【自転車に乗って】
たまには物語以外のものを書いてみようか。
私はファンタジーをよく読むし、書く。
けれど、お題に自転車が出てきては、勇者が騎士と旅する話には繋げづらい。
なら現代のお話をひとつ…と思うものの、抽斗を開けてみてもすんなり出てくるネタがなかった。
自転車…自転車ねぇ。
運転が嫌いだからじゃないけど、割と自転車は好きだ。風が気持ちいい。どこでも止まれて景色も楽しみやすい。
中学生くらいの頃は自転車に乗ってどこにでも行っていた気がする。
あの体力はどこに消えたのだろう?
などということを書いていたら、次の勇者の話を書くまでの間があいてしまうわけだ。忘れられてしまいそうである。
ここでは一話完結にした方が読み手には優しいんだろうなぁ。
【心の健康】
王国魔法士団の下っ端であるニールは、一枚の紙を前に首を傾げた。
「心の健康ねぇ……?」
紙には『眠れているか』『イライラすることはあるか』『憂鬱感はあるか』などの質問が書かれている。回答の結果によっては、カウンセラーを紹介されたり、魔法医の受診を勧められたりするらしい。
どうしてこんなものを書くことになったかと言えば、最近、精神を病んで退団した先輩がいたからだ。ただでさえ人手不足なので、今いる団員の引き止めに必死なのだろう。
適当に書き終えて封筒に入れた。あとは上官に提出すればいい。
「あー。俺、カウンセラー頼もうかなぁ」
朝食の席で同期のエリックがそんなことを呟いたので、ニールは驚いて尋ねた。
「どうしたの。眠れないとか?」
「……いや、自分と他人の実力の差が辛くて、みたいな?」
エリックがそんなことを気にしているとは、ニールは知らなかった。
「でも、エリックは魔力操作が細やかで強化魔法が上手いし。攻撃魔法の狙いも正確だし。別に悩まなくても」
「お前がそう言ってくれるのは嬉しいよ」
ありがとな、とエリックは苦笑した。
ニールが席を立った後、エリックはため息をついた。
「本当にあいつ、自覚がねぇなあ」
退団した魔法士を追い詰めてしまったのはニールだ。とはいえ、どう見ても自滅だった。
ニールが「落ちろ」と唱えれば、飛べなくなったワイバーンが空から降ってくる。「凹め」と唱えれば地面には大穴が開くし、それを埋めるのも一瞬。頑強なジェムタートルの甲羅も難なく貫く。同時に使用できる魔法の上限は本人もよくわかっていないという。
ニールの魔力量は団長、副団長に次いで団内三位に位置している。要するに、化け物なのだ。
しかもこの化け物、奨学金で魔法学校を卒業した孤児である。どこぞの貴族の御落胤というわけでもないらしい。
退団した魔法士は、自身の家柄と魔法の腕を誇っていた。たぶん、他に何もなかったのだろう。見下していた庶民に何一つ勝てず、プライドが高い伯爵令息はポッキリと折れてしまったのだ。もちろん、原因は他にもあったのだろうが。
「まあ、結局は。自分と他人を比べるなってことかねぇ……」
エリックの独り言に、聞こえる範囲にいた魔法士が二人、うんうんと頷いていた。
【君の奏でる音楽】
(魔女と弟子)
突然、魔女である師匠に来客があった。
「やあ。久しいねドロシア」
僕がまだ呼べずにいる師匠の名前をさらりと口にしたその人は、水の魔法が得意な魔女だ。
今までにも遊びに来ていたから顔は覚えている。前回来た時はひとりだったけど、今日は弟子だというまだ幼い人間の少年を連れていた。
「何しに来たのよ、アデレイド」
「君がとうとうチェスに捕まったようだから様子を見に来た」
チェスというのは僕のことだ。チェスターの略である。
師匠はものすごく嫌そうな顔をした。
「何よ、その『捕まった』って」
「だって。使い魔にしたんだろう?」
魔女アデレイドは楽しげに笑った。なんで知ってるんだ。
「何度もプロポーズされてたじゃないか。これからは長い長い時を添い遂げるってわけだ」
「そんなんじゃないわよ……」
うん、赤くなった師匠はとても愛らしい。
「私の弟子も可愛いだろう?」
人見知りなのか、少年はアデレイドの足にしがみつくようにして隠れてしまっている。
「あなたに子供の世話なんてできるの?」
「問題ないさ。君と違って私には使い魔が複数いるからね」
「それ、自分ではやらないってことですよね」
思わずそう言ったら、冗談半分に睨まれた。
「お? 人間を辞めたからって生意気言うようになったね」
僕はすぐに「失言でした」と謝罪した。部屋を水浸しにされてはたまらない。
「でも残念だよ、チェス。君の奏でる音楽はとても素敵だったのに」
「……音楽、ですか?」
僕は楽器も歌も披露したことは一度だってないと思うけど。
「心臓の音だよ。それから呼吸の音」
アデレイドは僕の胸の真ん中をトン、と突いた。
「終わりある短命な者が必死に生きる姿はとても眩しい。今の君からはもうあの音が聞こえなくなってしまった」
「そういうものですか……」
僕にはまだ、自分が不老長寿を手に入れたという実感がない。僕の心臓は今までと変わらず動いていると思うんだけど、自分ではわからない何かがあるのかもしれない。
師匠が何故かムスッとして言った。
「あなたにはあなたの弟子がいるんだから、その子の心音でもなんでも聞いてたらいいわよ」
アデレイドがくすりと笑う。
「そう怒るなよ。ほんのちょっと触れただけじゃないか」
「怒ってはいないわよ」
いや、怒ってますよね?
