「無垢」――純真で汚れの無いこと。
「そんな人間いるのかな?」
「少なくとも俺らじゃねーな」
「分かってるよ」
「生まれたばっかの赤ちゃんならともかく、大きくなるにつれて汚れてくのが人間だからな」
「じゃあ無垢な奴は人間じゃねーじゃん」
「妖精だ、妖精」
「ってか、そういう奴は極端に生きにくいか、逆に人生を謳歌してるかのどっちかだろうな」
「どゆこと?」
「そういう奴って、人の悪意にも気付かないんじゃないじゃねーの?」
「ああ。うーん、どうなんだろな?」
「ま、俺らみたいな汚れきった人間とは違うんじゃねーかな?」
何も描かれていない真っ白なキャンバスは、それだけではただのキャンバスで。
色が乗り、白でなくなる事で初めて意味が生まれる。
真っ白であること。何かに染まり、白でなくなること。
どっちがいいとかどっちが悪いとか、比べる事じゃないんだろうな。
END
「無垢」
旅に終わりが無かったら、それは旅とは違う別の何かになっている気がする。
私の中で旅というのは、元いた場所に帰る前提のものだから。観光でも仕事でも、何が目的だったとしても旅というのはいつか帰って「やっぱり家が一番落ち着く」と安心するものだと思うから。
それに、元いた場所にいる大切な誰かにお土産を渡したり思い出を話したり、そういう事を含めての旅だと思うから。
もし、比喩などでなく本当に〝終わりなき旅〟があるのだとしたら、それは私にとっては辛く苦しい、試練のようなものなんじゃないかな。
END
「終わりなき旅」
ごめんね。
ウェディングドレス姿を見せられなくて。
ごめんね。
孫の顔を見せられなくて。
ごめんね。
お父さんやお母さんと同年代の人達が〝普通に〟感じているであろう「親の幸せ」を感じさせてあげられなくて。
私は私の選択や、私自身の価値観や生き方を否定する気は無いけれど、この世でただ二人、両親にはほんの少しの後ろめたさを抱えている。
それでも私をやめられないから、こうして「ごめんね」と心の中で謝り続けるしかないのだ。
END
「ごめんね」
夏服の袖口から伸びる腕が好きだ。
ぴっちりしたシャツより少しゆとりのあるのがいい。
シャツと腕の隙間に漂う涼やかな感じとか、薄い綿や麻の生地の、さらっとしてそうな質感が妙に好きだ。
照りつける太陽などものともせず、涼しい顔をして街を歩く若者たちの足取りを見ると、怖いもの知らずの強さを感じる。
なんてことを考えてしまうのは、私がきっと歳をとったからなのだろう。暑さにはもう屈服するしかなく、軽やかな半袖シャツなどを着て夏を謳歌するなど出来なくなってしまった。
通り過ぎた季節というのは、いつでも眩しく見えるものなのだ。
END
「半袖」
生きるというのは、天国と地獄を行ったり来たりすることなのかな、と思う。
例えば自分へのご褒美としてプリンを食べるとする。
プリンを食べてるその時は天国だけど、その後でお腹を壊したら地獄になる。そんな感じで、天国と地獄を行ったり来たりしながら、最期にどちらに傾いていたかを振り返って、人は自分の人生を総括するのかな、と思う。
――今の例え話のプリンのように、些細な天国と地獄ならいい。恐ろしいのは、自分ではどうにもならないもののせいで取り返しのつかない結末を迎えてしまうこと。
行ったり来たり出来ない本当の地獄の入口は、きっと私のすぐそばで、気付かれぬように密かに、でもぽっかり大きな口を開けている。
すぐそばにある本当の地獄に気付かないまま、行ったり来たり出来る天国と地獄を繰り返し、「ああ良かった」で人生を終えられるだろうか。
いつか来るその日を、私は恐れている。
END
「天国と地獄」