好きです、ありがとう、ごめんなさい、許せない、許してる、大嫌い、行かないで、顔を見せて、声を聞かせて、受け入れて、消えて、苦しんで、笑って。
万年筆を用意しよう。
インクは濃いブルーがいい。
便箋は貴方の目と同じ色をした、綺麗な花をあしらったものを。
一枚ではきっと足りない。
この場所で、旅先で。
時間を見つけて少しずつ、来し方を振り返りながら。貴方と私が共に来た道、貴方と私で共に行く道。
決して穏やかな道ではなかった。後悔は山ほど。
それでも、だからこそ。
伝えたいことが後から後から湧いてくる。
傍目には支離滅裂に見えるかも知れない。
それでも思いつくままに、溢れる想いが動かすままに、万年筆を走らせよう。
便箋を何枚使っても構わない。
私の思いを、貴方へ。
END
「伝えたい」
「奇跡のようなこの場所で、君に会えたことは何よりの喜びだよ」
それは多分、本当のことで。
「君と肩を並べて歩けるこの時とこの場所が、私には何よりの宝物だ」
それはきっと、私の気持ちでもあって。
「今度こそ、最後まで君と一緒にいるよ」
それはきっと、叶わない。
「私も同じ事を思っていました」
そう言うと、彼はお得意の困った顔をして笑う。
彼の全てを包み込むような、その実全てを諦めて突き放しているような温かくも低い声が、私は大好きで·····大嫌いだった。
END
「この場所で」
◆◆◆
2作目↓
この場所で出会った幾人かの人。
趣味が合って、リアルで会っても話し安くて、何年かはやり取りしていた幾人かの人。
でもやっぱり駄目だった。
人が嫌いな訳ではない。
話し安くて楽しかった。
何かあったら気遣う言葉が嬉しかった。
でも、ふとした事が面倒臭いと感じてしまう。
ただ好きな趣味で話が出来ればそれで良かったのに、季節の挨拶とか、贈り物とか、そういうのをやりたくなくて探した場所だったのに、この場所でもそういうのがいるのか、と私は面倒になってしまうのだ。
繋がりたいと思いながら、そういう事を面倒に思う私は、何かが破綻しているのかもしれない。
END
「この場所で」
誰もがみんな、結婚したいわけじゃない。
誰もがみんな、恋をしたいわけじゃない。
誰もがみんな、甘いものが好きなわけじゃないし、
誰もがみんな、ネットを使ってるわけじゃない。
一人が好きな人もいるし、恋愛に興味が無い人もいる。甘いものより辛いものが好きな人もいるし、情報収集のツールは新聞とTVと人、っていう人もいる。
結婚したい人と一人が好きな人は性格が合わないかも知れない。甘いものが好きな人と辛いものが好きな人は食べ物で喧嘩することもあるかもしれない。ネットを使っている人と使っていない人とでは、価値観が全く違うかもしれない。
たった一つ、多分間違いなく言えるのは、
誰もがみんな、幸せになりたいと思ってる。
そしてこれも多分間違いないのは、
その幸せの形は一つとして同じものがないということ。
END
「誰もがみんな」
「今年は薔薇だ」
数年前から誕生日に花束が届くようになった。
差出人の名前は無い。贈られる花はいつも白い花が一種類。カードも何も無いから最初は気味が悪かったけど、花束自体に何も変なところは無かったし、何より花が本当に綺麗で、ありがたく受け取ることにした。
去年はカーネーション。一昨年は百合。その前は小振りの蘭だった。そのもう一年前は何だったか。スプレーマムだったか。
もう忘れてしまったけれど綺麗な白だったことは覚えている。部屋に飾るだけで華やかになった気がして、顔も名前も知らない贈り主にひそかに感謝した。
◆◆◆
「で、今年も届いたと」
「うん」
「それがこれ?」
「うん。見事な薔薇だよね。こんな大輪で、形が綺麗なのばっかり」
「去年はカーネーションだって?」
「うん」
「全部白?」
「うん、そう」
「·····」
「綺麗だよね。この薔薇もさ、見て。トゲが取ってあるんだよ。気遣いが嬉しいなぁ」
「·····」
「アンタ、引っ越した方がいいかもね」
「へ?」
「これ、棺に入れる為の薔薇だよ」
「――」
「ご遺体の顔に傷が付かないようにトゲを取って入れるんだよ」
「·····ど、え? ·····棺って、」
「スプレーマム、蘭、百合、カーネーション、だっけ? 全部白で? ·····それ、棺に入れるお別れ花だよ」
「なんで?」
「さぁ、嫌がらせ、かな? ストーカーかも」
「·····なん、なんで? 誰が、なんで? わ、私、毎年誕生日に楽しみにして·····、綺麗で、」
「引っ越した方がいいよ。なるべく早い内に」
「·····っ!!」
ガシャン!!
床に散らばる花びらが彼女の目には滲んで見えていることだろう。
――そうして早く、私の元に来ればいい。
END
「花束」
「笑えばいいのに」
とよく言われる。
「笑って欲しいんだよね」
とも。
言われて私はそれこそ〝曖昧に〟笑って返す。
面白いと思えば自然に笑うし、挨拶なんかで笑った方がいい時はマスクの下でだって笑っていた。
それでも言われる「笑えばいいのに」と「笑って欲しい」。
見せなきゃいけない事なんだろうか?
みんなが笑っているものや事で笑っていないのはおかしいんだろうか?
「スマイルってありますか?」
「そこに無ければ無いですね」
こういう時、人間ってめんどくせ、って思う。
END
「スマイル」