師匠が僕を睨んだ。
「あなたももっと気を付けなさい。私以外の魔女に身体を触らせるなんて、何をされるかわかったものじゃないんだから」
これが嫉妬なら嬉しいと思ってしまった。にやけそうな顔をどうにか引き締める。
「はい。すみませんでした」
僕たちの様子を見に来たと言ったアデレイドだけど、本当は弟子の少年のためだったらしい。
声が出せないらしいのだ。どうりで、静かにしているわけだ。
「ドロシアの薬ならどうにかできるんじゃないかと思って」
確かに師匠は薬を作るのが得意な魔女だけど。
少年を診察した師匠は、いくつかの薬を調合したものの、それで声を取り戻せるかは賭けだという。
「本人の意志によるところが大きいわね。喋りたいって強く思えば、もしかしたら」
アデレイドは弟子のために何度も薬を取りに来た。そして二ヶ月ほど経った頃に、少年が喋ったと報告があった。
第一声は「ありがとう」だったそうである。
その声もまた、アデレイドにとっては音楽なのだろう。
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お題【最初から決まってた】で書いたものの続きとなります。
師匠と弟子に名前が付きました。
【麦わら帽子】*長文、微修正
(勇者と元騎士、元騎士の友人視点)
アルヴィン・コールリッジといえば、伯爵家の長男でありながら闇魔法に適性を示した忌み子だ。次期伯爵は弟のダリルだと言われている。
ならば早々に家から出してしまえば良いのに、コールリッジ伯爵は長男が可愛いらしく、彼が十五歳になっても手元に置いていた。
そのコールリッジ家の長女ベアトリスとアシュベリー子爵家の長男エヴァンとの縁談が持ち上がった。
つまり。俺がアルヴィンの義弟になるわけだ。
初めて会った婚約者は幼さはあったがとても可愛らしく、俺はベアトリスと二人で庭園を歩いた。リボンで装飾された麦わら帽子がよく似合っていた。
「その帽子、とても素敵だね」
お世辞というわけでもなくそう褒めれば、ベアトリスははにかんだ笑顔を浮かべた。
「ありがとう。お兄様からいただいたの」
選んだのがアルヴィンなのかと思うと、なんだか面白くなかった。
コールリッジ伯爵はアルヴィンを騎士学校に入学させた。おかげで俺は奴の同級生だ。
妹によく似た金髪だった。身体は大きい方ではなかった。闇にしか適性がないのか、決して魔法を使おうとしない。
アルヴィンは努力を惜しまない奴だった。忌み子だからと雑用を押し付けられ、課題を増やされ、不自然な痣を作っていることすらあった。
ベアトリスが兄について手紙であれこれと聞いてくる。たまに会った時もアルヴィンの話をさせられた。婚約者を心配させないような話題を選ぶのが大変だった。
寮を抜け出し、同級生と三人で平民街に遊びに行った時だ。仲間のひとりが財布をすられたのか落としたのか。とにかく酒場の支払いができなくて、俺たちは途方に暮れた。
ツケにすることもできず、店主に凄まれて青い顔をしていたら、後ろから声がした。
「いくら足りないの?」
アルヴィンだった。
何故か金髪が茶髪になっていたが、それだけで見間違えるわけもない。
「なんだ、アル。お前が払ってくれんのか」
店主はアルヴィンと顔見知りらしかった。
「あんまり高くなければね」
「銀貨一枚だ」
「はい。これでいい?」
アルヴィンが自分の財布から銀貨を出して、俺たちは解放された。他の二人は礼すら言わずに逃げていった。
「ありがとう。助かった。金、必ず返すから」
アルヴィンは微かに微笑んだ。
「あれくらい構いませんよ」
俺はアルヴィンと寮まで並んで歩いた。勝手に抜け出したことをどう言い訳しようかと思っていたら、アルヴィンが「内緒にしてくださいね」と言って、認識阻害の闇魔法をかけてくれた。おかげで見咎められずに部屋に戻れた。
初めて経験した闇魔法は、別に何も怖くなかった。
後で聞いたのだが。アルヴィンはいずれ家を出る時のために、平民になっても困らないよう、庶民の暮らしを学んでいたらしい。ふらっと出かけた俺たちよりもずっと平民街に慣れていたのだ。
それ以来、俺はアルヴィンと話すことが増えた。金はちゃんと返し、気付けば友人と言ってもいいくらいの立場になっていた。
