眼下に広がるのは美しい緑の森などではなく、石造りの建物が点在する砂の海。その建物も無残な砲撃の跡が残り、砂漠も本来は美しい風紋が大きく乱れている。
ほんの少しの感傷が胸をちくりと刺す。
バラバラという回転翼の音と胸の痛みをかき消したのは、無線越しに聞こえる男の声だった。
「――聞こえますか?」
「あぁ、聞こえるよ」
柔らかな声。晴れた空を渡る風のようだと思う。
「間も無く降下地点です。着地点から見て二時方向に目標の建物があります。その地下に人質の女性一人と二人の子供がいます」
「了解」
「あなたのことだから大丈夫だと思いますが」
「あぁ、勿論だ。私がなんと呼ばれているか、君が一番よく知ってるじゃないか」
小さく笑う。きっと彼は今頃、唇を尖らせているだろう。
「本当は任務なんかじゃなくて君と空を飛びたいんだけどね」
「·····私もです」
無線越しの声が僅かに湿度を増す。
彼は数年前の任務で事故に会い、右足を失った。今は私を誘導する優秀なナビゲーターとして地上で活躍している。
それでも空を忘れられない彼は、休暇になると私とタンデムジャンプに向かう。風に身をまかせ飛び立つ瞬間、彼はこの世のものとは思えないほど美しい笑みを見せる。
長期化した戦争で、彼の顔を直接見たのはもう三年前の事だ。
「君に会いたい」
「私もです」
私はどんどん前線へ。彼は後方からそれを追うばかり。無線越しの声は互いの距離を離しはしないが縮めもしない。
「終わらせるよ」
そろそろ限界だった。
「――どうかご無事で。最強の騎士サマ」
ハッチが開いて、回転翼の音と風の音が戻ってくる。
眼下に広がる砂の海に向けて、私は足を踏み出した。
END
「風に身をまかせ」
「付き合おっか」「うん」
こんな簡単な会話で始まった関係は
「結婚する?」「そうだね」
こんな簡単な会話で変わった。
ミステリーとゲームが好きで、意気投合した私と彼。
結婚して出来た新居は、彼の書斎がやたら広かった。
彼の書斎は私も子供も入室禁止で、コレクションが整然と並んでいる。
私の方は大好きなミステリーもゲームソフトも実家に置いてくるしか無くて、一冊だけ手元に残した大好きな作家のデビュー作の表紙には娘がクレヨンで描いた大きな猫が描かれている。
「·····こんな筈じゃなかったのにな」
小さく呟く。隣で絵本を読んでいた娘が不思議そうに私を見上げている。
今夜も彼は大好きなミステリーをテーマにしたバーで酒を飲んでいるのだろう。
――結婚する前は一緒に行っていたバーで。
「·····こんな筈じゃなかった」
娘の髪をそっと撫でて立ち上がる。
寝室のクローゼットを開けて、鍵のかかった箱の中から書類一式を取り出す。
「ママ? それなぁに?」
いつの間にかついてきていた娘を抱き締める。
「ママね、無くした物を取り返そうと思うの」
「あたしも行く!」
「·····ママと一緒に行く?」
「うん!」
「·····そっか」
まだ間に合う。
手遅れになる前に、失われた時間を取り戻そう。
END
「失われた時間」
大人になったら、もっと色んな事が上手くいくと思っていた。
大人になったら、子供の頃に夢見た仕事が出来ると思っていた。
大人になったら、この国はもっと住みやすい国になっていると思っていた。
大人になったら、もっとスマートに生きていると思っていた。
ぜんぶ、夢で終わった。
色んな現実を見て、理不尽に晒されて、くたびれて、大人になるということは色んなことを諦めるということだと気付いた。
子供のままでいられたら、そう思わずにはいられなかった。
END
「子供のままで」
独りよがりな愛を叫ぶより、相手の幸せを願える人間になりたい。
叫んだところで愛の行き場は自分の中にしか無いのだから。
愛してるよと囁いて、私もだよと静かに返せる関係が、多分一番優しい距離なのだと思う。
愛には色々な意味があるから。
END
「愛を叫ぶ。」
ネットで検索してみたら、モンシロチョウの翅にブラックライトを当てるとオスは黒く、メスは白く見えると書いてあった。
これに限らず、動物の生態って凄いと思う。
人間には見えない色が見えていたり、聞こえない音が聞こえていたり、一点特化した機能や、人間の知識や技術ではまだまだ解明出来ていない生態がたくさん隠されているのだろう。
そういう話を知るたびに、「何が進化の頂点か」なんて思ってしまう。人間は動物や植物の生態に学ぶところがまだまだたくさんある。
END
「モンシロチョウ」