百合です。苦手な方はご注意ください。
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【変わらないものはない】
いつか捨てられるのではないかと、心変わりされるのではないかと、長い間ひそかに怯えていた。せめて法律が認める夫婦になれれば、例え紙切れ一枚だって多少は彼女を引き止める役に立つかもしれない。けれどそれも私たちには無理な話。この国では結婚は異性としかできないんだから。
愛されているという自覚はある。私だって大好きだ。一緒に暮らし始めて六年目、未だに朝の見送りにはキスをして、夜には出迎えのハグを交わしている。
「法律が変わったら結婚してよ」
少し冗談めいた口調でさらりとプロポーズされて、それでも私はまだ不安で。
「いつまで一緒に居られるのかな」
そんなことを言ったりした。
「ずーっと一緒に居るつもりだけど?」
当たり前でしょ、とばかりに、彼女はちょっと呆れたような顔をしていた。
「でも……状況も気持ちもいつまでも同じじゃないと思うし」
「それはそうだよ。昨日よりも今日の方が好きだもん」
いや、私はそういう意味で言ったんじゃないんだけど。
「変わらないものはないなんて思うなら、法律が変わる方を期待してたらいいじゃない」
「……それで、籍を入れるの?」
「そう!」
「今更結婚式とかしちゃうわけ? ふたりとも白いドレスで?」
「式はどっちでもいいかなー。その分、新婚旅行を豪華にするのもアリだと思わない?」
「まあ、悪くはないけど……」
でもそれは、あくまでも『もし法律が変わったら』という仮定の話だ。
「もー。なんでそんなに心配するの。私を信じてくれないの?」
「信じてないわけじゃなくて……自分にそこまでの価値があるかなぁって」
私の物言いに彼女はちょっとだけ腹を立てたらしかった。
「私の大事な人をけなすようなことを言わないでくれる?」
「それは……でも……」
「でも、じゃない」
彼女はぎゅっと私を一度抱きしめて、腕を緩めると優しげに笑った。
「そうだ、ココア作ってあげる」
「なんでココア?」
「弱気になってる時は甘いものと温かいものがいいじゃない。甘くて温かいなら最強でしょ」
暖房の設定温度を上げた彼女は、私に上着を一枚着せてから、キッチンに立った。すぐに甘い匂いが漂ってくる。
だけど、焦ったような「あっ!」という声がして。
「ねー、マグカップ洗ってなかった。手を離したら吹きこぼれるし焦げちゃう。お願い、これどうにかしてー」
私は思わず笑ってしまった。一旦火を止めればいいのに、それを思いつかないらしい。
仕方ないなぁ。
私はそっと彼女に歩み寄り、後ろから腕を伸ばして火を止めた。
「あ。そっか。止めたら良かったんだ」
「意外とうっかりしてるよねぇ」
「ごめんごめん」
結局、マグカップは私が洗ったし、ココアを注ぎ分けたのも私だった。
「うん、美味しい。やっぱり鍋で作ると美味しいよねぇ」
彼女が得意げに言うから「ほとんど私がやったと思う」と指摘した。
すると、彼女は笑って言った。
「そうだよ。私の彼女は有能でしょ。これからも一緒に居てよね。ひとりじゃココアも用意できない私のために」
【クリスマスの過ごし方】
え、クリスマスの過ごし方?
25日に何をしてたかってこと?
どうしたの、急に。
イブにチキン食べたりケーキ食べたりするでしょ。あれもう、買って帰るだけでも疲れちゃってさ。結局食べ切れなかったし。だからケーキの残りを食べてたかな。
それ以外?
いや、平日だし普通に仕事だった。知ってるでしょ。夜はおでんを作ってたよ。なんか、急に食べたくなって。家にある一番大きな鍋で大根を煮たりとかしてた。仕事の帰りにおでんセット買ってさ。最近はコンビニで袋入りのおでんが買えるんだよね。あれも足すと美味しいんだよ。
そういうことじゃなくて?
ああー。誰かと一緒に居たかって?
何、恋人がいるかを聞きたかったの?