騎士になってからもアルヴィンは時々不自然な怪我をしていた。手当てをしてやったこともある。それでも次第に、周りには味方が増えていった。
そして、勇者が召喚された。ベアトリスよりも幼いくらいの少女だ。あまりにもか弱かった。
その少女が城から追放された時。アルヴィンは追いかけていってしまった。
困った義兄だ。俺たちの結婚式までには帰ってきてくれるといいんだが。
半月も経たずに、やはりあの少女が勇者だったという噂が流れた。俺は周りの騎士たちに声をかけた。
「あいつ、たぶん追手がかかるよな。手配書の似顔絵、俺たちで細工してやろうぜ」
絵描きはアルヴィンの顔なんて知らない。同僚だった騎士に人相を聞きに来るだろう。
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お題【太陽】で出てきた『似ていない手配書』は騎士たちの仕業だったというお話
【終点】
(勇者と元騎士、勇者視点)
私の相棒兼保護者のアルは、騎士を辞め、家族とも絶縁してしまった男。それは私のためだったわけで。何と言うか、重い。負担だと思っているわけじゃないけど。
いくつかの情報に踊らされつつ、私は聖剣を入手した。良かった。喜ぶべきことだ。でも。
「アル。もう一度言ってくれる?」
顔が引き攣るのを感じながら、私はそう問いただした。
「ですから、私の旅の終点はここだと。ここで別れましょう。これ以上は足手まといになります」
最近の私は魔物の群れを撃退しても魔力の枯渇を起こさなくなった。アルが私を抱えて走ることはなくなったし、それ以外でも頼る場面は減っている。
そこに聖剣が加わった。勇者である私とアルの力の差が逆転したわけだ。
「私まだ未成年だよ?」
「あなたくらいの年齢なら、独り立ちしていても不自然ではありません」
「……守ってくれるって、言ったのに?」
みっともなく声が震えた。
「すみません……ですが……」
アルは辛そうな表情で言った。
「私は剣を持って戦う者です。あなたに守られる存在にはなりたくないのです」
私は小さくため息をついた。
「……わかった」
「では、」
寂しげに微笑んだ青年の言葉を聞かずに袖を掴む。
「迷宮に潜ろう」
アルが目を見開いた。
「何を言って」
「聖剣を探してる時に聞いたでしょ? 『迷宮には神の遺物がある』『人の枠を超えた力が得られる』って。アルがその力を手に入れればいいじゃない」
「そのようなことをしている場合では」
「ひとりで魔王に挑めって言うの? そもそも勇者に仲間がいないとかおかしいでしょ」
「もし何も見つからなかったら」
「どうせ国境を越えるための身分証が必要だから冒険者登録しようって言ってたじゃない?」
どちらにしろ、私にはまだ力が必要だ。
修練を兼ねて迷宮の探索をすればいいと言えば、アルもそれ以上反対しなかった。
そして……
「間違いなく『加護の霊薬』だよ!」
スキルで《鑑定》した小瓶をアルに渡す。
「まさか本当に見つかるとは……」
「こんな所まで来た甲斐があったね」
こんな所、とは、世界にいくつかある迷宮の中でも、特に攻略が進んでいないと言われる『宵闇の森の迷宮』だ。入り口が魔王の領域に近く普通の人間はここまで来ない。
「あ、でもそれ……」
「どうしました?」
勇者の私には複数の神から加護が与えられているけど、この薬で得られる加護はひとつ。
「創造神でも戦神でもなく、魔神の加護なの」
この世界で魔神といえば魔法の神。獣の姿をしているらしく、獣神とも呼ばれる。今は滅びたとされる獣人は、この魔神の眷族だったとか。そんな神の加護を得たらどうなるか……
「構いません。それで勇者の隣に立てるなら」
迷いも躊躇いもなくそう言い切って、アルは薬を飲み干した。
結果として。
アルは《獣化》というスキルを得た。黒い狼の姿に変化できるようになってしまったのである。まあ、獣耳が生えるよりはマシか?
アルの金髪は黒髪になり、目の色もルビーのような真紅に変わった。同時に魔力量がものすごく増えた。何せ魔神の加護だから。
闇魔法を使いながら敵を蹴散らす大きな黒狼は、傍からじゃ魔物の仲間割れにしか見えない。
私のために騎士を辞めた男は、とうとう人間まで辞めたわけだ。
後悔はないとアルは言う。
この人が報われるように、ちゃんと魔王を倒さないとねぇ……