お気に入り、というのがあまり無い。
例えばお気に入りのボールペン。
一応あるけどそれが廃番になったら「まぁ仕方ないか」って別のボールペンに乗り換えると思う。
お気に入りのぬいぐるみとか、そういうのも無い。
子供の頃に持っていた物はほとんど捨ててしまった。
嫌いになったとかじゃなく、なんとなく「もういっか」とか「まぁいいや」ってなって、処分してしまう。
お気に入りの店、というのも無い。
本が買えるなら本屋はどこでもいいし、このブランドの服じゃなきゃ駄目、というのも無い。
あぁ、でも。
本は手放したくないかな。
本だけは、死ぬまで手放したくないのが何冊か。
でもこれはお気に入りというより·····私の一部、みたいなものだからなぁ。
うーん、難しい。
END
「お気に入り」
誰よりも強いと言われた男は、私達が気付かなかった·····あるいは見て見ぬふりをした女の涙に、ただ一人気付いた男でもあった。
涙を拭うその指に、恋をするなという方が無理な話だろう。女はそうして、堕ちていった。
誰よりも弱いと思われていたあのひとの、隠された強さに私は惹かれていたのです。
人知れず涙を流しながら、それでも友の為に耐え続けたあのひとの、張り詰めた糸のような靱やかさに、私は恋をしたのです。
誰よりも強いと言われた男と、誰よりも弱いと思われていた女。
本当に強かったのは、本当に弱かったのは果たしてどちらだったのだろう?
END
「誰よりも」
10年後か·····。私は××歳だなぁ。
生きてるかどうかすら分からないのに、「10年後の私から届いた手紙」なんて、まるで今と変わらず生き続けていることになんの疑いも持っていないみたいだ。
この世に絶対は無い。今と変わらず、なんて有り得ない。結婚しないって言ってるけど、結婚してるかもしれない。宝くじが当たって大金持ちになってるかもしれない。逆に事故や病気で体が不自由になってるかもしれない。社会や科学技術に大変革が起きて、何もかも変わってしまっているかもしれない。
もし10年後の私から手紙が届いたら·····何が書かれているんだろう?いいことだといいな。悪いことだったらどうしよう·····。
ガタン。
――あ、郵便屋さんの配達。
ちょっと、タイミング良すぎるよね?
END
「10年後の私から届いた手紙」
数年前から、バレンタインチョコは家族と親友と自分の為だけに買っている。
この時限定のチョコレート、この時限定のパッケージ。要は期間限定を楽しみたいだけなのだ。
特設会場に並ぶたくさんのチョコも、普段から店に並んでいたら多分買わなかっただろう。
数日前から煽るマスコミ、購買意欲をそそる会場のディスプレイ、甘い香りに、ポップなBGM。
そう言えば、特設会場で「バレンタイン・キッス」が流れることもいつの間にか無くなった気がする。
本命チョコに友チョコ、義理チョコ、ご褒美チョコ。
次から次へとトレンドが現れて、毎年買わなきゃ、という気にさせる。
乗せられやすいのだろう。
でもまぁ、年に一度くらい流行りに乗って、みんなと同じ事をするのも楽しいものだ。
こうして我が家にまた、可愛いけれど使い道の無い缶や箱が増えていく。
END
「バレンタイン」
お外に出るのは初めて。
「ここで待っててね」
うん、わかった。
「おもちゃとおやつ、いっぱい買って来るからね」
わぁ、嬉しいな。
「じゃあね·····バイバーイ」
いってらっしゃい。待ってるね。
おもちゃとおやつ、楽しみだな。
でも、本当はね·····おもちゃもおやつもいらないんだ。早く帰ってきてくれて、お家にあるおもちゃで遊んでくれるのが一番嬉しい。
だから早く帰ってきてくれるように、ここでいい子で待ってるね。
青かった空が赤くなって、紫になって、黒くなって。
灰色になって、白くなって、黄色くなって、また青くなっても、ずっと待ってる。
あ、冷たい。
僕知ってるよ。これ、雪って言うんだよね。
雪ってこんなに冷たかったんだ。
·····まだかな。早く帰ってこないかな。
冷たいよ。
ぶるぶる、がたがた。
体が震えてきた。
早く帰ってこないかな。
「待っててね」って言ったから、ずっといい子で待ってるんだ。
雪が僕の周りにいっぱい積もってきた。
冷たいな。·····早く帰ってこないかな。
灰色の空から、冷たい雪が次から次へと降ってきて、僕の体がすっぽり埋まって、もう空が見えないや。
冷たいなぁ·····暖かいお家に早く帰りたいなぁ·····。
「待っててね」って言ったから、ずっといい子で·····ここで待ってるんだ。
◆◆◆
「良かった! 目開いたよ!」
「本当!? 良かった! 早くお湯持ってきて!」
「ミルクあっためました!」
「うん! がんばれ!」
「絶対死なせないからね!」
·····僕、どうやら〝捨てられちゃった〟みたい。
何がいけなかったのかなぁ。
暖かいこの部屋は、見たことない人と見たことない物でいっぱいで、頭の中がぐるぐるぐるぐる、こんがらがってぐちゃぐちゃで、これからどうなるのかすごくすごく、怖かったけれど。
温かいミルクがとっても美味しかったのと、初めて見る人達がとっても優しかったから、もう少し、人間を信じてみようと思うんだ。
――ミャア。(本当に、もう少しだけね)
END
「待ってて」