり妹に似たのだろう。私が少し教えただけで、あっという間に魔法の使い方を覚えていった。乾いた土が水を吸うかのように。
甥の様子がおかしいと気付いたのは、国をひとつ横断している最中。いくらなんでも落ち着き過ぎていた。周囲の環境の変化にもっと戸惑うだろうと思っていた。
時間を取って話を聞いた。すると、甥はとんでもないことを言い出した。別の世界で生きた前世の記憶と神々の加護があるというのだ。
信じ難い話だ。けれど、そういうことなら今の状況に説明がつく。実際、甥は王子の立場では縁がなかったはずの知識を持っていた。誰にも習わず、料理をしてみせた。
とはいえ、まだ10歳にもならない子供だ。当分は保護者が必要である。
私は名前も身分も捨てて別人として暮らし始めた。甥のことは弟子として扱った。
とても優秀な弟子だ。私より優れた魔法士になるかもしれない。いつかは独り立ちして、王子でもなく私の甥でもない何者かになっていくのだろう。
その時はこの子を手放す勇気と守る力を持っていられたら良いと思う。