祷楓 (いのり かえで)

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12/23/2022, 11:11:28 AM

『プレゼント』

子どもの頃からそんなに欲があまりなかった。
何を貰ってもうれしくなくて、クリスマスプレゼントもそのひとつだった。
そのまま大人になり、大人になった今でも、やはり欲があまりないまま。
でも、子どもの頃と違って、大人になったからこそちょっとしたプレゼントのありがたみを噛み締められるようになった。

……子どもの頃は、いつでも同い年の友達がいて賑やかで、たくさんの楽しいことを考えて気を紛らわせる方法なんていくらでもあった。
……ところが大人になったらどうだ。
周りはそのくらいできて当然だろうと、できないことがあれば容赦なく責め立てる。
早朝から夜遅くまで仕事をこなし、くたくたになって帰宅して眠るだけの単調な生活。

──昔の頃に比べて、なんと楽しいことが減っただろうか。
あの頃は煩わしいとすら思えたプレゼント。
だけど、今ならよくわかる。
プレゼントには、その人を喜ばせたいというその人の気持ちが込められているものだ。

魔法が使えない人間が、唯一簡単に人に使える『幸せな魔法』だということを、大人になってやっと気づけた。
私にも、そんな誰かのために幸せな魔法を使えるだろうか。
まずは常日頃がんばる自分へのご褒美に、『自分へ幸せな魔法』をかけるところから始めてみようと思うのだった。

12/22/2022, 10:56:56 AM

『ゆずの香り』

本日は冬至に当たる日。
古来より、冬至は太陽の力が一番弱まった日にして、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日とも考えられている。
──その流れから生まれた四字熟語が、「一陽来復」。意味は、悪いことが続いた後に幸運が開けること、とされている。
これは冬至を境に運が向いてくるとしているためで、験担ぎのためか『(う)ん』がつく食べ物を食べる風習も浸透していった。

冬が旬のゆずは香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもあったので、邪気祓いとしてゆず湯に入る習慣が根付いていったようだ。同じものに菖蒲湯もある。こちらも理由は似たもので、やはり邪気祓いとして入浴したらしい。
実際に健康や美容にもいいことが現代の化学で判明している。
昔の人はそんな科学的根拠など知らずに、なんとなく理解して習慣にしていたのだろう。

……などと小難しい本を読みながら、私はゆずの香りに満たされた浴室で、ゆず湯にゆっくりと浸かる。
いやあ、私も嫌なこと続きで冬至を機会に邪気祓いできたらなーとちょっとだけ験担ぎとして入浴していた。
このゆず湯で私の邪気祓いもできたはずだし、明日はいいこと起こりそう!
少しだけ明日が楽しみになったのだった。

12/21/2022, 11:34:38 AM

『大空』

何も考えずに晴れ渡った青空を見るのが好き。
自分の抱えてる問題が、あまりにもちっぽけなものだと気付かされるから。
長く人の輪の中にいると、複雑な関係に変わり、雁字搦めになって心が平常心ではいられなくなってしまうことが多い。
──どこかで、なにかで、一度リセットするきっかけは大切だと思う。
そのきっかけのひとつに数えられるのが空。
どこまでも自由。何者にも縛られない象徴のひとつ。

下ばかり見て俯く日々が多い中、たまには上を向いて、空を見渡してみてはどうだろう?
その時、きっと空は綺麗な光景を見せてくれるに違いない。

12/20/2022, 11:50:15 AM

『ベルの音』

シャンシャン……シャンシャンという音と共にトナカイの引くソリに乗ってサンタクロースが現れる。なんて、陳腐な表現は絵や漫画、イラストに動画はよく見かけるこの時期。

オカルト的な話になるが、鈴には魔除けの効果があるというのは知っているだろうか。
これは西洋でも、東洋でも同じように考えられていて、その音で場の空気が清められるとされている。
もちろん持ち主の到来を告げる役割もあるが。
サンタクロースの場合、この二つの意味を持ち合わせている。
なんともキリスト教らしいと私は思う。
──普段は気にも留めないイベントを、ほんの少しだけ深掘りして調べてみると意外な歴史を持っているものが多い。
外国のイベントの歴史も調べてみたら案外面白かったりするので、この機会に各々がクリスマスについて思いを少しだけ巡らせると楽しめるんじゃないだろうか?

12/19/2022, 11:49:31 AM

『寂しさ』

なんとなく寂しくなる瞬間がある。
なぜそんな感情になるのか。
それは、きっとあなたが他の人と考え方と優先順位が違うからかもしれない。

人という生き物は、それぞれが個性を持ち、自我があって人間社会でコミュニティを築く。
得意なことも、不得意なこともバラバラ。誰一人として同じものがいないオンリーワン。
一見、自分を確立する上でメリットばかりに見えるが、その影に隠れたデメリットまで気づいている人はいるのだろうか。
誰とも違うということは、決して誰とも同じになれないということ。
外面だけどんなに似せてもそれはその相手本人ではない。
癖や性格はコピーはできても、それは本物にはなれない。
だから相手に歩み寄る、相手を理解するということそのものが非常に難しい。
なにせ当事者本人ではないのだ。体験していない以上、想像して思いを巡らせるくらいしかできない。

だからこそ人として生きる延長で、寂しさは時々起こって然るべき感情なのだろう。
さあ、今日感じたこの寂しさを、今日の私は何で埋めようかな。

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