色んな病室を見てきた。
私物をいっぱい持ち込んで、自分が過ごしやすいようにカスタマイズしてある部屋。
機械とそれに繋がるコードか床いっぱいに広がっている部屋。
ベッドの周りにぬいぐるみや家族の写真がいくつも並んでる部屋。
勝手が分からず全部新品で揃えた部屋。
スタッフが使う消耗品と器具がいっぱい置かれた物々しい部屋。
フィクションの中の病室は、どこか無機質なものが多いけど、現実はそうじゃない。
人の数だけ病室の空気や色も違って、印象も違う。
その一つ一つに、病魔に抗う物語があるのだ。
END
「病室」
「もし、じゃなくてぜってー晴れじゃん」
「まぁ、だろうね」
「んで〝これまで考えられなかったような暑さ〟って言うんだろ、絶対」
「なんか昔は26℃で〝うだるような暑さ〟って言ってたらしいよ」
「マジで? 今より10℃も低いじゃん、ヤバ」
「もうこれが普通になるんだろうなぁ」
「うげー·····」
「まぁ、でも、晴れでも雨でも、あらかじめ分かってれば対処のしようがあるからいいよな」
「それはそう」
「知ってるか? 空からカエルとか魚が降ってきたって記録があるんだって」
「あー、なんかで見たな。なんとか現象って言うんだろ」
「それそれ。凄いよな、晴れた空からカエルがぼとぼと」
「衝撃映像じゃん」
「そういうのに比べたら、いつもと同じ晴れや雨が続くって安心材料だよな」
「それでもこうも暑かったら動く気無くす」
「昔は夏休みになったらどんだけ暑くてもあちこち遊びに行けたんだけどなぁ」
「歳とったんだよ」
「まだ二十代ですけどwwww」
「·····明日、どっか行く?」
「行かねー。家でアイスクリーム食って寝る」
「それが一番か」
「うん」
晴れた空からカエルでも降ってきたら、少しは涼しくなるのだろうか?
END
「明日、もし晴れたら」
いつの間にか、眠っていたらしい。
開いたままの画集の背をそっと撫でながら、ついさっきまで見ていた夢を思い出す。
環境が影響したのだろうか。夢の舞台は湖で、私はまだほんの小さな子供だった――。
私は湖のほとりを一人歩いている。
黄昏時の湖畔は、やわらかな風が湖面を渡り、ふちに咲く名の知らぬ花の香りを私に届けていた。
降り注ぐ光が変わるにつれ、水面の色も変わっていく。歩きながらそれに見入っていると、不意に誰かが隣に並ぶ気配がした。
「どうして来たんだ」
心地の良い声だった。
いつの間にか手を繋いでいる。少し冷たい、でも大きくて優しい手だった。
「あなたに会いたくて」
そんな言葉が口をついて出た。
「どうして私に会いたいなんて思ったんだい?」
その声は優しくて、穏やかで·····、少し悲しい響きがあった。
「だって·····」
子供の私はあまり語彙をもたない。
頭の中の引き出しをいくつも開けて、ようやく見つけた言葉を私はその人にぶつけていた。
「だってあなたは·····、私の〝うんめい〟でしょう?」
私はそう言うとその人を見上げた。
淡い色の、湖と同じ色をした瞳が私を見つめている。
その視線は気が付けば同じ高さで、繋いだ手の大きさも同じだった。·····子供だった私はいつの間にかその人と同じ、大人の姿になっていた。
「うんめい、か·····。残酷な言葉だね」
そう言った時の眼差し。その儚さは何故か私の胸に不思議な風を呼び起こした。
「運命というのが本当にあるのなら、私はきっとまた君を傷付けてしまう。だから、一人でいたかったのに·····」
胸が締め付けられる。その人の口から悲しい言葉を聞くのが辛くて、私は繋いだ手に力をこめた。
「もう遅いです。私はこうして、あなたに再び会いに来ました」
淡い色をした瞳が僅かに見開かれる。
――そこで目が覚めた。
「·····」
大きく開いた窓からは湖の全景が見える。
月明かりを受けて輝く湖面は昼とはまた違う姿をして、強く私を惹き付けた。
――呼んでいる。
何故とはなしに、そう思った。そして私は確信した。
この場所がこんなに惹かれるのは、こんなにも懐かしいのは、〝運命〟だからだ。
画集を閉じ、コートを羽織る。
そうして私は、夜の湖へと·····私の運命へと向かって歩き出した。
END
「だから、一人でいたい」
私は罪を犯した。
その罪を裁いて欲しい。
許すなんて言わないで欲しい。
あなたが何度もそう言うので。
あなたがずっとそう言い続けるので。
そうした方があなたも私も救われるのかと、そう考えてみたのです。
けれどそうして、いざそうしようと心に決めて、あなたを許さないと、あなたに罪を償わせたいと言おうと思って、あなたの顔を見据えるたびに私は言葉を失くしてしまうのです。
色素の薄いあなたの瞳が、夕日を受けて輝く湖のように澄んでいるから、私は罪とは何なのかと、自らに問うてしまうのです。
あなたが罪人だというのなら、私はあなたという罪人を許した罪で、いつか裁かれるのでしょう。
いつか来るその時に、あなたの澄んだその瞳を思いながら·····××××いい。
END
「澄んだ瞳」
雨も、波も、風も、だんだん激しくなっていく。
船は上に下に大きく揺れて、乗り合わせた他の者達は吐き気を催して蹲ったり、そこまでいかずとも揺れる船に翻弄されていた。
「なんだい、ケロリとしてるね色男」
威風堂々とした女船長は、涼しい顔のまま甲板でロープを掴む男を見上げた。コートが肌蹴るのも構わず、船長は声を張り上げながら部下に檄を飛ばす。
「ほらほら野郎共! この程度の嵐で音を上げるのかい? 客人は涼しい顔してるよ!アンタ達も船乗りの矜恃があるなら、命に変えてもこの船をきっちり守り通してみせな!」
船長の檄に部下達は咆哮で応える。士気が上がり、息が合い始めた彼等が渾身の力でロープを引くと、瞬く間に帆が畳まれる。男はそんな彼等の様子に感心したように目を見開くと、自らもロープを引いて船を守る為に奔走し始めた。
「船長」
「ああ!?」
嵐の中、男の声がやけに鮮明に女船長の耳に響く。
「あなたはこの雨や風や、逆巻く波が·····恐ろしくないのですか?」
一瞬の沈黙。
風が途切れ、雨粒だけが立ち向かう船乗り達と船長、そして男の頬を濡らしていく。
青く澄んだ空を宿した瞳が、ふわりと和らいだ。
大きな傷の走った額は、悲壮感を微塵も見せず、いっそ誇らしげで。
「怖いさ」
返ってきたのは意外な答えだった。
男は思わず言葉を無くす。
「だから全力を注ぐんだ。船と、アタシと、野郎共を信じてね。アンタだってそうだろう?」
青い瞳が更に強く輝いている。
嵐のただ中で見るそれは、希望という道標だ――。
彼等船乗り達は、この強い光に全幅の信頼を置くのだろう。
「·····そうですね。その、通りだ」
失いたくないから。
失うのが怖いから。
全力を注いだ。
たとえそれが、結果として間違ってしまったとしても。
「野郎共、見な!」
船長が伸ばした指の先。
黒い雲が途切れ、そこから天使の梯子が降りていた。
END
「嵐が来ようとも」