それならそう言ってよー。
恋人はいないよ、いない。ひとり寂しくケーキ食べてたよ。だから尚更、食べきれなかったんだって。チキンも飽きてきちゃうし……でも季節のイベントってなんとなく参加だけはしたいじゃない、ねぇ?
え?
来年一緒に?
いや、流石にそれは気が早いって言うか、随分先の話だね?
あ、ああー、何、そういう意味?
いやでも、本当に俺でいいの?
見ての通り、別にイケメンでもないし、自分で言うのもなんだけど、ちょっとぽっちゃりだし……食べさせるのも好きだから、俺の恋人になんかなったら太っちゃうかもよ?
それでもいいの?
マジで?
え、嘘。俺も嬉しいんだけど。
じゃあ、えっと、これからよろしく……
あは。なんか照れるね、こういうの。
あの、それなら、さ。
良かったら、今夜おでん食べに来ない?
いや、変な下心とかはなくて。ああ、信じてもらうのは難しいかな。男の部屋にいきなり来いとか、ねぇ。まあ、別に無理にとは言わないんだけど、駄目?
作りすぎちゃったんだよねぇ、おでん。
【イブの夜】
いつからか、トンカツが重たく感じるようになり、好きなはずのステーキですら持て余したり、天丼よりも蕎麦を頼むようになったりしていた。でも、己の老化は直視したくないし、イベントは楽しみたいし……
「ほら見ろ、チキンレッグひとり一本はもう俺らには食えないんだよ。ケーキもあるんだぞ」
長年の相棒であり、同居人であり、親友でも恋人でもある男が、腹をさすって息を吐く。
「買う量を考えようぜ、もう少しさ」
「そんな寂しいこと言わないでよ。イブの夜って言ったらコレでしょー!」
「でも余らせたらもったいないだろ」
「だからって……ピースで売ってるのはフライドチキンだよ? それこそ食べきれないよ」
「量を控えろって言ってんの。シェアすりゃいいだろ」
「チキンレッグをふたりで一本?」
「そうでもしないと他のものが食えないだろ」
えぇーっと不満に呻いて、でも、テーブルの上のオードブルセットがかなり残っているのも確かで。これ、明日の朝にも食べられるかな。
あ……もしかして、それどころじゃないくらいに胸焼けしてるかも?
「こう考えてみようぜ。『俺たちはふたりで居るから、まだチキンが食える』」
「それはそうだけど」
男がいたずらっぽく笑った。
「俺の食いかけじゃ嫌か?」
狡い聞き方だ。
「……嫌じゃない」
「なら、来年からはシェアしよう。な?」
「うん」
こくりと頷いたら、良い子だとばかりに頭を撫でられた。
今更、来年も一緒に居てくれるかなんてことは疑っていない。けど、お互いあちこちガタがきている。大病を患うのだけはやめて欲しいと切に願う。
「シェアでいいから……来年も一緒にチキン食べようね」
【プレゼント】
「もうすぐ年末か。でも、この世界には『クリスマス』がないんだよな」
そう言って、異世界から来た聖者様は少し寂しそうな顔をした。
「くりすます、とは何ですか?」
それはここでも再現できるものだろうかと、私は尋ねてみた。
「俺がいた世界では、一年間良い子にしていた子供がクリスマスの日にプレゼントをもらえるイベントがあったんだよ。サンタクロースっていう……子供の守り神? いや、守護聖人だったかな? そういうものがいて」
「ここでは貴方が聖人ではないかと……」
「そうなんだよねぇ」
聖者様は少し何かを考えてから「ああ、そうか」と呟いた。
「そうだよ。俺が聖人なんだから、俺がやればいいんだ。やろう、クリスマス」
聖者様はまず、針葉樹の若木を切って来させると、神殿のあちらこちらにそれを立て、飾り付けた。
「来年は鉢植えを頼もうかな。これ、ちょっともったいない気がする」
植物も生きているからね、と優しいことを言って、聖者様は微笑んでいた。
「本当は日が決まっているんだけど、暦が違うし、適当でいいか」
三日後を『クリスマス』とする。そう宣言した聖者様は、大量に菓子を用意した。店で買っただけではなく、手ずからクッキーを焼いて、少しずつ紙袋に入れ、リボンを結んだ。もちろん私も手伝った。
「こんなに沢山どうなさるんですか?」
「流石におもちゃを配るのは大変だからね」
配る……聖者様が焼いたクッキーを配るのか。そんな希少なものを?
