ガキの頃は無邪気にアンタを信じてた。
教えを守って真面目に生きてりゃ、親父も帰ってきて、明日の食べ物にも困るような日はいつか終わる、そう信じてた。
思春期と言われる歳になって、真面目に生きることの難しさと誘惑に負ける快楽を知った。
その頃はまだ、アンタへの贖罪の気持ちも少しは残ってた気がする。
そして、今。
親父は小さな骨になって帰ってきて、俺は明日どころか今日の食べ物にすら難儀するようになっていた。
女手一つで俺を育てていたお袋は、親父が死んだと聞かされてもアンタへの祈りをやめることはなかった。
ガリガリに痩せた手で俺の手を握っていたお袋は、親父が死んだ数ヶ月後に死んだ。
神様へ。
俺はもうアンタへ祈るのをやめる。
何にも応えてくれないアンタに、もう用は無い。
◆◆◆
「よう、兄弟。お祈りは済んだか?」
「お祈りなんてもう何年もやってねえよ。今まで神様が応えてくれたことあったか?」
「·····お前のそういうトコ、好きだぜ」
「おしゃべりはこれくらいにして、·····行くぞ」
神様へ。
俺はもうアンタを頼らない。
今はこの、手の中にある鈍色の塊が俺の唯一信じるモノだ。
END
「神様へ」
自分が色々不調な時に真っ青な空を見上げるとちょっとイラッとするよね。
え? しない?
いいなぁ·····。
END
「快晴」
「遠くの空へ」
今回はおやすみ。
この世界に対する漠然としたモヤモヤ。
日常に対する理不尽。
「なんか嫌」
「なんか嫌い」
この〝なんか〟をうまく説明できない。
語彙力の問題じゃなく、感情の整理がつかないだけ、な気もする。
END
「言葉にできない」
爛漫の〝爛〟には光り輝くさま、という意味があるそうだ。それ以外に〝爛〟という字には〝ただれる〟という読み方もある。
桜をはじめとする春の花の色や浮かれた空気も相まって、春という季節にどこか淫靡な印象を受けるのは私だけだろうか。
春、桜といえば有名な『桜の下には死体が眠っている』、『願わくば 花の下にて 春死なん』といった、死や眠りを想起させる言葉もある。
エロスとタナトスを春に感じるのは、何故なんだろう?
絢爛と咲く花が数日と経たない内に儚く散るからか。
花の色に目を奪われて、何かが隠されてしまうからか。
なんにしても、春は不思議な季節だと思う。
END
「春爛漫」