どこにいようと、誰といようと、何をしていようと、構わないの。
女はそう言ってニコリと蠱惑的に微笑んだ。
華やかな黄色い花が一面咲き乱れる場所で、女の佇まいは異質だ。いや、花の方が本来そこに咲いている筈の無いものなのか。
やけに華やかで、元気で、力強さを感じさせる花は女の佇まいとも、隣にいる男ともまるで違う。
白いドレスに身を包んだ女は咲き乱れるその花の中で不思議な笑みを絶やさない。慈愛なのか愉悦なのか、感情の判断がつかないその表情は、自分もきっとそうなのだろうと男に思わせた。
どんなに離れていてもあの子は私の望む通りの結末を見せてくれる。私がたっぷりの愛情を注いで育てたあの子なら。私が教えた愛、それ以上の愛の形を、私が理想とした愛、それを覆すような愛の形を、あの子はその人生をかけて見せてくれる。
あの子が誰といるかは、大した事じゃないの。
何をするかが大切なの。
パラソルをくるくると回しながら女は歌うように囁く。
男はそんな女の横顔に深く長い息を吐く。
「あの子、か。かわいそうに。自分で選んでいると思った全ての選択が、君の教育の賜物なんてね」
そうしなきゃあの子は生きられなかったのよ。
女の声が途端に鋭く厳しいものになったのに、男は気付いて息を飲む。
あの子は私の大事な愛し子。
どんなに離れていても、私は見つめているわ。
あの子だけを。
あの子が見せる愛の形を。
黄色い花が揺れる。
大輪の花は女を見上げ、その向こうにある空を見上げている。その先にあるのは真っ暗な宙と、その中心に輝く太陽。
遠く離れた灼熱が、自分のすぐ後ろにいるような気がして、男は思わず肩を竦めた。
END
「どんなに離れていても」
「「こっちに恋」「愛にきて」だって」
「さむっ」
「寒いってか、恥ずかしい」
「恋も愛も忘れたスレた人間にとっちゃ、まったく刺さらないポスターだわ」
「忘れたんじゃないじゃん」
「ん?」
「アンタは恋も愛も忘れたんじゃなくて、最初っから無いんでしょ」
「·····」
「あ。·····ご、ごめん」
「うんにゃ、いいよ別に。当たってるから」
「無神経だった」
「いいって。ただ、こういうのが嬉しいって感覚は全くないな、ってのは確かだから」
「世の中恋愛至上主義だからねー」
「やんなっちゃうよね。恋も愛も感情として素敵だってことは分かるんだけど、他のどんな感情よりも最優先される、みたいな風潮はしんどい」
「·····ねえ」
「ん?」
「なんでアンタは私と一緒にいてくれるん?」
「なんでって、友達じゃん」
「そうだけど、さっきみたいに無神経な事言うじゃん、私」
「それはお互い様でしょ。私がアンタの地雷踏んじゃう時だってあるんだし。·····あ、〝地雷踏む〟って表現もあんまり良くないんだよな」
「私はアンタみたいに色々考えらんないよ」
「違うよ。私はアンタといるから色々考えられるんだよ。アンタとはこういう話がちゃんと出来るから好きなんだよ」
「好き·····」
「アンタといる時間が楽しいってこと。それは恋とか愛とかとは違うけど、私が何より大切にしたいものだよ」
「·····アンタさ」
「なに?」
「あのポスターよりよっぽど恥ずかしいわ」
「·····っ」
「でも、ありがと!」
END
「こっちに恋」「愛にきて」
パラレルワールドがあるとして、その世界でも私は最推しのあの人に出会っているのだろうか。
私の人生を変えた人。
人生は生きるに値すると思わせてくれた人。
挫折しても打ちのめされてもまた前を向けるきっかけ。
観測出来ない並行世界がどんな世界か分からないけれど、最推しのあの人がその世界でも輝いていて、私の人生を変えてくれているといい。
END
「巡り逢い」
リビングのテーブルに数冊の旅行雑誌が広がっている。どれも表紙には夏のリゾートやフェス、花火大会などの賑やかな写真が使われ、見出しも『夏の絶景ドライブ』『今年こそ行きたい!花火大会』『夏のひんやり旅』と、テンションを上げるための言葉が並ぶ。
同居人はコーヒーを片手にソファに座ると、その中の一冊に手を伸ばした。
「夏休み、どこへ行こうか?」
パラパラと雑誌をめくりながら独り言のように呟く。
隣に座り、同じように並んだ雑誌を手に取って眺めてみたが、ガチャガチャした表紙の賑やかさに圧倒されて二、三ページめくっただけで挫折してしまった。
「お前の行きたいところでいい」
ソファに背を預け、天井を見上げる。
シーリングライトにうっすら埃が積もっていた。
「あなたがどこに行きたいのかを私は聞いてるのに」
私の答えに納得出来ないのか、彼はページをめくる手を止めると雑誌をテーブルに放り投げてそう言った。
唇を僅かに尖らせて、咎めるような視線を向ける。
淡い色をした瞳が微かに揺れて、私の胸にさざなみが訪れる。――これは鍛錬なのだ。そう思った。
自分の意思で決める。
自分の興味を知る。
自分の嗜好を知る。
欲しいもの、好きなもの、興味を引くもの。
そしてそれを伝えること。
奪われ続けた過去と決別する為に、自ら選んだ彼と歩んでいく為に。
淡い色をした瞳は、今は私だけを見つめている。
「そうだな·····」
考える。
視線がやわらぐのを感じる。
「あまり人のいないところ」
「うん」
「海外でもいい」
「うん」
「海·····というか砂浜が綺麗なところ」
「あぁ、いいね」
穏やかな声が心地よい。
「夜は星が見えるといい」
「うん」
「国内ならドライブがしたい」
「私も久しぶりにあなたの車に乗りたいな」
「そうなると国内、か·····」
互いの気持ちが近付くのを感じる。
「そうだね。ホテルに泊まるなら予約しなきゃいけないし、時間を見つけて少しずつ計画立てようよ」
「分かった」
「決まり」
そう言って彼はぬるくなったコーヒーを飲む。
満足げな彼の表情を見ながら、私の中に欠落していたものの正体が分かった気がした。
END
「どこへ行こう」
「萌え」「オレの嫁」「尊い」「推せる」「エモい」「助かる」「好(ハオ)」「〇〇からしか得られない栄養がある」「big Love」「メロい」etc
ネットが普及して、誰でもSNSが使えるようになって、〝好き〟を表現する言葉が次々と生まれては消えていく。
どの言葉も本来の使い方は違っていたり、本当はもっと長い単語だったり、言葉は時代を映す鏡、とはよく言ったものだと思う。
百年後も残っている言葉はどれだろう?
百年後も今と同じ意味で使われている言葉は果たしてあるのだろうか?
遥か昔·····平安時代の一人の女性の感性が分かったのは、紙に書かれた文章が残っていたからだ。
紙では無くSNSで発信している私達の言葉は、百年後を生きる人達に「分かる」と言ってもらえる日が来るのだろうか?
残らないまま消えていく言葉達。
それに抗い、消えてたまるかと蒐集し、地道にアーカイブ化している言葉の愛好者。
それこそ〝大いなる愛〟なのかもしれない。
END
「big Love!」