疲れた顔が映っている。
昔から自分の顔が大嫌いだった。
父譲りの濃いめの体毛は小学生の頃はいじめの対象だった。彼らはいじめのつもりは無くて、愛のある弄りだったと言うのだろう。けれど私は彼らの言葉に愛を感じた事などただの一度も無かった。
中学、高校と歳が上がるにつれ、自分で少しずつ自分の顔を変えるようになった。
眉を剃って整え、顔も剃り、化粧水や乳液で肌を整えた。お菓子がやめられなくてニキビに悩まされたけど、それでも化粧やなんかで隠す術を覚えた。
整形はなんだか怖かったのとお金が無かったのとでしなかったけれど、お金持ちだったらやったかもしれない。
大人になって、人の目をスルーする術を身につけたり、没頭出来る趣味を見つけて、そこまで外見を気にする事は無くなったけれど、今も仕事で疲れた日なんかは、鏡を見るとうんざりする。
だけどたった一つだけ。
トレードマークとも言える顎にあるホクロ。
これだけは、取らなくて良かったと思う。
だって、多分これが無くなったら、私の顔じゃなくなってしまうだろう。
「·····はは。ま、いっか」
鏡に映る疲れた顔に、いびつな笑顔を向けた。
END
「鏡の中の自分」
頼みがある、とやけに深刻な顔をして彼は私の部屋へやってきました。
「何でしょう?」
深夜二時。
誰もが寝静まっている時間です。私は彼と酒を飲んで、ほんの数分前に別れたばかりでした。
さっきまでの浮かれた空気はどこへやら、彼はまるでこの世の終わりのような顔をしています。
私を見下ろす視線は頼りなさげにさまよい、ここに来た事を後悔しているようにも見えました。
「眠れないんだ」
俯いて、ぽつりと落とした小さな呟き。
酒も馬鹿話も、彼の孤独を紛らせる事は出来なかったのでしょう。今夜はとても·····あの夜に似ていたのですから。
「どうぞ。貴方が寝るスペースくらいはありますよ」
私は彼を招き入れ、ベッドの端に座りました。
無言で隣に座る彼は、まるで幼い子供のようです。
「貴方は時々、小さな子供のようですね」
ぽふ、と頭に手を当てると、彼は小さく肩を竦めました。そのまま私の肩に頭を預ける彼の、少し堅い髪を撫で続けます。
眠りにつく前に、彼が小さく「ありがとう」と言うのが聞こえました。
END
「眠りにつく前に」
永遠に続くものなどない。
形のあるものが時間の経過で変わっていくのは当然だけれど、形のないものも永遠にそのままであることなど有り得ない。
人の感情だって変わっていくし、たとえば神様の教えだって時代によって解釈が変わっていく。
歴史だって語る人によって意味を変えていくし、何かに対して抱いていた怒りや憎しみがいつの間にか消えていた事だってある。
永遠に変わらないものなんてあるのだろうか?
無いと分かっているからこそ、信じたくなるのかもしれない。
END
「永遠に」
夢にまで見た理想郷の筈だった。
過つ事の無い為政者。差別の無い社会。
善行しか出来ない人々。
誰も傷付かない。誰も傷付けられない。
こんな世界があったらと、誰もが一度は夢想した世界の筈だった。
男が笑う。
世界の全てを壊した男が。
夢にまで見た理想郷を、それを夢見た私をあざ笑い、全てを焼き尽くした男が。
男が振るう刃を受けて、私は天を仰いで倒れ込む。
噴き出す血が雨のように男にも降り注ぐ。
「――」
男は·····泣いていた。いや、私の血を浴びて泣いているように見えただけかもしれない。
その顔は私に·····いつか見た女の涙を思い出させる。
――あぁ、そうか。
理想郷とは現実には存在しないから理想郷なのだ。
誰も傷付かない世界などある筈が無く、あるとしたらそれは〝傷付いた誰かを見ないだけの世界〟なのだ。
男はそれに気付いたからこそ、この世界を否定したのかもしれない。
命を終える私には、もうどうでもいい事だった。
END
「理想郷」
煙草の匂い。駐車場の隅に捨てられたヨレヨレの成人雑誌。理科室のホルマリン漬けにされた5本足のカエル。ノストラダムスの大予言に矢追純一UFOスペシャル。電柱や壁に貼られたビックリマンシールにわたせせいぞう。わら半紙のカサカサした手触りに、スライムのひやりとした感触。破裂するかんしゃく玉。実は一番盛り上がるへび花火。公衆トイレの匂い。
私の子供時代はそんな感じだった。
綺麗なだけでもポップなだけでもない。汚かったり騒々しかったり、ばかばかしかったり、今の価値観から見ればおかしな事もいっぱいあった。
今でも街のあちこちに微かに残るそれらの名残り。
それを見つけると心が微かに揺れ動く。
END
「懐かしく思うこと」