雨も、波も、風も、だんだん激しくなっていく。
船は上に下に大きく揺れて、乗り合わせた他の者達は吐き気を催して蹲ったり、そこまでいかずとも揺れる船に翻弄されていた。
「なんだい、ケロリとしてるね色男」
威風堂々とした女船長は、涼しい顔のまま甲板でロープを掴む男を見上げた。コートが肌蹴るのも構わず、船長は声を張り上げながら部下に檄を飛ばす。
「ほらほら野郎共! この程度の嵐で音を上げるのかい? 客人は涼しい顔してるよ!アンタ達も船乗りの矜恃があるなら、命に変えてもこの船をきっちり守り通してみせな!」
船長の檄に部下達は咆哮で応える。士気が上がり、息が合い始めた彼等が渾身の力でロープを引くと、瞬く間に帆が畳まれる。男はそんな彼等の様子に感心したように目を見開くと、自らもロープを引いて船を守る為に奔走し始めた。
「船長」
「ああ!?」
嵐の中、男の声がやけに鮮明に女船長の耳に響く。
「あなたはこの雨や風や、逆巻く波が·····恐ろしくないのですか?」
一瞬の沈黙。
風が途切れ、雨粒だけが立ち向かう船乗り達と船長、そして男の頬を濡らしていく。
青く澄んだ空を宿した瞳が、ふわりと和らいだ。
大きな傷の走った額は、悲壮感を微塵も見せず、いっそ誇らしげで。
「怖いさ」
返ってきたのは意外な答えだった。
男は思わず言葉を無くす。
「だから全力を注ぐんだ。船と、アタシと、野郎共を信じてね。アンタだってそうだろう?」
青い瞳が更に強く輝いている。
嵐のただ中で見るそれは、希望という道標だ――。
彼等船乗り達は、この強い光に全幅の信頼を置くのだろう。
「·····そうですね。その、通りだ」
失いたくないから。
失うのが怖いから。
全力を注いだ。
たとえそれが、結果として間違ってしまったとしても。
「野郎共、見な!」
船長が伸ばした指の先。
黒い雲が途切れ、そこから天使の梯子が降りていた。
END
「嵐が来ようとも」
7/29/2024, 1:16:20 PM