クリスマスにすると定めた日。聖者様は神殿の入り口に立って、声を張り上げた。
「俺の故郷のやり方を尊重して、今日は子供のためのプレゼントを用意した。受け取れるのは未成年だけだよ。子供もひとり一回だけね。ほら、並んで並んで。子供連れじゃないなら、渡さないからね」
聖者様が作ったクッキーだとわかると、大人も当然欲しがった。混乱を防ぐため、聖者様は『十二歳以下』と年齢制限を決めた。流石に年を偽るにも限界がある。
噂が街に広まったらしく、午後からは子供連れで神殿に来る者が増えて、大量の菓子は足りなくなってしまった。
「今年は突然だったからね。次からはもっとちゃんと用意しよう」
最後の数人に菓子を渡せなかったことを、聖者様は残念がっていた。
「準備不足だよなぁ」
そう。準備が不十分だったのだ。この世界に『クリスマス』は存在しないし、どんなものかを知っているのは聖者様のみ。
子供のためのプレゼントが配られた、それだけがこの街の人々の認識で。
しばらく経って、年が明け。神官が手書きした新年の暦を見ながら、聖者様は眉を寄せてため息をついた。
「確かにちゃんとクリスマスの説明をしなかったのは俺が悪かったけどさぁ。まさか『子供の日』にされちゃうとはねぇ……」
【ゆずの香り】
冬至のゆず湯に入らなくなったのは、一緒に暮らす彼女の影響だ。肌に合わなくてピリピリと刺激を感じるらしく、それなら僕も無理に入らなくていいかなぁと思うようになった。
それでもこの季節のイベントのひとつであるし、雰囲気は感じたくて、ゆずの香りの入浴剤を使ってみる。彼女も『これなら大丈夫』と言ってくれた物だ。
本物のゆず湯と比べたら、人工的な香りだけど仕方がない。おまけにかぼちゃはスーパーで買ったお惣菜で済ませてしまった。別にそれでもいいじゃないか、十分美味しいんだし。
「私がお風呂を出た後なら、ゆずを入れてもいいんだよ?」
彼女はそんなことを言うけど、僕ひとりのためにゆず湯にするのはもったいない。何より、こういうのは誰かと経験を共有できるから良いのだと思う。
それなら、と僕は彼女にねだった。
「ゆず湯より、同じゆずならアレ作ってよ。紅白なます」
おせち料理なんて元々大して好きでもないけど、彼女が作ってくれた紅白なますは美味しかった。実家の味だそうで、スーパーのお惣菜とは何か違うんだよな。
「クリスマスもまだなのに、おせちは流石に早くない?」
「そうかな。いつ食べてもいいと思うよ。美味しいんだし」
何より、ゆずがスーパーに出回るのは期間限定。今じゃなきゃ作れないものなのだ。
「作ってあげてもいいけど、大根とにんじんを千切りにするのは手伝ってよ」
「もちろん。それくらいいくらでも。スライサーならあるしさ」
ついでに、ゆずの皮を削るのも僕がやろう。彼女がおろし金で怪我なんかしたら大変だ。
「味付けも覚えてみる?」
「教えてくれるの?」
彼女はちょっと苦笑して言った。
「引くほどたっぷりの砂糖が入るレシピで良ければね」
「良いに決まってる」
美味しいものは、大概が、塩か砂糖か油が多いのだ。気にしていては好きなものなんて食えやしない。
好きなものを好きなだけ食べられるのは、自分で作れる者の特権だろう。
今後、彼女の実家に行くことがあったら。たぶん、いつか挨拶をしに行くことにはなるだろうけど……その時には、美味しい紅白なますのレシピを彼女に伝えてくれたことにお礼を言おうと思う。