しんしんと雪が降り積もった日の朝は、音が少ない気がする。
車のエンジン音や新聞がポストに投函される音、電線に止まっている鳥の声や、朝ゴミ出しをしているご近所さんの挨拶する声、そういった生活音がまるっきり聞こえなかったりすることもある。
雪が音を吸収しているからだろう。
カーテンを開いて外の景色を見る。
ゆっくり昇ってくる朝日は、確かに時間が進んでいることを教えてくれる。
それでも音は聞こえない。
無声映画の世界にでも紛れ込んでしまったようだ。
静かな世界は雪解けと同時に音を取り戻す。
この静けさが心地よいと感じるのは、普段喧騒に包まれているからで、音が無い世界に生きている人はまた違った感慨を抱いているのかもしれない。
そんなことをふと思った。
END
「静かな夜明け」
例えば楽器の演奏とか、二人以上でやるスポーツであるとか。そういうものに携わった経験のある人なら、その瞬間も分かるのだろう。
いわゆるハモりのように。
パズルのピースがはまるように。
誰かと心と心が通いあう。
そんな瞬間が訪れる。
その喜びはなにものにも替え難いものなのだろう。
私には、夢のように遠いものだ。
END
「heart to heart」
「永遠なんて、君にはなんの価値も無いのだろうけれど」
そう言った彼の目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。
「それでも求めたくなってしまうものなんだよ」
白い髪、白い服。
白ずくめの彼の手の中で、その濃く鮮やかな紫だけがやたら鮮烈に私の目に飛び込んでくる。
「美しいものを美しいまま、ずっとそばに置きたくなる感情は君にも理解出来るだろう?」
私は無言で頷くが、そんな事は出来るはずがないとも心の内では思っている。
「夢物語だと分かっていても人がそれを願ってしまうのは·····、思い出せなくなることが怖いから、なのかもしれないね」
彼は覚えているのだろう。
かつて美しかったものの全てを。
失われ、忘れられてしまったものたちの在りし日の姿を。もういない人々の、目には見えない感情の不変と流転を。
「私はずっと見ていたよ。そしてこれからも·····ずっと見ている」
その言葉に微かな寂寥を感じたのは気のせいだろうか。
「永遠なんて、たしかに退屈極まりないけれど」
彼の手の中で紫色の花びらがくしゃりと音を立てる。
「時間だけは売るほどあるから」
その小さな花束は、何も言わずにただじっと彼の言葉に耳を傾けるように上を向いていた。
END
「永遠の花束」
下心を疑ってしまうから。
何も考えられなくなってしまうから。
うぬぼれてしまうから。
自分には価値があると、勘違いしてしまうから。
やさしくしないで。甘やかさないで。
勘違いさせないで。
冷静な私でいさせて。
END
「やさしくしないで」
あの日君に渡し損ねた手紙は、今も引き出しの奥にしまってある。
とっくの昔に無くしてしまったと思っていたが、私はどうやらあの時からずっと捨てられず、懐に忍ばせていたらしい。
しわくちゃで、字も掠れて、読むのにだいぶ苦労するその手紙を、私は与えられた部屋の引き出しにしまっておくことにしたのだ。
君に渡すことはもう出来ない。
後悔と、自己保身と、謝罪と·····、確かにあった君への愛。
今さらそれを伝えたところで、何になると言うのか。
割れた卵は元には戻らない。
壊れてしまったものは修復することが出来たとしても、その傷を無かったことには出来ないのだ。
あの日、私が君につけた大きな傷痕は、隠すことは出来ても無くなりはしないだろう。
それでも昔のように笑いかけてくれた君に、私は何を返したらいいのか。
これは私に与えられた試練であり、チャンスなのだ。
君にあの手紙を渡すことはもう出来ない。
引き出しの奥に隠したあの手紙の代わりに、私自身の在り方で応えようと思うんだ。
·····なんて言ったら、君はまた怒るのだろうな。
END
「隠された手紙」