鋭い眼差し
無愛想なのでいつも真顔になりがちで、目つきが悪い顔が怖いと言われますが、鋭い眼差しと言われると、見透かしているようで悪い気はしません。
とはいえ、そんな鋭い眼差しをすることって普段そうないですよね。
せいぜい仕事中に他の作業の進み具合や、対人の様子を見る目が鋭くなるとか、他所のチラシより安いものないか、価格POPを見つめる目が鋭くなるとか。
あとは街中とか電車内とかで、変な態度やいきなりぶつかってきたりとかだと、つい鋭い眼差しに……これ意味違ってますか。
睨まれてる鋭さは結構刺さってきますし、むしろこっちのほうが鋭さもありそうです。
そうなると思い出すのは、都会にありがちな前リュックです。
後ろにリュックを背負うと邪魔になるという謎の光景。
私は前に天然リュックつけてるようなものなので、さらに背負うと前に圧力とんでもなくなります。
人が多いなと思う所はなるべく手に持つようにしていますが、それでもお前邪魔だという目線を感じます。
満員電車に乗る機会はほぼないものの、ここまで不快そうな眼差しを受けると気分も悪くなり、何度車内で座り込んだことか。
座れば座ったでさらに邪魔になり、ヘタすればわざとではなさそうですが蹴られることも何度か。
いるだけで周りを不快にさせるって、困ってしまいますね。
そんな時にふと、鋭い眼差しで相手を見ながら、自分が同じことしようと思う人間じゃなくてよかったなと。
余分に場所を使って悪いなと思いながら、その鋭い眼差しで似てたまるかと反骨心も出てくるかなと。
鋭い眼差し、できればその眼差しは、相手をよく見て知って歩み寄り仲良くするための眼差しであればいいなと思います。
突き刺さって痛いじゃなくて、鍼治療してる気分になれるといいですよね。
高く高く
慢性貧乏の私からしたら、一円でも高く、高く高く買ってほしい。
整理で出した本やCDの査定を待つ間に、そんな願いをしてしまう今日この頃。
下世話ですみません。
遠く遠くだったら、いい曲だよねーと話せますが、高所恐怖症なので高いところ苦手ですしね。
低く低くだったら、とある鍾乳洞に入った際に、もっと低く!低く!と、ガイドさんに頭押された記憶があります。
高○クリニックだったら、親子似てるよねー……若干音が似てるからとふざけてすみません。
丁度時期的なこともありますが、志は高く尊くみたいなことはあると思います。
意識低い系でして、志は常に低空飛行。
おかげでプライドも高くないので、鼻につくようなことはないはずです。
高いといえば高血圧、切ないですね。
あとは電気代に交通費に食費。
ため息ばかりでてしまいます。
それでも思うのは、人混みで前にいるキャラクターが見えないのであれば、たとえ肩が痛くて腕が上がらすとも、高く高く我が子を持ち上げて、一目見せてやりたい。
そんな親の気分を味わってみたかったなと思うことがあります。
もう夢と魔法の国は一万以上するんだとか。
私の中ではビッグ10懐かしいなー、たしか毎回特定のアルファベットばかり余ってたなー、そんな古い記憶で止まっています。
子供のように
面白いテーマですよね。
子供のようにとなると、次に続くのは素直とか無邪気とかでしょうか。
素直になれない大人達、タチ悪いイメージです。
素直になれないというと、ツンデレもそれに入るでしょうか?
そうなると、最近はツンデレな子もいるようですし、子供だから素直というわけでもないわけですね。
私自身は素直なほうだと思います。
素直だから思った余計なことまで言ってしまい、関係を拗らせるなんてこともよくあります。
これが子供のように、若いから子供だから知らないだろうししょうがないよね、で妥協してくれないのは悩ましいところです。
そういえば、先日とある子と話をした時、アンパンマンのキャラクターでナガネギマンというキャラがいまして。
そのキャラソン「ナガネギフラメンコ」があるのですが、それを小声でぶつぶつ歌っていたら、それ知ってる!と抱きつかれ一緒に歌うことになりました。
そのご機嫌な笑顔と人懐っこい態度。
子供のようにこうして無邪気に接してくれる人がいたらいいな。
私も子供のように無邪気に接したら……確実に捕まりますね笑
それでも、純粋な気持ちは忘れたくないものです。
皆さんも、子供のように我が子のように、同じ目線でいられる時は、擦れた高い目線を休憩して、ブランコや滑り台でも楽しんでみてはいかがでしょうか?
