【空模様】
突然降り出した雨。雨宿りのために駆け込んだカフェで、コーヒーを待ちながら連れが言った。
「『女心と秋の空』って言葉、元は『男心と秋の空』だったらしいよ」
急に何を言い出したのか、と思わなくもないけど、こいつがいきなり話題を変えるのはいつものこと。こんな空模様だから、天気にまつわる雑学が思い浮かんだだけなのだろう。
「そうなんだ? どっちにしても人の心は変わりやすいってことかな」
「いや、それが。元々は恋愛的なやつで、恋人に対する『男の愛情』が移り変わりやすいって意味なんだってさ」
「……なんか嫌。どうせ浮気するって言われてるみたい」
あはは、確かに。と連れが笑った。それから急に真顔になって、
「俺はしないよ、浮気」
と、言った。
「ああ……うん」
曖昧に頷きながら、自分の頬が少し熱を持っているのを感じた。
「俺の愛情は夏の昼の空みたいにずっと晴れだから。変わらないから」
「昼限定?」
「だって、単に夏の空って言ったらゲリラ豪雨が来そうだなって」
あはは、確かに。と笑ったところで、コーヒーが届いた。
外はもう明るくなってきていた。
【鏡】
私は鏡が苦手だ。
自分の容姿を客観視したくない。
空想……いや、妄想の中でなら、どんな姿にだってなれるけど、鏡は私を現実に引き戻す。
鏡で見る白い肌は自分で思っているよりも不健康そうだし、髪はぺったりしてしまっているし、最近ますますぽっちゃりしてきたっていう事実も突きつけられる。
なのに君は、私のことを「可愛い」って言う。
あんまり何度も「可愛い可愛い」って言われて、自分が本当に可愛くなった気がしてくる。
だけど、鏡を見れば、相変わらず不健康そうで、髪は細くて、要ダイエット。
君の目に私はどう見えているんだろう。
きっと現実を歪めるフィルターがついている。
君が見ている私が鏡に映ればいいのに。
【いつまでも捨てられないもの】
(魔女と弟子)
師匠は魔女で、僕は魔女の弟子……のはずが、一度死にかけた僕に師匠が新しい身体をくれた。今では僕は魔女の使い魔。人間だった頃の姿にもなれるけど、本性はコウモリの羽がある大きな猫だ。
「家事を手伝ってくれるのはありがたいけど、無理に人の姿でいようとしなくてもいいのよ」
皿洗いをしていた僕に師匠が言った。
「今のあなたの本性は猫なのだから、四つ足で過ごした方が楽でしょう?」
師匠が気遣ってくれるのは嬉しい。でも。
「確かに僕は猫かもしれませんが、自分が人間だったことも忘れたくないんです」
僕にとって、人としての姿はきっといつまでも捨てられないものだと思う。
「何より、僕は師匠の役に立ちたいんですよ」
「そう? それならそれで構わないけど……」
あれ?
師匠がちょっと残念そうな顔をしている。ほとんどの人間は魔女を敵視しているし、やっぱり師匠は人間が好きじゃないのかなぁ。
次の日。
掃除をしていた僕は、師匠の部屋である物を見つけてしまった。真新しいそれは何故か本棚に隠されていた。
なるほど。師匠はこれを使いたかったのか。思わず顔がにやけてしまった。
『師匠、少し休憩しませんか』
僕は猫の姿で、身体の大きさを本来の半分くらいに小さくして、薬を調合している師匠に声をかけた。
「あら。今日はその姿なのね」
『たまには良いかと思いまして』
僕が猫の姿をしていると、師匠は頭や背中をよく撫でてくれる。
師匠の手は優しくて、器用で、ほっそりとした指は可憐で愛らしい。その手で触れてもらえるのはとても嬉しい。
でも、そうじゃないですよね、師匠?
『ブラッシングはしてくれないんですか?』
「えっ」
『僕のために新しいブラシを買ってくれたんでしょう?』
僕が師匠の本棚で見つけたのは動物用のブラシだった。
「……なんだ、知ってたのね」
師匠はほんのちょっとだけ、顔を赤くした。
ブラシを持った師匠が僕の毛並みを整える。頭の天辺から背中は羽の間、腰まで丁寧にブラッシングされた。
……ああ、気持ちいい。
自然に喉がゴロゴロと鳴った。尻尾は遠慮しているみたいだけど、僕は師匠になら触られても良いですよ?
『師匠は、人間の僕がお嫌いですか?』
「まさか。そんなことないわよ」
『でも、猫の姿の時しか触ってくれないでしょう』
「人の姿のあなたにベタベタ触れるわけにはいかないじゃない」
師匠の顔がまた少し赤い。
ちょっとは意識してくれていると思ってもいいよね、これは。
『師匠。やっぱり僕と結婚しませんか』
問題だった寿命の差だって、解消したわけですし。
「…………まだそんなこと言ってるの」
『そりゃあもう。これからも言い続けますよ』
僕はこの想いも、いつまで経ったって捨てられそうにありませんからね。
【誇らしさ】
短い髪に長い手足、細身で背も高くて。
女の子なのに王子様扱いされて、満更でもなさそうな君。
バレンタインには毎年沢山のチョコレートをもらってくる。
だけど知ってる。
本当は可愛いものが好きで。
甘いものなんてもっと好きで。
家の中ではちょっとだらしなくて。
『王子様』の仮面を頑張って作ってる。
本当は怖がりで。
ホラー映画なんて予告だけで涙目。
遊園地のお化け屋敷では私の服の袖をずっと摘んでいた。
でも「格好いい」って言われるのも大好きで。
外面が良くて。
女の子にちやほやされると嬉しそう。
そんな君が私の前でだけ。
油断しきった顔で普通の女の子になる。
素の姿を見せてくれる。
ぬいぐるみが好きだとか。
ワンピースが似合うようになりたいとか。
君が普段隠している、心の柔らかい所を打ち明けてくれる。
こんなに可愛い君を誰も知らない。
私だけが許されている。
君が私を選んでくれた。
そのことに、私はなんとも言えない誇らしさを感じているんだ。
【夜の海】
「僕の従兄弟がね、夜の海で」
と、彼は言った。
彼に従兄弟がいないことは知っている。
「裸足で海胆を踏んでしまったんだ」
彼は目を細めてこちらを見ていた。
ああ、人を揶揄う時の顔だ。
「暗いしさ、サンダルを流されたんだ」
彼はちょっとだけ口角を上げた。
どうやら機嫌が良いらしい。
「大変だったらしいよ」
「海胆を踏むとあの棘がさ……」
冗談にしては随分とリアルで。
ゾッとしてなんだ背筋が寒くなった。
「嘘だよ。君のその顔が見たかっただけ」
アハッと笑って、彼は言った。
ああもう、どこまでが嘘なのやら。
「少し涼しくなったでしょう?」
確かに、今日は暑いからね……
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昔、学校の先生がウニを踏んだ話を聞きまして
詳細な描写は自粛しておきます