「不安の数だけ荷物が多くなる」ってCMがあるけれど、あれは本当だと思う。
ハンカチ、ポケットティッシュ、衛生用品、絆創膏にボールペン、小さなハサミ、メイクポーチとそれとは別に口紅が別のポケットに入ってる。マスクも一枚余分に入れて、何かあった時の為に財布とは別に小銭入れも忘れない。あ、それとのど飴と文庫本。
出掛ける度にこれだけ用意して、カバンを変える度入れ替える。
心配性? そうだと思う。
ちょっとショッピングモールに行くだけなのに、これだけ準備しないと不安で、何か忘れた事に気付くとそれだけでテンションが下がってしまう。
今日もこれだけ用意して、明日履く靴下を取り出してやっと安心する。
·····違うな。多分私は、怖いんだ。
不特定多数の人がいる場所で、失敗してしまうことを。慌てて、焦って、真っ赤になって·····そして誰かに助けを求める事が出来ずにみっともない姿になってしまうことを。
汗がだらだら、カバンや上着はよれよれで、髪はくしゃくしゃになってしまうことを。
荷物を一つ詰める度、不安が一つ追い出され、安心が一つ積み重なっていく。
「よし、準備OK」
出掛ける前のルーティンワーク、終了。
おやすみなさい。
END
「安心と不安」
「何が恐ろしかったのか、ようやく分かった気がする」
「恐ろしい? 何がです」
「·····あの男だ」
「貴方は彼を恐ろしいと思っていたのですか?」
「今考えれば、だ」
「·····そうですか」
「あの男が私にはいつも眩しかった」
「·····」
「私が持ち得ない全てを持ち、それでいて誠実で、決して驕ることは無かった男」
「貴方だって不実なわけではないでしょう。その方向性が違っていただけで」
「人の心の奥底をたやすく掬い上げる男」
「彼はそういうの、得意ですからね」
「私には出来ない事をいとも簡単にやってのける男」
「貴方に出来て彼に出来ないこともあるでしょうに」
「いつも·····光を背負っているように見えたんだ」
「光、ですか」
「王宮でも、戦場でも、どこで見てもあの男は光を背負っていた。·····宵闇の中でさえ」
「宵闇·····」
「あの男が背負う光が眩しくて、恐ろしかった」
「そうでしたか」
「光を背負って立つあの男の、顔がまともに見られなくて、どんな表情をしているのかが分からなくて··········恐ろしかった」
――笑っているのか、嘲っているのか、見下しているのか、哀れんでいるのか。それともそのどれでもないのか。
逆光に目を細めていたようなものだ。
「·····彼はきっと、貴方が背負っている光も見つけていると思いますよ」
――そうなのだろう。だが私には、それこそが恐ろしい。
これは誰にも言えない秘密。
END
「逆光」
①棒を持って空を飛ぶ夢
②ただひたすら何回も何回も殺される夢
③口から蛙を吐き出す夢
④仕事に行く夢
⑤仕事に遅刻する夢
覚えているのはこれくらい。
怖いから夢占いはしない。
空を飛ぶ以外は現実になって欲しくない夢ばかり。
夢日記も書かない方がいいらしい。
考えこむと多分精神衛生上良くないんだと思う。
だから目覚めたらすぐに忘れてしまえるように出来ているのかもしれない。
END
「こんな夢を見た」
過去に遡って運命を変えることが出来たとして、今出会っている人達との関係はどうなるんだろう?
例えば過去に遡って子供の頃にあった危機を逃れたとして、そこで大きく運命が変わってしまったら、自分はこの仕事をしていないかもしれない。そしたら今隣にいるコイツとの関係も、変わってしまうのだろうか? いや、そもそもコイツと出会ったことすら無かったことにされてしまうのかもしれない。
「·····なに考えてんすか?」
「なんでもないよ」
「エクレア、もっと食べます?」
「·····食べる」
「よく食べますよね、師匠」
「うるさいよ。考えは纏まったのか?」
「俺なりに考えてみたんすけど」
「言ってみな」
「その前に、クリームついてます」
「·····ぅ」
――どんな運命になってもいいけど、コイツとは離れたくないなぁ。
◆◆◆
エクレアが好物。
古びたトレンチコートが手放せない。
〇〇という仕事。
結局この三つは何度過去に遡ってやり直しても変わらなかった。どうやら運命と言うやつには、何らかの法則性があるらしい。そしてもう一つ変わらなかったもの。
「師匠、エクレア買ってきましたよ」
「·····おぅ」
何度過去に遡って人生をやり直しても、コイツは俺の隣にいて、俺の好きなエクレアを律儀に買ってくる。
「駅に新しい店が出来てたんで、そこで買ってきました」
「ごくろーさん」
最初にタイムマシーンを使った時の心配は、どうや杞憂だったみたいだ。
END
「タイムマシーン」
ホールケーキを一人で食べた。
ホテルのラウンジで一人で飲んだ。
舞台を見て一人で泣いた。
泊まるホテルが見つからなくてあちこち歩いた。
布団を被って叫びを全部枕に押し付けた。
カーステレオを滅茶苦茶大音量にして車を飛ばした。
ゲリラ豪雨にあって震えながらシャワーを浴びた。
記憶に残っているのはそんな夜。
思い返すと一人でいることが多い。
でもね、貴女とたった一度だけ、一緒に旅行した夜の、ファミレスで食べたディナーが一番美味しかったと思ってる。
全国どこにでもあるファミレスで、椅子のシートが破れてた。味もフツー、値段もフツー。
でも推しの話をして笑いながら食べたパフェだったかアイスだったか、あの味はいつもより美味しく感じた。
いくつかある特別な夜。
一人でいることが多いけれど、たった一人、私の喜びも楽しみも、愚痴も恨みも毒も、全部受け止めて聞いてくれる貴女と過ごしたあのファミレスでの一夜が、一番特別だと思う。
一人が心地いいと思う私だけど、こういう夜が私にもあったこと。それが嬉しい。
ありがとう、これからもお世話になります。
END
「特別な夜」