それか、子供のようにお小遣いねだってみるとか。
私も洗濯して干して畳んだら、誰かお駄賃くれませんかね?
放課後
放課後といえば全力下校。
油断していたらいじめっ子たちに囲まれてトイレ行きになりますから。
私の世代は基本和式便器なので、大体下駄箱に靴がない時は便器を見て回るのですが、溜まっている水の色が透明じゃない時は大変なんですよ。
数分水洗いしても臭いが落ちないずぶ濡れの靴を履いて、歩く度にグチュッグチュッと絞りきれない水を踏みしめながら帰るわけです。
小さい子が履くピコッピコッとなる靴みたいな愛らしい光景一切ありません。
いつも大変だったので頭を使い、帰り用に上履きの替えを隠しておいて、それを履いて帰るようになりました。
人間知恵をつけるものですね。
それはさておき、放課後という文字を書くと思い出すのは、最近よく見かける放課後デイサービス……ではなく、放課後電磁波クラブ。
よくあんなの地上波で流せてましたよね笑
でも、あの笑いが私の癒しと支えになっていたことは間違いありません。
あの頃の緩さというか寛容さというか、今みたいなピリピリした空気がない時代はよかったなと、しみじみ思ってしまいます。
今は何でもコンプライアンスですものね。
かく言う私も、こういう話を書くとコンプライアンス違反になってしまうのでしょうか?
そうなると困るんですよね。
できれば思うままに書いていたいので……意外と書く場所ってないと思いませんか?
どなたか適度に閲覧されるくらい且つ、読んでくれた感想とか聞ける場所があったらなんて、都合いいこと思ってしまう今日この頃です。
そう、放課後にいじめられてずぶ濡れになった靴のまま帰るとバレてしまうからと、少し歩いた図書館で靴と靴下を脱ぎ、少しでも乾かそうとしながら書いていた書き殴りノート。
あいついつも来ているなと館員に目をつけられ、危うく出禁になるところを助けてくれたとある人。
見返りに読ませろとノートを読んでもらいながら過ごすひととき。
いつしか放課後は、いじめから逃げる日々から、恩人との楽しい日々に変わっていき、あの出会いがあったからこそ、今も自分は生きていられるんだなと、放課後電磁波クラブの笑いとは別の救いがあったのでした。
カーテン
ちょうど昨日某100円均一ショップでカーテン生地を数枚買ってきて、ハンガーラックのカバーにするためにミシンで繋ぎ合わせていました。
今は何でもと言っていいほど100円均一にありますよね。
この前も顆粒のだしの素が湿気でやられないように、食品用の乾燥剤を買ってきましたが、園芸の支柱とかも長さ色々あったりして、重宝しています。
ところでカーテンといえば、遮光カーテンはかくれんぼで隠れる先あるあるな場所であろうと。
くるまってバレないようにしているのに、足元が隠しきれずにバレるやつです。
そしてレースのカーテンを見ると世代なのか、カーテンを背に両端を持ってマントのようにし、蝶が飛ぶようにヒラヒラとはためかせたくなります。
それはまさに、ジュディ・オングの魅せられて。
あのドレス?を広げながら歌う謎な呪文のような英語は今でも歌詞分かっていませんが、皆さんも一度は真似したくなったことでしょう。
個人的にはカーテンと聞くと、子供の頃の病室のカーテンを思い出します。
個室以外には必須なパーテーション用カーテン。
あれがあるからこそプライバシーが保たれます。
だけれども、当時の私はカーテンが開くのを楽しみにしていました。
それは誰もこない悲しさ。
周りはみんな面会時間となると、家族や友達がお見舞いに来ては談笑して帰っていきます。
誰も見舞いに来ることない私は、開くことのないカーテンに囲まれた中、周りの談笑を聞きながら耐えていました。
きっといつかはこのカーテンが開いて、自分にも談笑相手が来てくれるだろうと。
そんな日はこないまま、日々カーテンは看護師さんの用がある時だけ開き、ヘタすれば同室の子供達と顔を合わせたことなかった気がするくらい。
まぁ虐められなかっただけでもよしとしましょう。