夜だというのに、ベランダから見える景色がほのかに明るい。
この街のあちこちに咲く桜のせいだと気付くのに、少し時間がかかった。
大通りに植えられた桜並木は、盛りの頃にはライトアップされている。そこに繋がる商店街の軒先もランタンで飾られて、閑静な街はその時期だけ熱に浮かされたようになる。
今夜は少し風が強い。
満開の桜もだいぶ散ってしまうだろう。風に乗って聞こえてくるのは、終わる季節を惜しむ声だろうか。それとも次の季節を望む歓喜だろうか。
ブランデーを数滴落としたコーヒーを飲みながら、男はそんな事を考える。
「夜はやっぱりまだ寒いね」
同居人がマグカップを片手に並ぶ。淹れたてのコーヒーからは温かそうな湯気が立っていた。
「自分で淹れたのか?」
「うん。こないだのあなたのアドバイスを思い出してやってみた」
薫りは確かに男が淹れた時のものに近くなっている。自分がいるのに、とも思うがやってみたいと言うのを無理に止めるのも気が引けて、彼の好きにさせていた。男の方はと言えば、彼の作るチョコレートを美味いと思うが、真似てみたいとは露ほども思わない。
しばらく無言で二人、夜の街を眺める。
目の前にひらりと舞うなにかに気付いたのは、コーヒーを半分ほど飲み終えた頃だった。
ひらり、はらり。
降り始めた雪の粒のような小さな小さなそれは、彼の肩を掠め、男が持つカップの中に吸い込まれるようにして落ちていく。琥珀色の液体に染まってしまったそのひとひらを二人は見つめ、やがて互いの瞳にじっと見入る。
「桜の入水自殺だね」
「物騒な表現だな」
「もう終わる季節なんだよ」
「確かにな」
淡く可憐なひとひらは、もう見る影も無い。
「飲んじゃえば?」
彼の声に誘われるまま、沈んだ一枚の花びらごとコーヒーを飲み干す。
見上げれば、空には魔女の微笑みのような三日月があった。
END
「ひとひら」
写真集を集めるのが好きだと言った彼は、今日も本屋に行く。
何時間も入り浸って、吟味に吟味を重ねて買った新しい写真集を、家に帰ってからもずっと眺めている。
棚に並ぶ写真集に、人をメインにしたものは無い。
ビルの立ち並ぶ大都市、一面の花畑、大海原にダイブする鯨、コンベアに乗せられている大量の金型·····。
世界中の、あらゆる場所の景色を集めた大量の本に囲まれる彼は、だが旅行は好きでは無いという。
「見に行けばいいじゃん」
教会のステンドグラスが載ったページをゆっくり捲りながらそう言うと、彼は行かないよとにべもなく答えた。
ノイズがキツいのだと言う。
音、声、匂い。
彼にはそれらがノイズとなって襲ってくるらしい。
場違いな音が一つ入ってくるだけで、不安感と不快感に押し潰されそうになるそうだ。
分からないでもない。
花の風景を楽しんでいて、不意にジャンクフードの匂いがしたらそちらに気を取られてしまうのは僕にも経験がある。
彼はだから、旅には行かないと言う。
全身のセンサーがきっと僕より鋭敏なのだろう。彼がそれでいいと言うなら、僕にはこれ以上言うことは無い。
この部屋から一歩も出ない彼はそれでもきっと、誰より世界の風景を知っている。
END
「風景」
君と僕は違う生き物だから、その違いがいいんだよ。
そうなんでしょうか?
みんな違ってみんないい、って言うでしょう?
でも、違うから比べたりぶつかりあったりして争いが起こるんじゃないですか?
争いが起こる前に違いを認め合ったり理解しあうことが出来るのが、違いがある良さじゃない?
でも、生物の世界では異端者は追い出されますよ。
それは本能で生きる動物の話でしょ? 弱肉強食の世界ではそうしないと種として生き残れないからね。
人間だってそういうところがあるんじゃないですか?
そうだけど、そうならないように努力するのが違いを認め合うって事だと思うよ。
違います。
違う?
それは違いを認め合うんじゃなくて思考を取り込もうとしてるんです。やってることは動物と同じです。
そんな言い方よくないよ。
ほら。
え?
あなたと考えの違う私を否定して、取り込もうとしてる。
それは·····君の言い方が攻撃的だから
私はこういう話し方が好きなんです。それこそあなたと私の〝違い〟でしょう?
この話はやめよう。これ以上ヒートアップすると良くない。
なぜですか? 議論しましょうよ。
友達とはあまり争いたくないよ。
·····やっぱり違うと争いが起こる。私の考えが正しい証拠ですね。
で? 僕の考えを否定して、取り込むの? 取り込むも何も、君の考えも一理あるとは思ってるけど·····。
一理ある、ではなく私の思考と同化して欲しいんです、私は。
え?
ええ、私はあなたの言う〝本能で生きる生物〟ですので。
何を言ってるの?
擬態、ってご存知ですか?
バクン。
グシャグシャ、ボキッ。
END
「君と僕」
「夢へはばたけ!」とか「夢へ一歩前へ!」とか。
エクスクラメーションマークを使ってまで主張したい強い想いは、多分もう無い。
就職氷河期と言われる時代を生きた私は、挫折と妥協と諦めの方が圧倒的に多い人生だった。
そろそろ人生の折り返し地点に入ろうという頃。
ようやく現実の中で折り合いをつけながら生きるという、心に負担をかけない生き方や考え方が分かってきた。
でも、桜舞うこの季節。
入学式、入社式などでキラキラとした笑顔を見せる若い人達を見るとふと思う。
「夢を叶えられていいなぁ」という羨望と、「頑張れ」という老婆心めいたもの。
現実は無理ゲー、なんて表現もあるけれど、お互いなんとか生きていこうね。
END
「夢へ!」
1月以来、更新の止まってる相互さん、元気かな。
〝便りの無いのは良い便り〟っていう言葉があるけど、やっぱり少し寂しい気持ちはある。
でも、ネットの繋がりはそういうものだし、知りようが無いからお元気でいてくれる事を祈るしかない。
また戻ってこられたら、お話相手になってくれたら嬉しいな。
END
「元気かな」